第25回
日本はそんなにIT環境の悪い国なのか

 日本政府がe-Japan戦略を打ち出して,かれこれ一年が経つ.形はともあれ,日本のIT化は着実に進んでいるように見える.これまで,日本では通信インフラが弱いとか,コストが高いという情報通信に関する「後進性」がIT化の阻害要因だったと言われ続けてきたのだが,本当にそうなのだろうかと思うことが最近よくある.

 最近,筆者は海外出張が続き,韓国,米国,フランス,そしてオーストラリアと歩き回ってきた.そうした国の人達と話をしていて,どうして日本のIT環境がそんなに悪いと言われ続けているのか説明できないことが多い.

 たしかに,ある一面ではどこかの国が突出していることがあるかもしれないが,すべての面で突出している国はない.

 そこで今回は,ここ数か月,筆者があちこちの国を歩き回って見直した,日本のIT事情の自慢話をしてみたい.

日本ほどISPサービスの安い国はない

 2001年の夏以降,日本国内におけるADSLサービスの価格低下には目を見張るものがある.1.5Mbpsの契約なら,月額約3,000円が相場になっている.1日に換算にすると100円だから,スーパーで買うコーラ1缶の価格と同じぐらいになる.

 韓国でもADSLサービスの価格は日本円換算で3,000円くらいなのだそうだが,韓国でコーラ1缶は50円以下なので,コーラ価格で正規化すると1日2缶になり,日本の2倍くらいの感覚といえる.

 また,米国における家庭向けADSLサービスは,月額50$程度である.つまり,円で換算すると6,000円ぐらいが標準になってきている.コンビニでコーラを買うと50セント以下で売られているから,コーラに換算すると1日3.3缶ということになるので,それなりに高いサービスということになる.

 このように考えてみると,今では日本は画期的にインターネットサービスが安い国といえるのである.これまでは,通信コストが高いから日本のインターネットの普及が遅れたと言われていたわけだから,今の状況でも米国並みに普及しないとしたら,その理由は別にあることになる.

 現在のインターネットの低価格サービスは,昨年から爆発的に始まったADSLの価格競争のおかげなのだが,それ以前においても定額のISDNサービス料金は月額6,000円くらいだったのである.ADSLと比べて速度の差はあるかもしれないが,定額サービスということに関しては,コーラ価格比で見たらそれほど高かったわけではないように思う.

もっと自慢してもよい日本のワイヤレスネットワーク

 2001年の秋に,北海道の釧路沖15kmの海上で釣り舟が転覆するという事故があった.幸い,発見が早くて全員が救助されて事なきを得たのだが,それにはわけがあった.釣り人が防水型の携帯電話をもっていて,転覆してから電話をかけたら海上保安庁に通じたのだという.それぐらいは当たり前だと思う人も多いかもしれないが,よく考えてみるとそんなところからでも普通に携帯電話が繋がるということは,凄いことなのである.

 また,別のニュースでは冷蔵倉庫に閉じ込められてしまった人が,携帯電話で救助を求めて助かったという話もあった.今の日本では,携帯電話が繋がらないところは「例外」的な地域だと考えられているように見える.しかも,そのうえにパケット課金のディジタルコンテンツサービスが提供され,ビジネスが成り立っている.そんな国は日本以外では聞いたことがない.

 もっといえば,日本ほど携帯電話のマナーにうるさい国もない.電車の中では必ず使用を禁止する車内放送が行われているし,自動車を運転中は携帯電話の使用禁止が法律で決められている.先日出かけたオーストラリアのアデレード市の路面電車には,“夜8時まで車内での携帯電話は使用禁止”と書かれてあった.あれ?車内で携帯電話を使用できないように禁止しているのは,他人への迷惑だけでなく,医療機器へ影響がある可能性があるからではなかったのか?

 また,ワイヤレスサービスといえば,移動体インターネット接続サービスは世界的に見ればIMT-2000,つまり第三世代携帯電話によって初めて可能になるサービスということになっている.ところが日本では,第三世代携帯電話が普及する以前から,移動中でも使えるPHSインフラによるパケット通信インターネット接続,それも定額サービスが存在している.PHSの場合は32kbpsという速度制限こそあるが,メールとWebページを見るだけならばそれほど使い勝手が悪いわけではない.こんなサービスが普通にある国も見たことがない.

