水野博之の『技術者十訓』

〜 第三訓 〜

アントレプレナへの誘い


水野 博之(みずの・ひろゆき)
高知工科大学教授


 就職を目前にひかえた学生に,「『寄らば大樹の陰』,なんてことを考えてはいけない.大樹の倒れんとするところを支えるのがきみたちの仕事さ」,などと言うと,「とんでもない話だ.一新入社員にそんなことできるはずがないじゃないですか.押しつぶされるのがオチですよ」という言葉が返ってくるかもしれない.では,大企業ではなく中小企業であればいいかというと,この場合は,「会社が明日にでもつぶれるかもしれないし,とても安心できない」,ということになる.

 そして,ここに大企業でも中小企業でもないもう一つの選択肢がある.「じゃ,自分でやってみるか」という選択だ.


1900年代初頭のアメリカン・ドリームが再来

 今から20年ほど前までは,米国の若い人たちも「寄らば大樹の陰」と考えていた.マサチューセッツ工科大学の調査によると,1970年代は同大学の卒業生の60%が大企業への就職を希望していた.1960年代は70%だったというから,学生のほとんどは大企業を志望していた,と言ってもよいだろう.

 しかしこの状況が,いまでは一変している.卒業生の大多数(60〜70%)が小さい企業への就職を望み,そのほとんどがやがて自らの会社を持つことを夢見ている.

 まさに米国の開拓時代,すなわち1900年から1930年にかけてのアメリカン・ドリームの時代が再来したのである.あの時代は,天才トーマス・エジソンやアレキサンダ・グラハム・ベルなど,多くの若い技術者たちが新しい時代を目指して夢を咲かせ,技術によって世界を変えていった.その夢は1929年の世界恐慌によっていったんフィナーレを迎えたものの,そのフィナーレを体験してさらに鍛えられた人たちが,第2次世界大戦を経て,再び世界をリードしていくことになったのである.


国もまたアントレプレナ

 さて,米国で燃え上がっている「アントレプレナ(起業家)」の考え方は,個々の技術者にとって重要であるのはもちろんのことだが,国家経済にとっても大切なものである.

 ここ数年の間に,日本政府は100兆円にのぼる景気刺激策を打ってきた.しかし,これが景気を浮揚させたかというと,だれだって素直に「Yes」とは言えないのではないだろうか.もちろん,このような投資をしなかったら,景気の底が抜けて,日本経済はガタガタになっていたはずだから,カンフル剤としての効果があったことは認めないといけない.しかし,とても元気の出る状態とは言えない.またぞろ10兆円の補正予算を組まざるをえないところにきている.

 これはなにを意味しているか.筆者の考えでは,既成の企業にいくらカネをつぎ込んでも効果のほどは知れている,ということである.米国の例を見ると明らかなように,国や社会が元気を出すためには,まったく新しい企業群を創出する必要があるのであって,過去の栄光に頼っているようなところにいくらカネをつぎ込んでみても,そこから活力は生まれてこないのだ.

 最近になって,日本の政府もようやくそのことに気づいたようだ.いくつかの具体的な施策が打ち出され始めている.米国において,過去10年間に1,900万人の雇用を作り上げたのが大企業ではなくベンチャ・ビジネスであったことを考えれば,これは至極当然のことだ(遅きに失した,という見方もあるが…).

 賢い日本の官僚諸君のことだ.方針さえ決まれば早速いろいろな施策が動き出すことは間違いない.「アイデアはあるんだけど先立つものがなくて」,という人たちは,中小企業庁や,全国の都道府県にある信用保証協会の扉をたたいてみるとよいだろう.必ずやよい知恵を貸してくれるはずだ.


あとは自らの運と努力次第

 考えてもみたまえ.他人まかせでなく,自らが自らの道を切り開く.これほど楽しいことがあるだろうか.これなら,たとえうまくいかなくても,「自分の一生だから」と,納得できようというものだ.大変な道であることは,覚悟しておかないといけないだろう.しかし,大企業だって中小企業だって大変なんだから,同じことじゃないかね.いまではどっちがどっちだなんて,とても言えたものではないと思うがねぇ.



(本コラムはDesign Wave Magazine 2000年1月号に掲載されました)


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◆筆者プロフィール◆
水野 博之.広島県出身.1952年京都大学理学部物理学科卒.松下電子工業取締役,松下電器産業副社長を経て,現在は客員.スタンフォード大学顧問教授,ジョージタウン大学レクチャラ,奈良先端科学技術大学院大学 客員教授,東京大学,大阪大学,名古屋大学大学院の非常勤講師などを歴任.現在は高知工科大学教授,奈良先端科学技術大学院大学 客員教授,立命館大学 客員教授などを兼任.




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