第22回
ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

 現在,ブロードバンドが情報通信のキーワードになっている.最近では国力を比較する指標としてもブロードバンド普及率が使われているし,国家のIT基本戦略にも「常時接続の高速インターネット」というブロードバンドサービスを3,000万世帯に普及させるとある.

 新聞などからの情報を見る限り,ブロードバンドの普及にはまったく不安がないように見える.だから,ブロードバンド接続を本当に必要とする人はそれほど多くないとか,ブロードバンドサービスのコストは安くならないなどと言おうものなら,世間から相当な非難を浴びそうな雰囲気である.

 以前,筆者が「ブロードバンドネットワークが家庭で必要な人って案外少ないのではないでしょうか?」という話題をネット界の著名人に投げかけたことがあるが,そのときに返ってきた言葉は,「高速と低速のどっちを取るかといわれたら,高速のほうがよいに決まっているではないですか」という返事だった.

 高速が低速を包含することぐらいは筆者にだってわかる.どちらが良いかではなく,それから得られる成果が支払うコストに見合っているかどうかを,利用者の視点で考えなければいけないと思うのである.そんなブロードバンド識者に投げかけたい三つの素朴な質問を考えてみた.

質問1. ブロードバンドとワイドバンドは何が違うのか?

 辞書にはブロードバンド=広帯域とあるが,逆に広帯域で引くとbroadbandとwidebandの二つの英訳がある.たとえば,次世代携帯電話の通信方式であるW-CDMAはWideband-CDMAの略である.アンテナ技術者や電子回路技術者はwidebandのほうに馴染んでいるので,なぜ情報通信ではブロードバンドを使うのかという素朴な疑問がある.しかし,こんなときは原点に帰って辞書を開くとよい.辞書には,

wide :二点間の距離が大きいことに重点を置く

broad:面の広がりが大きいことを強調する

とあった.

 すなわち,ワイドバンドは与えられた帯域を一つの目的にすべて使うというイメージであり,ブロードバンドは広い帯域を多目的に使うというイメージだと考えるとわかりやすい.

 ブロードバンド=広帯域だから,それを目一杯使う映像コンテンツサービスだというのは,あまりに素朴な発想なのである.筆者自身は,ブロードバンドという言葉に刷り込まれているメッセージは,リッチコンテンツではなくマルチパーパス(多目的)のほうだと思っている.

質問2. ブロードバンドネットワークと高速インターネットは同義か?

 筆者もそうなのだが,多くのインターネット利用者はブロードバンドを高速インターネットのイメージで考えている.しかし,ブロードバンドサービスを低コストで提供する側に立つと,ブロードバンドは「インターネットにもつながっている高速LAN」でなければならない.

 インターネットの帯域を保証するためには,それに見合ったコストがかかるということは当たり前なのであって,今だって帯域を保証しない「エコノミー」サービスと保証される「ビジネス」サービスとでは,表面的な通信速度が同じでも数倍の価格差がある.

 ところで,「あなた」はブロードバンドネットワークに何を期待しているのだろうか? この場合,「あなた」というのが曲者で,お金を払う側の「あなた」とそこから利益を上げる側の「あなた」の価値観は大きく違うのである.お金を払う側の筆者などが期待するのは常時接続の高速インターネットなのだが,利益を上げる側が期待するのは契約者に対する有料コンテンツの配信なのである.

 極端な低価格ブロードバンドサービスは,インフラ利用料だけではビジネスが成立しないので,コンテンツ利用料で収支を合わせることになる.そのモデルでは対外接続品質に投資することは,外部コンテンツの流入を促進し,逆に自分の首をしめることになる.このモデルで運営されるブロードバンドサービスは,消費者側が描く理想の高速インターネットとは違うものになるのではないだろうか.

質問3. なぜ韓国で突出して普及しているのか?

 お隣の韓国ではブロードバンド接続サービスが急速に普及し,世界的に見ても例のないブロードバンド大国であるという記事をよく見る.ブロードバンド化が国力を示す指標であるということからすると,その普及の理由やプロセスをよく学び,それに続けという考え方はわかりやすい.

