Julius Iwamura Hardware Page ======= 2001-09-27 Vol.15
登録/変更/退会は http://www.cqpub.co.jp/julius/
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□目次
はじめに
 ナリ台風の猛威
 DFI取材記
あとがき
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#はじめに
 ナリ台風が過ぎ去ったと思ったら、また台風が襲ってきています。今週はじっと
しているのがよいのかもしれませんね。
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#ナリ台風の猛威
 先週台湾を襲ったナリ台風の爪痕はまだ消えていない台北市内です。高速鉄道
MRTの地下軌道部分の台北中心部と台北東部部分は駅と軌道が浸水しているため不
通の状態が続いています。日本では、ニューヨークのテロ事件の報道に隠れて、大
きくは取り上げられなかったようです。しかし、台北に住んでいるジュリアスなど
には、かなり大きな問題です。
 DFIやABIT、Soltekなどのある汐止市は特に浸水の被害に毎年悩まされています。
それでも、今回のナリ台風による浸水の被害はここ数年にはなかったもので、数十
人規模の死者もでているくらいです。台湾では、台風を数字で−号と呼ぶのではな
く、名前を付けて呼んでいます。
 先週の17日18日の二日間が台風により休みになりました。台湾では自治体ごとに
出勤しなくてもよい、登校しなくてもよい、などを発表してくれるので、台風休暇
については非常に分かりやすいです。それでも、19日は休みの会社もあれば、営業
している会社もある、という状況でした。政府としては休暇を続ける訳にはいかな
いとしても、浸水のため近づくことができない企業も多く、またスタッフのなかに
は自宅が被害を受けたため出勤できない場合もあるわけです。
 ビルの地下に浸水することにより、エレベータのモーターが故障します。また、
補助発電機も地下にある場合が多く動作しなくなります。また、電気がないと水を
ビルの屋上にあるタンクまで運ぶことができず、そのビルは断水してしまいます。
この状態が一週間以上も経過した26日現在でも続いている地域があるのです。
 今週は、メーカーも片づけと出荷に追われている状況で、取材もままなりませ
ん。取材予定も来週まで延期です。今回は、台湾の知人よりこのナリ台風の被害に
ついての写真をいただきましたので紹介します。著作権の関係上決して転載などは
しないでください。http://www.cqpub.co.jp/julius/2001c/0927/index.htm
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#DFI取材記
 メインボード一筋、そして、2001年秋にはグラフィックスカードの製造を再開し
たDFIは、ジュリアス推薦の優良企業です。台湾にも大陸にも工場を持っていま
す。
 2001年7月末、DFIを尋ねました。マーケティング担当のElizaさんとは、何度目
かの再会となります。そして、DFIの副会長Andy Luさんは、筆者の台湾でのもっ
とも大切な個人的な友人です。会長のY.C. LUさんはAndyさんのお兄さんにあたり
ます。
 インテル810のリファレンスボードメーカーとして、また現在45%のシェアで
PC/ATチップセットの主流では、と思わせるVIAのパートナーでもあります。
 DFIの設立は、1981年7月14日、現在800人以上のスタッフがいる上場会社です。
台湾PC産業第1世代メーカーらしく、古くからある工業地域、台北縣の東端、汐止
市に本社と工場があります。もちろん、その他中国大陸にも工場があります。
 今回は、Y.C. LUさん、Andy Luさんを中心に、エンジニア担当副社長のHang 
Shang Liangさんなどエンジニアの最高責任者のみなさんと会話できました。写真
は、以前に紹介したので、それを参照してください。
 Y.C. LUさんもAndyさんも学校卒業後、Y.C. LUさんは輸入関連のAndyさんは日本
のモーターメーカーと何らかの形で日本との関係を持っているところに就職したそ
うです。DFIのトップ品質管理など、日本のやり方をマスターしたそうです。PCの
分野において、DFIは、日本的に管理しているので品質がよい、とY.C. LUさんは
強調します。
 ところで、このDFI設立の頃には、まだ第2世代のPC企業ASUSTeK:華碩電脳は設
立されていません。ASUSTeKの設立は1990年4月2日です。
 台湾の電気製品は、AMラジオ->FMラジオ->カセットプレーヤ->白黒TV->カラー
TV->コンピュータというように流れてきたそうです。Y.C. LUさんは、「私はラッ
キーでした。30年前蒋介石がコントロールしていた台湾で、その中にあって、私
は輸入関係の会社に就職しました。ZEROからのスタートでしたが、日本と良い関係
を得ることができました」と語ります。
 DFIは、商売として、最初からメインボードを作っていたわけではありませ
ん。ジョイスティックなどを作っていたのです。この当時はまだAndyさんはDFIに
参加してはいなかったようです。その後、ケース、キーボードを作り、8086ベース
のIBM PCを製造しました。クローンをつくり、リリースする準備はできていまし
た、しかし、DFI創立当時、クローンビジネスを始めるのは資金的にも大変だった
そうです。
 Y.C. LUさんの言葉では、「IBMを空母だとすると、DFIは小舟、とのことです。
真っ向から勝負を挑んでも勝つのは困難です。それに、システムやメインボードを
作るのには、IBMのライセンス問題があります。
 そこで、カラーグラフィックスカードを作りリリースしました。当時、IBMのシ
