第47回 機械のためのWWW ― Google Maps APIから考える
最近,代表的なネットワーク・サービスがAPI(Application Program Interface)を一般利用者に対して開放する動きがある.
その一例であるGoogleが提供する地図サービスは,単に閲覧できるだけではなく,その上に利用者がメッセージやアイコン合成してカスタム化した地図を作成できるJavaScriptからのAPIを公開した(Google Maps API).例題の範囲では単に地図にマークを入れられるだけのように見えるが,実際のところ,この延長線上にはGISのデファクト標準化なども考えられるわけで,無料の白地図が手に入るというようなレベルのことではない.
これを分散コンピューティングという視点で見れば,今までも契約のある特定利用者間ではサーチ・エンジンのデータベース利用の相互乗り入れなどでAPI開放は行われていたし,分散オブジェクト処理のプロトコル標準化もずいぶんと進んでおり,考え方が画期的ということではない.
しかし,そういうサービスがインターネット上で一般開放されるということにネットワーク,とくにWWWの利用形態が大きく変わろうとしているように見えるのである.
WWW上の分散コンピューティングの可能性
ネットワーク分散コンピューティングの歴史は長いのだが,その分野の流行キーワードの変化も速い.RPCから始まってCORBA,DCOM,SOAP,LDAPそして.NETといったぐあいで,その筋の専門家でもそれらの違いを説明するのに窮するのではないだろうか.これらはプログラミングの体系,いわゆるフレームワークを提供するが,具体的なサービスを提供するものではない.これまでの分散コンピューティングは下層プロトコルをIT技術者ががんばって作ったから,上位層サービスについては利用者ががんばって作ってくださいということだったように思う.プロトコルだけ作ってもなかなか使ってくれないので,GUIなど共通ミドルウェアまでがんばるのがJ2EEや.NETなどOS層まで管理している企業が提供するフレームワークということだった.
そのため,あるシステムがCORBAやSOAPを使って作ってあっても,利用者はそれにはまったく気が付かない.それに触れるのは企業内のエンジニアだけということになり,かつてWWWの黎明期にあった,「みんなでHTML」というブームにはならないのである.
WWWも見方によっては成功した分散オブジェクト・システムと考えられるが,それはプロトコルが良かったからだけでなく,インパクトのある初期コンテンツ群が存在して,それを合成できるプログラムがテキスト・エディタだけで書けたということが成功の背景にあると思う.この先,WWW上に魅力あるAPIサービスが続々と出てきて,そのプログラミングが簡単にできるようになると,そういったサービスが使うプログラミング・フレームワークが分散コンピューティングの実質的な標準となっていく可能性もある.
機械が使うWWW
WWW上のAPIサービスが普及してくると,複数のAPIを組み合わせて新しいサービスを合成するということも手軽にできるようになる.筆者は釣りが好きなのだが,世界中の釣りに関する情報サービスのRSSとGoogle Maps APIを組み合わせて全世界釣果マップなどということもデスクトップPC上でプログラミングできることになる.そういうサービスを作った後は,筆者は何もしなくても情報は日々更新されることになり,ある意味では知的な機械となる.WWW上のAPIはそういった機械が使うためのサービスになる.
これまでWWWサービスは,その先に人間がいるということを前提としてビジネスやサービスのモデルを作っていた.これからは,その先に機械がいるWWWサービスには新しい運営システムや利用モラルが求められるのではないだろうか.
本当の課題は経済システムか
WWWは,今では電子商取引や広告といった経済システムの一部を担うようになり,それによって運営コストを賄っている.サービスを継続するには資金というエネルギが必要である.少なくとも,今のWWWはその先に人間がいるということを想定して経済システムができあがっている.
実際のところ,分散コンピューティングが使われているのは決済が不要な組織内システムであることが多いが,それはコンピュータがコンピュータからお金を取るということの難しさもあると思う.相手が人間ならば,多少効率が悪いとしても何らかの方法はあるのだが,機械と機械が決済をするというモデルには何か画期的な思想や概念が求められると思う.
機械が使うWWWで何ができるか,妄想を広げていって映画「ターミネーター 2」にたどり着いた.この映画に登場する重要なキャラクタにSKYNETというシステムがある.それはネットワーク上の情報を収集し,自分で分析して軍事行動まで管理するという設定になっていて,映画のストーリはそういった情報システムの暴走から始まるカタストロフィとして進行する.
機械が提供する情報を機械が再処理してサービス化するということは,単に便利ということではなく,社会や経済の根本システムに影響を与える大きな変化の兆しなのかもしれない.
やまもと・つよし
北海道大学大学院情報科学研究科
メディアネットワーク専攻
情報メディア学講座
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