 しかし,世界的に見てもブロードバンド普及率は韓国が突出しているのであって,これまでインターネット先進国といわれていた北欧や北米ではまだ普及が始まったばかりである.逆に,米国での独立系ADSLサービス企業は業績不振で淘汰が始まったというニュースが流れている.なぜ,韓国が突出してブロードバンドサービスが普及するのか,その背景を冷静に分析する必要があるだろう.

*            *

 ネットワークのブロードバンド化は,技術の進化から見れば必然であり,気がついたらネットワークサービスが高速化されていたというのが自然な成り行きではないだろうか.ブロードバンドサービスが普及しても,使い方は相変わらず電話とメールとWWWサービスが中心ではないかと思っている.

やまもと・つよし 北海道大学大学院工学研究科
電子情報工学専攻
計算機情報通信工学講座 超集積計算システム工学分野


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移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

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移り気な情報工学
第62回  地震をきっかけにリアルタイム・システム再考
第61回  海を渡って卵を産む北京の「海亀族」
第60回  超遠距離通信とソフトウェア無線
第59回  IT先進国フィンランドの計画性
第58回  物理的に正しいITの環境対応
第57回  年金,e-チケットに見るディジタル時代の情報原本
第56回  「着るコンピュータ」から「進化した布地」へ
第55回  技術を楽しむネットの文化
第54回  情報爆発2.0
第53回  プログラミングの現場感覚
第52回  GPS+LBS(Location Based Service)がおもしろい
第51回  技術の格差社会
第50回  フィンランドに見る,高齢化社会を支える技術
第49回  たかが技術倫理,されど技術倫理
第48回  若者の理科離れ,2007年問題から「浮遊」せよ
第47回  機械のためのWWW――Google Maps APIから考える
第46回 網羅と完備で考えるユビキタスの視点 ―― u-Japan構想
第45回 青年よ,ITを志してくれ
第44回 Looking Glassに見るデスクトップの次世代化
第43回 CMSはブログに終わらない
第42回 二つの2010年問題
第41回 持続型技術――サスティナブル・テクノロジ
第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
第39回 ユーザビリティの視点
第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
第60回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第一部)

電脳事情にし・ひがし
第14回 韓国インターネット社会の光と陰

第13回 ドイツのソフトウェア産業とヨーロッパ気質〜優秀なソフトウェア技術者は現代のマイスター
第12回 開発現場から見た,最新ロシアВоронежのソフトウェア開発事情
第11回 新しい組み込みチップはCaliforniaから ―― SuperHやPowerPCは駆逐されるか ――
第10回  昔懐かしい秋葉原の雰囲気 ── 取り壊し予定の台北の電脳街 ──
第9回 あえて台湾で製造するPCサーバ――新漢電脳製青龍刀の切れ味
第8回 日本がだめなら国外があるか――台湾で中小企業を経営する人
第7回 ベトナムとタイのコンピュータ事情
第6回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜インターネット通信〜
第5回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜ポルトガルのプチ秋葉原でハードウェア作り〜
第4回 ヨーロッパ/ポルトガルでのエンジニア事情〜市場と就職編〜
第3回 タイ王国でハードウェア設計・開発会社を立ち上げる
第2回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(下)
第1回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(上)

フリーソフトウェア徹底活用講座
第24回 Intel386およびAMD x86-64オプション
第23回 これまでの補足とIntel386およびAMD x86-64オプション
第22回 静的単一代入形式による最適化
第21回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その9)
第20回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その8)
第19回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その7)
第18回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その6)
第17回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その5)
第16回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その4)
第15回 GCCにおけるマルチスレッドへの対応
第14回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その3)
第13回 続々・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第12回 続・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第11回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第10回 続・C99規格についての説明と検証
第9回 C99規格についての説明と検証
第8回 C言語におけるGCCの拡張機能(3)
第7回 C言語におけるGCCの拡張機能(2)
第6回 GCCのインストールとC言語におけるGCCの拡張機能
第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第3回 GCCのC言語最適化以外のオプション
第2回 GCCの最適化オプション ――Cとアセンブラの比較
第1回 GCCの最適化オプション

フジワラヒロタツの現場検証
第72回 現場検証,最後の挨拶
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