鎌田 博之

開発現場から見た,最新ロシアВоронеж(ポロネジ)のソフトウェア開発事情


 最近,ロシアのソフトウェア産業が注目を集めつつあるようです.確かにこの1年の間に,日本経済新聞の日曜版で2回ほど特集で紹介されました.それによると「優秀な技術者」,「魅力的な人件費」,「言語の壁」,「マネジメントの課題」など,さまざまな角度からの評価や考察がされています.

 また,日本企業と現地企業の合弁事業も活発化しています.しかし,一口にロシアのソフトウェア事情と言っても,その実態を簡単に類型化し理解できると考えるのは無理があります.人口約1億5千万人,世界一の国土面積,永らく社会主義諸国の雄として君臨してきた国であり,とくに将来ロシアのソフトウェア産業と何らかの関わりを持とうと考えている場合,単純に考えることは危険と言えます.

 筆者は,1989年のゴルバチョフ政権時にプリンタの輸出に関係し,初めてロシアを訪問しました.その後,2001年以降,ロシアのソフトウェア製品や,技術者に接してきました.

 今回は,みずからの経験やロシア人技術者との交流,取引先の首脳陣との交渉などで得た情報を紹介しながら,将来の日露のソフトウェア産業交流の方向性を探ります.なお,これはあくまでも筆者の仕事上で得た経験と見解であり,ロシアのソフトウェア産業を総合的に述べたものではありません.

ロシアのソフトウェア開発拠点
――ボロネジ市の街のようす

 ロシアの技術部隊は図1の地図に示すボロネジ州の州都であるボロネジ市にあります.

 ボロネジ市の人口は91万人,日本の都市でたとえれば,仙台市くらいの規模の都市です.モスクワから500kmほど南に下ったドン川の近くにあり,第二次大戦では激戦の舞台になった都市です.

 ところで,意外なことに,モスクワは東京からはロサンゼルスとの距離より1,000kmほど近いところにあります.ボロネジ市へのアクセスは,寝台列車か高速道路(?…途中でこぼこ道が続く)になります.空路もありますが,利便性がそれほどでないため,あまり使われていないようです.

 日本からアエロフロートの直行便でモスクワに飛ぶ場合,モスクワ到着が夕刻となるため,たいていの場合,午後9時過ぎにモスクワの中央駅を出発する寝台列車を利用して,翌朝8時前にボロネジ市に到着します.寝台列車は2名利用の個室で7,000円程度です(写真1).

 ボロネジ市は軍事関係の技術開発基地の拠点の一つで,モスクワから高速道路を使う場合,何か所か検問所を通過することになります.

 そのほかは,大部分を見渡す限りの平原や,防風林を横目にボロネジ市をめざします.その性質から,ボロネジ市が政策的に陸の孤島化されていたことを実感する一面です.

 モスクワより若干温かいそうですが,厳冬期にはマイナス20度を下回ることもあります(写真2).

 また,地方の中核都市として,表1のように,人口に比べ,かなりの数の各種教育機関が集中しています.学園都市の一面をもった都市でもあります.

図1 ロシアのボロネジ市の位置

写真1 ボロネジ市中央駅

写真2 中心街の広場

表1 ポロネジ市にある各種教育機関
教育機関名専攻学生数
ボロネジ州立大学コンピュータ・サイエンス21,000
数学
機械工学
物理学
化学
生物学
地理学
放射線物理学
文学
言語学他
ボロネジ州立工学技術大学放射線技術12,000
自動電気工学
ロボット工学
物理学
師範大学教育学8,000
技術院財政学7,500
経済学
情報システム
土木工学大学――――7,900
農業大学――――8,000
医科大学――――1,200
合計65,600

ロシアのソフトウェア産業は
インドや中国とは違う

 ロシアのソフトウェア産業と日本のソフトウェア産業の交流は,“アウトソーシング”が一つのキーワードとなっているようです.確かに,人件費を見た場合,魅力的でしょう.しかし,長期的に見た場合,かならずしも人件費は決定的要因ではありません.