*          *

 筆者は2001年の夏に札幌で,韓国のブロードバンドコンテンツサービスの会社を経営している方を交えてパネルディスカッションをする機会があった.その席で,日本のパネラーは韓国のブロードバンドビジネスに未来を見ているような話をするのに対し,韓国のパネラーは日本の携帯電話に未来が見えるというような話をしていた.結局,隣の芝生は青く見えるということではないのだろうか.

 先進事例という言葉がある.外国の例に学ぶということは無駄なことをしないという意味で非常に大事なことなのだが,その国の良い例が,必ずしも日本で受け入れられるというわけではない.また,その国でも成り立っていないことが,先進事例として紹介されていることもある.筆者の感想は,もう少し日本のITは自信をもってもよいのではないかということである.

やまもと・つよし 北海道大学大学院工学研究科
電子情報工学専攻
計算機情報通信工学講座 超集積計算システム工学分野


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移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

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移り気な情報工学
第62回  地震をきっかけにリアルタイム・システム再考
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第60回  超遠距離通信とソフトウェア無線
第59回  IT先進国フィンランドの計画性
第58回  物理的に正しいITの環境対応
第57回  年金,e-チケットに見るディジタル時代の情報原本
第56回  「着るコンピュータ」から「進化した布地」へ
第55回  技術を楽しむネットの文化
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第53回  プログラミングの現場感覚
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第51回  技術の格差社会
第50回  フィンランドに見る,高齢化社会を支える技術
第49回  たかが技術倫理,されど技術倫理
第48回  若者の理科離れ,2007年問題から「浮遊」せよ
第47回  機械のためのWWW――Google Maps APIから考える
第46回 網羅と完備で考えるユビキタスの視点 ―― u-Japan構想
第45回 青年よ,ITを志してくれ
第44回 Looking Glassに見るデスクトップの次世代化
第43回 CMSはブログに終わらない
第42回 二つの2010年問題
第41回 持続型技術――サスティナブル・テクノロジ
第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
第39回 ユーザビリティの視点
第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
第60回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第一部)

電脳事情にし・ひがし
第14回 韓国インターネット社会の光と陰

第13回 ドイツのソフトウェア産業とヨーロッパ気質〜優秀なソフトウェア技術者は現代のマイスター
第12回 開発現場から見た,最新ロシアВоронежのソフトウェア開発事情
第11回 新しい組み込みチップはCaliforniaから ―― SuperHやPowerPCは駆逐されるか ――
第10回  昔懐かしい秋葉原の雰囲気 ── 取り壊し予定の台北の電脳街 ──
第9回 あえて台湾で製造するPCサーバ――新漢電脳製青龍刀の切れ味
第8回 日本がだめなら国外があるか――台湾で中小企業を経営する人
第7回 ベトナムとタイのコンピュータ事情
第6回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜インターネット通信〜
第5回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜ポルトガルのプチ秋葉原でハードウェア作り〜
第4回 ヨーロッパ/ポルトガルでのエンジニア事情〜市場と就職編〜
第3回 タイ王国でハードウェア設計・開発会社を立ち上げる
第2回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(下)
第1回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(上)

フリーソフトウェア徹底活用講座
第24回 Intel386およびAMD x86-64オプション
第23回 これまでの補足とIntel386およびAMD x86-64オプション
第22回 静的単一代入形式による最適化
第21回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その9)
第20回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その8)
第19回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その7)
第18回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その6)
第17回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その5)
第16回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その4)
第15回 GCCにおけるマルチスレッドへの対応
第14回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その3)
第13回 続々・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第12回 続・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第11回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第10回 続・C99規格についての説明と検証
第9回 C99規格についての説明と検証
第8回 C言語におけるGCCの拡張機能(3)
第7回 C言語におけるGCCの拡張機能(2)
第6回 GCCのインストールとC言語におけるGCCの拡張機能
第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第3回 GCCのC言語最適化以外のオプション
第2回 GCCの最適化オプション ――Cとアセンブラの比較
第1回 GCCの最適化オプション

フジワラヒロタツの現場検証
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