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台湾中部地震第4

 1999年9月24日ジュリアスを乗せたシンガポール航空SQ983便は、中華民国桃園縣中正国際機場に着陸しました。飛行機上から見た感じでは、いつもの同じ台湾の風景です。空港内もクーラーが利いていて電気は問題なく、手を洗おうと思って水道栓を開けると水がいつものように出ました。

 24日の中正機場:いつもの10分1くらいの人出

分かったこと
 現時点で分かったことを簡単に報告します

◆台北エリアの地震は、南投ほどひどくはなく、どうやら松山近くのホテルの崩壊は、ビル自身の問題らしいです。

◆空港から第2高速にのり、土城交流道(土城出口)までの車窓風景、土城出口から自宅までの間の風景にも、地震の痕跡を見ることはできませんでした。

◆9月24日は祭日で、休んでいる店も多く、地震が原因かどうかは不明です。

◆便利商店(コンビニ)は営業していて、商品在庫も今のところあるようです。ただし、一部の商品は価格上昇しているようです。これは、どの便利商店でも同じです。

◆自宅に帰っても、何の異変もありません。ペットボトルも倒れてはいませんでした。もちろん、ディスプレイが倒れている、といったことはありませんでした。電話は完全に復旧し、インターネットプロバイダSEEDNETも使用できます。なお、ジュリアス家はマンションの4階です。

◆祭日と土日で3日間の休みとなるため、通常なら、みんな出身地に帰るのが一般的なのですが、台湾南エリアへのアクセスが困難であることもあり、台北の人口は減っていない様子です。マーケットはすでに営業しており、多くの人が居ました。在庫は豊富です。しかし、買い物の様子を見ると、一部の人たちが、カセットコンロなどを買ってはいますが、どうやら行楽用のようです。つまり、地震のために買い物が変わってしまった、という人には気づきませんでした。特に、価格が上場した感じではありません。これは、在庫があるからで、後数週間すると事情は変わるかもしれません。なお、これは、台北縣土城市での話です。台北中心エリアには、後ほど行くので、そのときに何か報告できると思います。

◆台北などで使用される電力の多くは、台湾南部で発電されたものです。送電線は、台湾中部を通って台湾北部に送られます。地震の影響で送電線・タワーが破壊されたため、台湾北部の電力は止まりがちです。しかし、それも、23日くらいには多くの場所で復旧したようです。板橋市の友人は、大丈夫だと言っていました。工業区を抱えている土城市(今年末チェインテック社の本社工場が移転してきます)では、祭日と土日で3日間の休みの間は、工場ではなく、家庭に電力を優先供給しているので、ジュリアス家のパソコンは動作しこの原稿を書いて送ることができます。

◆桃園縣のマンション12階に住む友人は、ビル自体は大丈夫だけれど、家の中は食器棚などが倒れてきて大変だったそうです。

◆バスやタクシーは走っています。本数はいつもより少ないような気がします。

◆友人から聞いたところでは、工場にある機械は大丈夫だけれど、位置が5mmでもずれるとラインとして使用できないため、調整に数日必要とのことです。なお、一部のパーツが不足しているので、製品と出荷できるのがいつになるのかが正式に判明するのに数日必要とのことです。

◆作りかけの製品は破棄して、製造を最初からやり直すため、たとえば、チップセットなどの数は少なくなったことは否定できないです。予定されていた数の出荷ができるかどうかは、不明とのことです。

◆ただし、南投の被害は非常に大きく、以前Julius Iwamura Hardware Page、TRY!PCでも紹介した台湾中部南投の日月潭は孤立状態になっているようです。なお、数ヶ月前、ジュリアスが数珠を頂いた日月潭玄奘寺の尼僧さんは無事とのことです。

まとめと重要なこと
 日本からいろいろな取材が行われています。しかし、報道内容には、被害の程度についてかなりの程度差があります。ご注意ください。つまり、メーカー側の発表を理解し正しい内容を報道していない記者は多いと思います。

 台湾の人たちは、今回の出来事を素直に受け止めて、がんばっています。みんなつらいのですが「みんな同じ状況だから、弱音は吐けない」という態度です。日本では、安全のため復旧までの時間を多い目に発表することがあります。しかし、台湾では、外国の心配を減らすため、台湾の人たちの前向きな性格などのため、どちらかというと短い目に発表するようです。また、各メーカーの発表内容は、マーケティングとって非常に重要な問題です。つまり、A社の復旧が遅れているということが知れ渡ると、B社にチャンスを与えることになりかねません。
 以上のような理由により、メーカーの発表を完全に信じることはできません。また、中華民国の利益にならないなら、ジュリアスが知っている台湾コンピュータ産業の現状をみなさんに伝えることが困難であることを理解して欲しいと思います。通常の記者として報道するということは、台湾の友人として非常に心苦しいのです。
 「生産開始し出荷まで公式にはあと1週間。でも、私の考えでは2か月かかるかな」というのが友人の言葉です。このとき、その会社の復旧について、エンジニアで台湾の友人であるジュリアスとしてはどのような記事を書いてよいか分からず、報道不可能です。
 復旧は確実に進んでいます。ただ、中国大陸に工場がある会社でも、すべての部品が中国とは限らす、また、出荷手順が従来と異なることがあり得ますから、何の問題もないとは言えません。また、部品の価格上昇のため、製品の価格の上昇もあり得るでしょう。

 この原稿を書いていると、桃園に住むジェームズから電話がありました。「明日、何時に桃園駅に着くの」というのです。電車も新交通システムMRTも動いているようなのです。実は、26日に遊びに行く予定だったのです。「遊びに行って大丈夫?」と尋ねると、「友人との約束を変更するだけの理由はないよ。21日火曜日が地震で休日になったので、部屋の片づけや家族の世話もきちんとしたよ。ただ、月曜は朝から会議などで忙しいから夜遅くまでは遊べないけど」とのことです。街には屋台も戻りつつあります。
 では、次回のレポートでお会いしましょう。

 街の風景

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Copyright 1999 岩村益典