 90年代前半には,米国シリコン・バレーの企業では,すでにロシアの優秀な技術者と開発契約を結び,ロシアからリモートで自社のサーバにアクセスさせ,開発コストの低減を図っている場面がつぶさに見られました.その当時のロシア人技術者の契約金額は,月200ドルから300ドルでした.しかし現在は,モスクワ在住の優秀な技術者であれば,優に月2,000ドルを超えます.

 また,すでに日本のソフトウェア産業の一翼を担いつつある,インド,中国のソフトウェア技術者とロシアの技術者は異質と考えます.ロシアのソフトウェア産業を理解するには,その生い立ちと社会的背景を理解する必要があります.

● ロシアのソフトウェア産業の基礎は冷戦時代に作られた

 1987年頃からの東欧の民主化,1991年のソビエトの終結は未だ記憶に新しいところです.同時に,1987年は東芝機械のNC工作機械のCOCOM違反事件がアメリカでの東芝製品の不買運動を引き起こすなど,大きな国際問題となり,当時の通産省が「コンプライアンス・プログラム」の徹底に奔走した年でもありました.

 これは,当時の“共産圏”への“先端/戦略物資/技術”の輸出に関する規制の厳しさの一端を実感させた事件でした.

 当然,ソビエト政府は西側に対抗するため,とくに軍事,治安関係のシステムを自前で構築する必要があり,各種ソフトウェア開発を国家事業として行いました.そのため,以下のような特徴があります.

@西側に対抗しうる多様なソフトウェアの開発を実施

 現在のロシアには,思いがけず,パッケージ化,商品化の可能な多様なソフトウェアが存在します.

A優秀な理数系の学生を重点的にソフトウェア開発に配置

 これは,組み込みシステム用のデータベース・ソフトウェアの開発のメイン・アーキテクトであったロシア人技術者の話ですが,70年代から80年代にかけて,ソビエト政府は,西側の共産圏への輸出規制であるCOCOMのために,最新のハードウェアを入手できず,西側のシステムに伍するために,ソフトウェアの開発,技術に注力し,理科系の優秀な学生を優先的にソフトウェア開発の仕事に配置したとのことです.

 これにより,単なるソフトウェア開発者ではなく,さまざまな科学分野の頭脳が,ソフトウェア開発に携わることとなり,ソフトウェアの機能,性能の向上に貢献したと言われています.

Bモスクワだけでなく,地方の中核都市でも同様な政策を実施

 これらソフトウェアの開発は,モスクワだけでなく,地方の中核都市でも実施され,地方のソフトウェア技術の水準の向上に貢献しました.

 これらの事業は,冷戦により必要に迫られたものですが,結果として,ロシアにおけるソフトウェア産業の基礎を形作るものとなりました.

● ロシア製ソフトウェアそのものの優秀性

 これも冷戦の皮肉な恩恵ですが,前述したように,ソビエト当時は入手できるハードウェアが,西側では2世代か3世代前のものであり,西側のものに比べ,メモリ・サイズが小さい,CPU速度が遅い,ハードウェアの物理的なサイズが大きいなどのハンディを背負った開発を余儀なくされました.必然の結果として,ソフトウェアは,機能性を損なうことなくフット・プリントは小さく,メモリ・リークは厳禁,性能向上のため,OSを含めた基本ソフトの独自技術の開発を促し,これを多様な科学分野の優秀な頭脳で実現したわけです.そして西側にひけをとらない,優秀なソフトウェアが開発されました.

● ソフトウェア企業の基盤はそれほど整備されていない

 一方で,ソフトウェア産業の基礎はできていたものの,90年代のソビエト政権の崩壊と,その後の混乱で,インド,中国のように,優遇政策などで産業として育成されませんでした.そのため,国有企業から民間企業への移行がかならずしも効率的に行われたわけではなく,一般論として,企業基盤は,一部の例外を除き,磐石とは言えません.これは,国内需要の少なさ,ソフトウェアの価値に関する理解不足,営業力不足を物語っています.

