第48回
若者の理科離れ,2007年問題から「浮遊」せよ

 2005年度に経済産業省は「ITクラフトマンシップ」と称された補助事業の公募を行った.この事業の意図は,U20,つまり20歳以下の青少年にITでの物づくりを経験してもらい,若いときからITの基本技術に触れることで,将来のIT産業を支える人材を輩出しようというものである.

 「IT業界2007年問題」ともいわれる熟練ITエンジニアの大量退職時代が目前に迫っていることに加え,若者の理科離れ,IT離れも同時進行しているという現実が今の日本にある.そのため,今のうちに何らかの手を打たねばIT立国日本の未来はないという危機感がこの事業の背景にあるのだろう.筆者は札幌の住民ということもあり,地元のIT分野の業界団体から,この事業に札幌からどういう企画を提案するかというブレストに誘われ,U20対象のIT教育イベントについてあれこれ考えることとなった.

サッポロバレーE.T.プロジェクト

写真 サッポロバレーE.T.プロジェクト実行委員会メンバによって制作された「浮遊物体」
 札幌から提案したのは「サッポロバレーE.T.プロジェクト」である.E.T.といえばスピルバーグの映画「E.T.」,つまりExtra Terrestrialで,そのイメージの先にはUFOや宇宙人とつながる.ディスカバリーチャンネルが好きな理系オヤジはExtreme Technologyという番組を思い浮かべるし,IT屋にとってはEmbedded Technologyということになる.E.T.は子供の夢,理系カルチャー,さらにはITの真髄に共通する記号なのである.

 さて,E.T.という記号を冠して何をやるのか.サッポロバレーE.T.プロジェクトは人類の究極の欲望である「浮遊」に挑戦する.センサとコンピュータを内蔵する飛行物体を開発し,空中を浮遊するテクニックを競うイベントを最終ゴールに設定し,それに至る技術情報の提供とスクーリングを実施するという企画である.

 筆者の想像だが,ITクラフトマンシップ事業を考えた担当者は,これに応募してくるのはいわゆるロボコンやプログラム・コンテストのようなわかりやすい,無難な教育事業を想定していたのだと思う.最近の公共事業で言われることは,その事業の中身よりもわかりやすさとか説明のしやすさが重要であることが多々ある.その観点で言えば,サッポロバレーE.T.プロジェクトはわかりにくく,説明しにくく,そして「飛んでいる」企画なのである.

自律浮遊の難しさ

 さて,この事業は幸運にも採択され実施段階に入ったのだが,実際のところ企画段階では自律飛行物体が手元にあったわけではない.その開発も計画の一部なのである.とはいっても,U20が取り組む話題なのだから,それがどのくらいの難易度で実現できるのか,実行委員会は正確に把握していなければならない.技術チームである札幌のITベンチャ企業経営者や大学の先生達が,飛行原理,制御理論そしてプログラミングの要素技術を持ち寄って自律飛行が実現可能であることを証明する試作機の開発を行うこととなった.

 ところがこれが難しい.最近ラジコンによる飛び物系おもちゃが売られているので簡単なように見えるのだが,現実は大きく違う.ラジコン・ヘリは人間という高度な制御システムがあって飛んでいるのである.飛び物に搭載できるような1チップ・マイコンは人間ほど賢くないし,センサも単純なものしか積めない.システムが複雑化すると重量が増加して浮かなくなるという矛盾も出てくる.自律飛行という目標は,飛行原理からエネルギ問題,そして自動制御とプログラミングまでを包含する総合的な教育テーマなのである.どの一つの技術が欠けても物体が浮くことはない.ある意味,相当に高度な組み合わせ技術の教材となるのである.専門化が進んで薄い層しか見えない最近のIT教育とは逆に,物理からプログラムまで全体を理解しなければ先に進めないのである.

自律浮遊物体に宿るITものづくりの精神

 技術チームの努力のかいあって,実際に浮遊可能なプロトタイプができ,それを使ったスクーリングが高校生から大学生までのチームを対象として開催された.筆者も講師として参加し,学生たちのトライアルに立ち会ったのだが,ここで見えた若者の技術に対する好奇心や鋭さはなかなか興味深いものであった.この経過についてはプロジェクトのWebページ(http://www.sv-et.jp/)を見ていただくとして,筆者がこのスクーリングで感じたU20に対するIT物づくり経験の重要性について少し書いておきたい.

