第42回 二つの2010年問題
2000年問題が遺したもの
今となっては懐かしい話になってしまった感がある西暦2000年問題だが,「20XX年問題」という一般表現を世間に広めたという点に関しては十分評価したい.以来,2038年問題(UNIXのタイマ・オーバフロー)だの,2003年問題(都心ビルの過剰供給)だの,各年に何とか問題という名前がつけられていると考えておおよそまちがいない.
大学業界では2006年問題という話題があり,関係者は今この対応に追われている.大学の2006年問題とは,2003年春に始まった文部科学省の新指導要領,いわゆる「ゆとり教育」で教育された高校生が大学に入るのが2006年4月であることを指している.それが何で問題かといえば,大学でこれまで想定していた高卒レベルの基本学力の前提が変わるため,それに対する対応を求められるからである.
国のIT戦略のおかげで小中高校にインターネットとPC環境が整備された結果,インターネットの匿名掲示板とワープロの裏技には妙に詳しくなるのだろうが,はたして数学や理科の常識がどのレベルにあるかということについて,大学や会社はまだ知らないのである.
大学における2010年問題
ともかく,ゆとり教育世代が大学にやってくる.そしてしっかり勉強して,4年後にめでたく卒業する.2010年3月はゆとり教育世代が大学卒として初めて社会に出る年なのである.大学をサービス業と考えるならば,そのアウトプットである卒業生が出る2010年こそ,大学が真価を問われる年ということになる.
ゆとり教育以前から学力低下がいわれているという実感があり,別にゆとり教育だけが悪いということではないと思うのだが,年々専門分野の常識感覚が低下しているように感じる.その延長線上にゆとり教育世代があるということだと思う.
何年か前に,この話題に関連したエッセイを「本当は恐ろしい学力崩壊」というタイトルで書いたことがある.その意図は文系学生の理系リテラシの欠落が問題であるということだったのだが,今では理系学部生でも安心できないのである.
あるとき,念のために…と思って,学生に「コンセントから出ている商用電源の電圧は何ボルトか?」と聞いたら,まじめな顔をして「知らない」といわれてしまった.そんなこと教えられたことがないという.それは教えられることではなく,生活に必要な常識で,生活の中で伝承されることなのだから.確かに,コンセントはコンセントであり,そこにどんな電気が来ているかを知らなくても生活に支障はない.
家電製品も周波数や電圧がユニバーサル化されたものが普通になり,一般消費者は電気の種類を気にしなくなっている.ノートPCのACアダプタも今では90Vから230Vまでどれでも対応するのだから,情報リテラシとして求められているのは電圧ではなく,コンセントの形状なのである.家電のフェイルセーフが進んで,使う側に知識が不要になったということが,この背景にはあると思う.理科離れは相当に深刻なレベルになっているようである.
IT業界の2010年問題
2010年問題とか2007年問題とかいわれる問題もある.一般的には戦後生まれの団塊世代が退職時期を迎えることを意味するが,IT業界ではメインフレームで業務系システムの開発を担当した熟練エンジニアが一斉退職することにより,企業の技術蓄積が失われることへの危機感を指している.
NHKのプロジェクトXに出てくるエンジニアは高齢であることが多いが,IT業界のプロジェクトX世代がこれから定年を迎えるわけである.問題は,そういったシステム・エンジニアが作った本物のシステムがまだ動いているということで,それがトラブルを起こしたときに自信をもって直せるエンジニアが会社にいないという状況が発生する.
プログラムは腐らないから,それがどんなに古いものでも動いているならばモジュールとして伝承される.伝承されるのはモジュールであって,作る技術は伝承されない.会社が長年培ってきた技術が,気が付いたら空洞化していたということが心配されている.
ゆとり教育世代が社会に出るのと,団塊世代の技術者が一斉退職するのがともに2010年と一致していることに,一抹の不安がある.日本のお家芸であるエレクトロニクスや組み込みシステムの技術が急速に低下するかもしれない.
技術の伝承というが,伝承するにもそれなりに文化や常識が共通していなければやりにくい.2010年に向けて,ITやエレクトロニクスの常識を一度整理して,どこで何を教えるのかを定義する必要があるのではないかと考えている.
そんな2010年に向けて一つだけ予言をしておこう.毎年4月にでてくる新入社員のニックネームである.2010年入社社員は「ゆとり社員」と呼ばれることになることはまちがいない.
やまもと・つよし
北海道大学大学院情報科学研究科
メディアネットワーク専攻
情報メディア学講座
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