第24回
10年後にも生きている技術の法則

 仲間うちで雑談をしていると,5年先,10年先のコンピュータの能力はどうなるかとか,インターネットはどうなっているかという話題で盛り上がることがある.技術系の専門家なら先が見えているのではないかと考える人もいるようだが,エンジニアの多くは10年後の市場を見て技術開発を行っているわけではない.自分が把握している技術を進化させたり,アイデアを具現化させることに喜びを感じるのがエンジニアであり,それがたまたま市場に受け入れられて安定した需要を満たせたときにビジネスとして成功するのである.

 ITブームになってから,技術主導のサービスや商品企画がたくさんあったのだが,瞬間芸みたいなものもずいぶん多かった.技術やアイデアが画期的だからといって成功するわけではない.逆に,あまりに画期的な技術は市場が理解できずに普及しないで終わることもある.

 今回は独断と偏見で,10年後に市場を作れる技術に共通する法則を考えてみることにした.

10年前に現在のIT技術を予測できただろうか

 まず,10年前を思い出してみよう.10年前に考えていた10年後の世界と現在の状況はどれくらい一致しているだろうか? 10年前というと,PCはMacとMS-DOSの世界であり,インターネットは大学や研究所にしかなかった頃である.最先端のキーワードは,第五世代コンピュータやバーチャルリアリティというところだろうか.

 21世紀には,自動翻訳電話や立体テレビ電話なんていうものが出来ているかのような夢もあったのである.で,現実はどうなったかといえば,PCの速度と容量は100倍以上に上がったのだが,外見だけ見るとコマンドプロンプトがなくなってGUIになった程度の差しかなく,メインとなるアプリケーションといえば,いまだワープロと表計算ソフトである.

 自宅のPCがインターネットにつながったということが最大の変化だったりする.10年前に今後のIT技術と思われていたことで,現在本当に実現できている代表といえるものは,ディジタル携帯電話とインターネットだろう.逆に,期待が大きかった割にあまり普及していないものに,テレビ電話がある.このあたりに,本当に市場が求める技術とそうでもない技術の差があるのではないだろうか.

普及する技術の第一の法則

 10年前の日本のインターネットは,幹線が64kbpsでアクセス線は9600bpsという今から考えれば貧弱な構造だった.それでも電子メールが使えるならばということで,大学関係では急速に普及した.同じ頃,家庭向けのテレビ電話も技術的には使える段階にあったが,その後はあまり普及しなかった.

 その違いはどこにあるのだろう? テレビ電話は,端末が10万円を切れば普及するとか,カラー画面になれば普及するといわれたものだが,実現できるようになった今でも普及したという話は聞かない.

 いつも,次の世代の製品こそが本物だという扱いなのである.そういったわけで,今でも次の世代,つまり携帯テレビ電話が出てくると普及するというふうに期待はどんどん先送りされる.

 ここで,第一の法則を定義しよう.

  「成功する技術は,稚拙な段階から普及する」

 この技術は今のコンピュータでは遅くて使えないが,10倍速くなったら必ず売れるようになるというような話はこれまでに何度も聞いたことがあるが,その後本当にそうなったという話はほとんど知らない.この法則の背景には,性能指数が増加しても感覚指数は対数でしか増加しないという,人間の感覚の本質が隠れていると思う.

普及する技術の第二の法則

 第二の法則は,次のようなものだ.

  「成功する技術は,説明がくどくない」

 10年ほど前に,LispマシンというLisp専用コンピュータがあった.かくいう筆者も大学で1台導入したことがある.画期的なシステムで,OS本体からテキストエディタまですべてLispで書かれていたのだが,Lispで書かれているから凄いと誤解をする人も多かったようである.

 このシステム,設計思想からLispの言語構造まで理解できていなければ使いこなせないというのが現実で,うまくいかないときは自分の頭が悪いからと納得するシステムだった.結局,このシステムは人工知能研究者のステータスシンボルという小さな市場しか作ることができなかった.

 説明が必要なかったサービスの代表といえばWWWである.もっと具体的にいえば,WWWブラウザだ.WWWは,HTML+HTTPという構造がよくできているようにも見えるが,実際のところこれが爆発的に普及したのはマーク・アンドリーセン氏が学生時代に作ったMosaicのユーザーインターフェースの功績だった.Mosaicは,そのしくみが説明される前に普及が始まったのである.消費者は技術の本質に感動しているのではなく,技術の本質が作る性能や機能に感動しているのだから.

大学の研究開発に成功の法則はあてはまるか

 ここまで書いてきて,さて自分がやっていることはどうなのだろうかと考えた.大学での研究者の行動原理から想像されるパターンは,どうもここに上げた二つの法則に反しているのである.できそうでできないことをテーマにするのが研究予算を獲得するには都合がよいし,論文の執筆はくどい説明をする技術を競っているのが現実である.

 大学教員に研究者としての成功と,事業家としての成功の両方を求めることは酷ではないだろうか.どっちか一つで許してほしいものだ.

やまもと・つよし 北海道大学大学院工学研究科
電子情報工学専攻
計算機情報通信工学講座 超集積計算システム工学分野


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第58回  物理的に正しいITの環境対応
第57回  年金,e-チケットに見るディジタル時代の情報原本
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第48回  若者の理科離れ,2007年問題から「浮遊」せよ
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第43回 CMSはブログに終わらない
第42回 二つの2010年問題
第41回 持続型技術――サスティナブル・テクノロジ
第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
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第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
第60回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第一部)

電脳事情にし・ひがし
第14回 韓国インターネット社会の光と陰

第13回 ドイツのソフトウェア産業とヨーロッパ気質〜優秀なソフトウェア技術者は現代のマイスター
第12回 開発現場から見た,最新ロシアВоронежのソフトウェア開発事情
第11回 新しい組み込みチップはCaliforniaから ―― SuperHやPowerPCは駆逐されるか ――
第10回  昔懐かしい秋葉原の雰囲気 ── 取り壊し予定の台北の電脳街 ──
第9回 あえて台湾で製造するPCサーバ――新漢電脳製青龍刀の切れ味
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第5回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜ポルトガルのプチ秋葉原でハードウェア作り〜
第4回 ヨーロッパ/ポルトガルでのエンジニア事情〜市場と就職編〜
第3回 タイ王国でハードウェア設計・開発会社を立ち上げる
第2回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(下)
第1回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(上)

フリーソフトウェア徹底活用講座
第24回 Intel386およびAMD x86-64オプション
第23回 これまでの補足とIntel386およびAMD x86-64オプション
第22回 静的単一代入形式による最適化
第21回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その9)
第20回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その8)
第19回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その7)
第18回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その6)
第17回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その5)
第16回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その4)
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第14回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その3)
第13回 続々・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第12回 続・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
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第6回 GCCのインストールとC言語におけるGCCの拡張機能
第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第3回 GCCのC言語最適化以外のオプション
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第1回 GCCの最適化オプション

フジワラヒロタツの現場検証
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第57回 人材ジャンク
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