● プロジェクト管理の課題

 ロシアの技術者は,優秀な反面,ドキュメント作成などは苦手なようです.これも,ロシアの技術者を日本に呼んだときの話ですが,顧客を訪問し,技術打ち合わせを行った際,メモやノートを持たずに参加して,慌てさせられたことがあります.

 本人は,きわめて優秀な技術者で自信をもっている結果なのでしょうが,ここは辛抱強く説明し,改めさせました.

 それからあまりユーザの評価や理解を意識していないように思います.これは,開発がソビエト時代は,個人に依存していたことを物語っています.ロシアにアウトソーシングを行う場合,最初に直面する課題かと思います.

 これらの特徴は,やはり社会背景として,良くも悪くもソビエト時代がいまだに色濃く影を落としていることを示しています.

ロシアでの開発実態

 ボロネジのソフトウェア開発拠点では,組み込みシステム向けリレーショナル・データベース管理システム「Linter」シリーズをサポートしており,かなりの日本企業で採用されています.

 実は,実際に最初に本格的にロシアの技術者を使った仕事は,2002年のBluetooth開発のアウトソーシングでした.この仕事をきっかけに,Linterの日本顧客向けの開発,最適化作業の要員30名を擁するまでになりました.しかし,これに至るまでは,さまざまな曲折がありました.

● ロシア・ビジネスのきっかけ

 これも90年代の世相が色濃く反映されたきっかけで,ビジネスの可能性が芽吹きました.

 90年代初頭から後半にかけて,米国ではロシアの技術者が,次々と渡米し,開発に携わったり,ロシア製のソフトウェア製品の紹介を行っていました.Linterを知ることとなったのは,とある取引先を通じて,ロシア製のOSを紹介されたのが発端です.

 このOS事業自体は,見送りとなったのですが,その後,97年にロシアから米国に移住したばかりのロシア人技術者を紹介されたのです.その技術者が,このデータベース・ソフトウェアの開発者で,2001年に代理店契約を締結,その後,提携の範囲をBluetoothに拡大し,現在に至っています.

● ロシア・ビジネスの形態

 現在,日本・ロシア・米国で図2のような技術サポート体制を敷き,日本の顧客の多様な要求に応えています.商流も,日本→米国取引先→ロシアの開発部隊とし,各種規制,為替リスクなどの負担を軽減しています.

 ここで重要なのは,米国取引先の責任者がロシア人(Anatoli Pechkov:RelexUS社,米国デンバー)で,しかもロシアの開発部隊の所在地の出身であることです.

 ロシアのビジネスでは,ロシアの技術部隊の管理はロシア人(ロシア現地の常勤マネージャはAlexander Bychkov氏)で,プロジェクトの管理手法は日本の手法を踏襲,最終的な管理責任は米国取引先を基本政策にしています.

図2 日・米・露によるビジネスの内容

● ボロネジの技術部隊

 LinterやBluetoothの専任の開発/サポート部隊であるロシア人技術者は,30名を超える規模で,さらに増員中です.

 ロシア人技術者は図3のチームで構成され,運営はすべてロシア人の手で行われています.ただし,QC(品質管理)については,日本から技術者が出向き,協議を重ね,日本的手法を取り入れたQC政策を実施しています.

 ロシアにアウトソーシングを行う場合,納期管理,進捗管理,品質管理の三つが重要となり,そのため,どうしても日本から人員を送りがちとなります.しかし,筆者の会社の場合は,米国取引先に管理責任を求めることにより,この負担を軽減しています.

