第28回 映画に見る,できそうでできないIT
私の大学での仕事は,教育と研究と雑用である.建前は教育と研究の比重が五分五分であり,雑用はないということになっているが,実感としては大学内の評価は研究が8割で,残りを教育と雑用が分けるという具合である.そんなこともあって,大学に籍を置く限りは研究テーマを探し続けなければならないことになる.そして,研究テーマなんてどこにでもありそうだが,これが難しいのである.
IT分野などの企業や公的研究機関がしのぎを削る分野では,何か新しいことを思いついたとしても,ほとんど同じ内容の研究が国内外のどこかで行われているということが多いのである.そこでもし,画期的な研究テーマが見つかったとしたら,それだけで研究人生は相当にハッピーになれる.
というわけで,SF映画に出てくる未来型のITなどは,できそうでできないという点において研究ネタになる可能性を秘めていそうである.今回は,映画の中で出てくるIT関連は,果たして実現できるかどうかを考えてみたい.
目線の合うビジュアルコミュニケーション
スターウォーズではR2D2がデス・スターの説明をする際に,空中にバーチャルイメージを浮遊表示する.この映像は周りにいる人がすべて見ることができる.将来,ホログラムディスプレイがそういうイメージで実現されるのではないかと予感させてくれるのだが,理屈で考えるとどうもできそうもない.ホログラムの情報量が多くてディジタル記憶ができないということではなく,ホログラムの本質からいって,そんなものはできそうにないのである.
ホログラムは光学波面の記録・再生技術なのだが,問題は波面がどこに記録されているかということである.ホログラムは,空間のある断面で切り取られて固定される.普通はフィルムに固定されている.だから,ホログラム像はフィルム面の向こうか,フィルム面を背景にして表示される.普通のディスプレイに発光面やスクリーンがあるように,ホログラムには物理的な記録面がある.それゆえ,全周から見えるホログラムならば,円筒か球状のホログラムスクリーンが先に存在しなければならない.
そのようなホログラムディスプレイは限りなく立体テレビに近くなってしまい,SFのにおいが薄くなってしまうのである.インテリアとしても空間浮遊型ディスプレイは魅力的なのだが,これはホログラムではなく,空間発光のような別の原理で作らねばならないだろう.
ユビキタスな秘密兵器たち
昔の007シリーズがその代表なのだが,映画の中ではすばらしい秘密兵器が唐突に出てくる.「もっているなら先にそれを使え」という突っ込みはさておき,この使いたいときに自然にそこにあるというのが,今はやりのユビキタスコンピューティングのイメージである.ユビキタスの真意は,「意識しない」というところだと思う.何かする前にその準備をするようでは,まだユビキタスではない.とはいえ,意識しなければその存在が忘れさられる.
実際,ビデオや携帯電話では多彩な機能が用意されていても,そのほとんどが忘れ去られてしまい,日常で使われているのはビデオなら電源とプレイボタンだけである.これではなんのために便利な機能を入れたのかわからなくなってしまう.
また,コンピュータが存在しているということを意識させるのもユビキタスではない.衣服や家具のように,電源コードなどの線が本来付いていないものには,たとえコンピュータが組み込まれても線が付いてはいけない.それなら無線ネットワークにしようという考えは甘い.電源コードのほうが,ネットワークよりも深刻な問題になる.本当のユビキタスコンピュータは,給電問題を解決することが先であるように思う.
日本でロボット研究が盛んな理由の一つに,鉄腕アトムの存在があるといわれている.人間とロボットが共存するというイメージを作ったことがその理由といわれるが,筆者にはもう一つ,“お茶の水博士”というスーパーエンジニアの存在が重要だったように思う.高度成長期以前に作られたテレビヒーローには技術系の天才がかっこよく登場するものが多い.
そういった技術系ヒーローは,日本経済の成長とともに薄れていったような気がする.e-Japanの重点目標の一つが人材育成だとするならば,本当に重要なのは,エンジニアになることがかっこいいというイメージを作ることではないだろうか.
やまもと・つよし 北海道大学大学院工学研究科
電子情報工学専攻
計算機情報通信工学講座 超集積計算システム工学分野
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