 E.T.プロジェクトは飛ぶということをテーマにしたために,プログラムをまちがえると機体が天井に激突したり,墜落したりして壊れてしまうというリスクがある.ソフトウェア演習ならまちがえてもリセットで再スタートできるのとは大違いである.そういった状況で各チームがどう考え,どう行動するかは個性が大きく出る部分である.

 あるチームが,デモ・フライトで機体を天井に激突させ見事に破壊してくれたのだが,その原因についてのコメントがなかなか意味深であった.「天井が低いのが原因だと思います」.これが単なる受けねらいなのか,まじめな分析なのか,それによってIT立国日本の将来が大きく変わってくると思った次第である.

やまもと・つよし

北海道大学大学院情報科学研究科

メディアネットワーク専攻

情報メディア学講座


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移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

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移り気な情報工学
第62回  地震をきっかけにリアルタイム・システム再考
第61回  海を渡って卵を産む北京の「海亀族」
第60回  超遠距離通信とソフトウェア無線
第59回  IT先進国フィンランドの計画性
第58回  物理的に正しいITの環境対応
第57回  年金,e-チケットに見るディジタル時代の情報原本
第56回  「着るコンピュータ」から「進化した布地」へ
第55回  技術を楽しむネットの文化
第54回  情報爆発2.0
第53回  プログラミングの現場感覚
第52回  GPS+LBS(Location Based Service)がおもしろい
第51回  技術の格差社会
第50回  フィンランドに見る,高齢化社会を支える技術
第49回  たかが技術倫理,されど技術倫理
第48回  若者の理科離れ,2007年問題から「浮遊」せよ
第47回  機械のためのWWW――Google Maps APIから考える
第46回 網羅と完備で考えるユビキタスの視点 ―― u-Japan構想
第45回 青年よ,ITを志してくれ
第44回 Looking Glassに見るデスクトップの次世代化
第43回 CMSはブログに終わらない
第42回 二つの2010年問題
第41回 持続型技術――サスティナブル・テクノロジ
第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
第39回 ユーザビリティの視点
第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
第60回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第一部)

電脳事情にし・ひがし
第14回 韓国インターネット社会の光と陰

第13回 ドイツのソフトウェア産業とヨーロッパ気質〜優秀なソフトウェア技術者は現代のマイスター
第12回 開発現場から見た,最新ロシアВоронежのソフトウェア開発事情
第11回 新しい組み込みチップはCaliforniaから ―― SuperHやPowerPCは駆逐されるか ――
第10回  昔懐かしい秋葉原の雰囲気 ── 取り壊し予定の台北の電脳街 ──
第9回 あえて台湾で製造するPCサーバ――新漢電脳製青龍刀の切れ味
第8回 日本がだめなら国外があるか――台湾で中小企業を経営する人
第7回 ベトナムとタイのコンピュータ事情
第6回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜インターネット通信〜
第5回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜ポルトガルのプチ秋葉原でハードウェア作り〜
第4回 ヨーロッパ/ポルトガルでのエンジニア事情〜市場と就職編〜
第3回 タイ王国でハードウェア設計・開発会社を立ち上げる
第2回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(下)
第1回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(上)

フリーソフトウェア徹底活用講座
第24回 Intel386およびAMD x86-64オプション
第23回 これまでの補足とIntel386およびAMD x86-64オプション
第22回 静的単一代入形式による最適化
第21回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その9)
第20回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その8)
第19回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その7)
第18回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その6)
第17回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その5)
第16回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その4)
第15回 GCCにおけるマルチスレッドへの対応
第14回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その3)
第13回 続々・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第12回 続・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第11回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第10回 続・C99規格についての説明と検証
第9回 C99規格についての説明と検証
第8回 C言語におけるGCCの拡張機能(3)
第7回 C言語におけるGCCの拡張機能(2)
第6回 GCCのインストールとC言語におけるGCCの拡張機能
第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第3回 GCCのC言語最適化以外のオプション
第2回 GCCの最適化オプション ――Cとアセンブラの比較
第1回 GCCの最適化オプション

フジワラヒロタツの現場検証
第72回 現場検証,最後の挨拶
第71回 マイブーム
第70回 OSぼやき放談
第69回 技術者生存戦略
第68回 読書案内(2)
第67回 周期
第66回 歳を重ねるということ
第65回 雑誌いろいろ
第64回 となりの芝生は
第63回 夏休み
第62回 雑用三昧
第61回 ドリームウェア
第60回 再び人月の神話
第59回 300回目の昔語り
第58回 温泉紀行
第57回 人材ジャンク
第56回 知らない強さ
第55回 プレゼン現場にて


Copyright 1997-2005 CQ Publishing Co.,Ltd.


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