ステムは単色だったのです。リリースした頃は、1月500ピースだったのが、毎月
500単位で出荷量が増えていきました。1980-1990年の間、DFIは台湾No.1のアドオ
ンカードメーカーとして有名でした。
 DFIはdiamond flower industryの頭語で、中文の会社名は[友通]といいます。
英語名は、私たちの母の名[寶花]を英語にしたものです。
 このように、タイミング良くチャンスを活かすことができたことが、DFIの基礎
を作ったといえます。1983年にはマルチI/Oカードなども作りました」と言うこと
になります。このグラフィックスカードの頃からAndyさんもDFIに参加したそうで
す。
 クローンを作ることはできても、電子回路的にクローンを作っても、製品となる
とIBMのライセンス問題が発生するとのことです。DFIは、カード類のほかマウスな
ども作り、メインボードの製造は1987年から始めました。プロセッサは、286で
す。なぜ、メインボードを作るようになったのかというと、マザーボードに多くの
機能が組み込まれ、マザーボードとアドオンカードの区別がつかなくなってきた、
という経緯があります。
 ビジネスのやり方としては、海外の販売先に拠点を作り、パーツを輸出して、そ
こでシステムを作るということをやりました。コンパックにも対抗しましたが、結
局この種の競争は価格競争になります。ひどくなると品質が低下します。
 DFIは、1995年には製品をマザーボード中心に変えました。アドオンカードを作
ってきた経験と実績、確かな設計力、品質管理力をもっとも良く活かす方向に集中
したのです。
 さらに、グラフィックスカードに必要なDRAMの価格が安定していないということ
も、グラフィックスカードの生産を1996年に中止した理由のひとつなのだそうで
す。

 「2001年の今年、DFIは20周年を迎えました。人間で言えば成人です。1サイクル
が終わったといってもよいでしょう。今年のDFI最大ニュースは、ATIとの提携で、
ATIのファーストティアメーカーとしてグラフィックスカードをリリースしま
す」:Y.C. LUさん。
 メインボード技術者になるには、DFIの技術責任者は「結局電子工学の基礎を大
学で学ぶことが大切であり、後はマザーボードメーカーに入り設計を勉強してい
く、そして才能があり努力をすれば、数年でメインボード設計者になれるだろう」
ということです。
 メインボードの製造の場合、もっとも問題となるのは互換性問題です。メイン
ボード自体は自分のところで作るから、例えばDFIであれば問題はないのであるけ
れどメモリやVGAは自分のところで作るわけではありません。そこでその互換性テ
ストに時間がかかるということです。ユーザーがどのような組み合わせで使うかが
わからないため、問題が生じるわけです。特にタイミングの問題はシリアスで、そ
れを合わせることが大変であるということです。
 そして、DFIエンジニアの説明では、メインボードを設計できるということはほ
とんどの電子機器を設計できるということになり、コンピュータ関連機器を設計で
きるということになるということです。つまり、「メインボードこそデジタルワー
ルドのキーワードである:Y.C. LUさん」なのです。
 かつて、ゲームマシーンなどを作っていたメーカーが、ゲームマシーンがすたれ
てきたとき、アップルIIのコピーを作り、アメリカに売りました。アップルII自体
はシステムの価格+ソフトウェア・サービスなどの価格が存在したために、非常
に高価でしたから、台湾製品は、5分の1くらい、場合によっては10分の1の値段で
互換機を販売できたのです。
 しかし、もともとが当時のゲーム機メーカーですから、使い捨ての感じで作るわ
けですし、価格競争第一でしたから、品質がよくなく、それが台湾製品の質が悪い
という印象になったようです。
 そこに、DFIが高品質のメインボードを製造したわけです。また、品質の高い、
IBMが作っていなかったカラーグラフィックスカードを作り、大成功を納めたの
です。この時期に「非常に優秀な花蓮出身のエンジニアがDFIにいました。彼
は、DFIを退社後自分の会社を作りグラフィックスカードを作りました。その会社
とはLeadtekであり、そのエンジニアとは現在Leadtekの会長をしているLuさんで
す」とAndyさんは語ります。
 台湾で第一世代のメインボード系メーカーとして言えるのは、Acer、Mitac、
DFIの3つであり、これが台湾PC産業のパイオニアと呼べるべきものです。ASUSTeK
などは第二世代になるということです。
 ちなみに、DFIのLuさん、ASUSTeKの施さん、Acerの創設者、さらに、ecsの創設
者はすべて、台湾中部、西海岸の街、鹿港(ロカン)の出身で、おそらく義務教育で
は同班、同学の可能性があります。鹿港は、台湾で古くから開けた街のひとつで、
とても古いです。
 メインボード以外には、ACP(Applied Computing Platforms)、そして2001年は
ATIのグラフィックスカードと、システムやノートを作ることなく、そして、台湾
の工場も大切にするDFIに期待したいと思います。その製品は、安定性が高く、
オーバークロックにも強いですが、付加機能が少なく、バグがあったらリリースし
ない、という本当に頑固なものです。
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#あとがき
 台風とは言え、台湾は元気です。ジュリアスも今週中にある企業を訪問しようと
思っています。でも、その企業が台風で水浸しになっていたら、ジュリアスも後か
片づけを手伝うことになるでしょう。
 なお、このメールマガジンは、友人の方にも紹介してくださいね。よろしく。
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