第26回
1テラバイトで作る完全なる記憶

 デフレ経済と半導体技術の革新が同期して進んでいるためか,今では情報蓄積コストがとんでもなく安くなってしまった.最近,街で見かけた安売りハードディスクの値段は,60Gバイトで1万5千円程度だった.つまり,1Gバイトあたり250円ということになる.しかし,今の値段が底値とは考えられないので,あと2年も経つと,200Gバイトにアップしたドライブがやっぱり1万5千円で売られているのだろうと想像する.

 ハードディスクの価格対容量比にも,プロセッサの進化のバロメータであるムーアの法則が当てはまるのかもしれない.そういえば,先月に研究室で導入したサーバ機はP4-2GHzでメモリは2Gバイト搭載されていた.今ではちょっと高めのPCにすぎないが,10年前に同レベルのマシンを導入しようとしたら国際調達になってしまうような代物である.それぐらいメモリやCPUが安くなっている.

 1Tバイト(テラバイト)のハードディスクを標準搭載したPCが10万円台で売られることになるのも時間の問題だろう.PCをパーソナルコンピュータというならば,個人の利用者はそれで何をするのかを考えておかねばなるまい.

1テラバイトの価値

 さて,10Gバイト,100Gバイトでは驚かなくなってしまった昨今だが,さすがにテラバイト級のPCはまだ普通ではない.そこで,1Tバイトあったら何ができるのかを考えてみよう.

 ワープロ文書やデジカメ写真を入れても,1Tバイトはそう簡単には埋まらない.現在のところ,大容量データの筆頭はビデオ映像である.たしかに,ビデオ映像はいくらでもディスクを埋められる.1Tバイトでは,500時間程度を記録できることになる.これだけ記録できればたしかに凄いと思うが,映画で200本以上となると,ビデオコレクターでもなければそんなに映像コンテンツを集めたりはしないというところが問題である.1Tバイトは,個人が意識して埋めるデータサイズの領域を越えている.

 とはいっても,広い世間にはすでにテラバイト級のデータベースが存在する.たとえばWWWの検索エンジンである.この中にあるインデックス情報がテラバイト級になることは,現在のWWWの規模から容易に想像できる.検索エンジンのデータベースは人間が入力したものではなく,ロボットが自動的に収集したデータであるというところがミソである.思うに,パーソナルテラバイトの世界は,個人が意識せずに集めるデータに価値が出るのではないだろうか.

完全なる記憶に必要な容量

 最近,永田町界隈では「言った」,「言わない」というのが流行語になっているそうである.人の記憶はあいまいなものということなのだが,それでは済まないこともある.筆者も,電話で約束をして,しばらくしてからメモをしようと思ったら,そのときには約束した時間を忘れてしまっていたということが日常的にある.几帳面な人はその都度メモを取るのだろうが,そういう人はきっとメモをしなくても覚えているように思う.

 さて,過去に起こったことを,その後何かの理由で引き出すためには,過去のイベントをすべて記録しておかねばならない.そこで,会話によるコミュニケーションをモデルに,そのために必要な記憶容量を計算してみよう.

 会話は携帯電話で伝送が可能である.ちなみに,現在の携帯電話の標準ビットレートは9.6kbpsだそうだから,それを基準に考えることにする.さて,1時間あたりの会話のデータ量を計算すると(9.6kビット×3600)/8 バイトで約4.3Mバイトとなる.1日16時間活動しているとして約70Mバイト/日,1年間で25.2Gバイトほどになる.ある人の会話を携帯電話品質ですべて録音しても,1年間で25Gバイトもあれば足りてしまうことになる.それを40年間続けてようやく到達するのが1Tバイトである.テラバイト級のハードディスクには,人間一人の完全なる生涯会話記録を入れることが可能なのである.

 こんな記憶装置を身に付けたら,何から何まで記録に残って嫌だと思うかもしれないが,自分だけがその記憶にアクセスできるのならば,それはそれで安心でもある.完全なる記憶が実現されたといってもよいだろう.

記憶代行から予想する未来人の体型

 そんな記憶補助装置ができたら,ただでさえ衰えている人間の記憶力がますます衰弱することも考えなければならない.使わない機能は急速に退化するものである.以前に,未来人の顔を予想するという雑誌記事を見たことがあるが,それには未来人は頭脳労働が主になるため,頭部が異常に発達してアンバランスに頭が大きい体形になると記述されていた.

 本当にそうなのだろうか.ワープロで漢字が書けなくなったのと同様に,テラバイト級の補助記憶が人間の記憶を代行するようになると,記憶能力が退化する恐れがある.現実に,各種情報サービスは人間の知的作業を代行しているわけだから,IT利用者の知的能力は退化する方向に作用していると考えるのが自然である.だとすると,本当の未来人は頭が退化して小頭,小顔になるのではないだろうか.

 最近,人気女性タレントが小顔系であることに一抹の不安を感じている.

やまもと・つよし 北海道大学大学院工学研究科
電子情報工学専攻
計算機情報通信工学講座 超集積計算システム工学分野


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移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

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移り気な情報工学
第62回  地震をきっかけにリアルタイム・システム再考
第61回  海を渡って卵を産む北京の「海亀族」
第60回  超遠距離通信とソフトウェア無線
第59回  IT先進国フィンランドの計画性
第58回  物理的に正しいITの環境対応
第57回  年金,e-チケットに見るディジタル時代の情報原本
第56回  「着るコンピュータ」から「進化した布地」へ
第55回  技術を楽しむネットの文化
第54回  情報爆発2.0
第53回  プログラミングの現場感覚
第52回  GPS+LBS(Location Based Service)がおもしろい
第51回  技術の格差社会
第50回  フィンランドに見る,高齢化社会を支える技術
第49回  たかが技術倫理,されど技術倫理
第48回  若者の理科離れ,2007年問題から「浮遊」せよ
第47回  機械のためのWWW――Google Maps APIから考える
第46回 網羅と完備で考えるユビキタスの視点 ―― u-Japan構想
第45回 青年よ,ITを志してくれ
第44回 Looking Glassに見るデスクトップの次世代化
第43回 CMSはブログに終わらない
第42回 二つの2010年問題
第41回 持続型技術――サスティナブル・テクノロジ
第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
第39回 ユーザビリティの視点
第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
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第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
第60回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第一部)

電脳事情にし・ひがし
第14回 韓国インターネット社会の光と陰

第13回 ドイツのソフトウェア産業とヨーロッパ気質〜優秀なソフトウェア技術者は現代のマイスター
第12回 開発現場から見た,最新ロシアВоронежのソフトウェア開発事情
第11回 新しい組み込みチップはCaliforniaから ―― SuperHやPowerPCは駆逐されるか ――
第10回  昔懐かしい秋葉原の雰囲気 ── 取り壊し予定の台北の電脳街 ──
第9回 あえて台湾で製造するPCサーバ――新漢電脳製青龍刀の切れ味
第8回 日本がだめなら国外があるか――台湾で中小企業を経営する人
第7回 ベトナムとタイのコンピュータ事情
第6回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜インターネット通信〜
第5回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜ポルトガルのプチ秋葉原でハードウェア作り〜
第4回 ヨーロッパ/ポルトガルでのエンジニア事情〜市場と就職編〜
第3回 タイ王国でハードウェア設計・開発会社を立ち上げる
第2回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(下)
第1回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(上)

フリーソフトウェア徹底活用講座
第24回 Intel386およびAMD x86-64オプション
第23回 これまでの補足とIntel386およびAMD x86-64オプション
第22回 静的単一代入形式による最適化
第21回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その9)
第20回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その8)
第19回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その7)
第18回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その6)
第17回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その5)
第16回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その4)
第15回 GCCにおけるマルチスレッドへの対応
第14回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その3)
第13回 続々・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第12回 続・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第11回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第10回 続・C99規格についての説明と検証
第9回 C99規格についての説明と検証
第8回 C言語におけるGCCの拡張機能(3)
第7回 C言語におけるGCCの拡張機能(2)
第6回 GCCのインストールとC言語におけるGCCの拡張機能
第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第3回 GCCのC言語最適化以外のオプション
第2回 GCCの最適化オプション ――Cとアセンブラの比較
第1回 GCCの最適化オプション

フジワラヒロタツの現場検証
第72回 現場検証,最後の挨拶
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