図3 ロジア・ボロネジのソフトウェア開発部隊の構成

● 意外に働き者のロシア人

 ロシア人のイメージとして,ともすれば先入観で,あまり働かない,融通が利かない,などと想像する人も多いのですが,これは,少なくとも,IT関係の技術者には当てはまらないようです.これは,認識を新たにした点ですが,きちんとした信頼関係があれば,週末も出社して作業を行い,場合によっては徹夜ということもあります.

 2003年の年末の実例ですが,暮れも押し詰まった12月30日に,Bluetoothの案件で仕様の全面見直しが入り,緊急招集を行い,12月31日から1月2日まで5名を召集しました.3日に正式の仕様書を完成,4日には客先に届けるという離れ業もありました.

 この点,とくに緊急事態に対する即応性の求められる組み込みシステムの仕事においては,心強い特性です.

● とくに基本ソフトウェアやインフラ系の技術に強い

 人件費との兼ね合いになりますが,ロシア人技術者は,基本ソフトウェアやインフラ系の技術にとくに能力を発揮します.これは,64%を超える大学進学率と無縁ではないと思われます(写真3写真4).

 これも,Bluetoothの開発での経験ですが,2003年に米国のベンチャからBluetooth事業を買い取り,事業を展開するにあたり,アメリカ人技術者のコストを鑑み,思い切って半年間の準備期間を取って,ロシアの技術者にアウトソーシングを行いました.この際,OSのメジャーな更新を行ったにもかかわらず,新規プラットホームへの移植をわずか3か月半で実現しました.また,コストも大いに軽減できました.さらに,今年,新たに共同で,独自のBluetoothソフトウェアをリリースしましたが,メモリ・リーク・ゼロ,業界最速クラスの性能を実現しています.

 これは,データベース・ソフトウェアのチューニング,関連ソフトウェアの開発にも如何なく発揮され,サポートに定評を得ています.

写真3 開発チーム.右から3人目が筆者,左から2人目がブライセン社長 藤木 優
写真4 ボロネジの開発室とそのスタッフ

● 人件費に関する一般的な傾向

 ロシアでは,正式の給与以外に,アルバイトで副収入を得るケースが少なくありません.これを隠語で「White Money」と「Black Money」と呼んでいるようです.この場合,はなはだしいケースでは,副収入が正式の収入を上回ることもあるようで,問題化するケースもあります.

 そこで,企業によっては,相場をある程度上回る給与を支払い,代わりにアルバイトを厳禁しているところもあるようです.

 また,具体的な金額は控えますが,モスクワに比べ,地方都市では,若干人件費も低くなっています.さらに,いわゆる給与体系に沿った給与ではなく,個人の成果を評価して決定する,成果主義が主流のようです.

● ボロネジのソフトウェア産業

 現在ボロネジ市には,従業員30名から50名位のソフトウェア・ハウスが100社前後あると言われています.当然,会社のレベルはまちまちで,その選択は容易ではありません.

 ましてや,ボロネジ市の場合,地方都市で,かつ交通の便も決して良くないため,日本企業が進出している形跡はありません.これは,ほかの地方都市でも大同小異ではないでしょうか.

 これを打開する方策は,やはり有力な人脈を通じ,直接その地域の会社にコンタクトすることが重要でしょう.ただ一口に有力人脈といっても簡単に接触できるものではありません.一方では,日本に進出してきているロシアのIT企業もちらほら見られるようになりました.

 日本に進出して事務所を構えているロシアのIT企業とビジネスを行ってノウハウを蓄積しているロシアに拠点をもつ企業の連絡会があるので,まずはそこを通じて,徐々に事業を展開することが現実的なアプローチの一つでしょう.

 いずれにせよ,事業展開の要諦は古今東西を問わず,人間的な信頼関係の構築であり,1〜2年の展望ではなく,3〜5年の長期展望に基づいた提携を考えるべきで,苦労した分だけ,得るものも大きいものです.

*            *

 ロシアとの事業展開,あるいはロシアのソフトウェア産業のご理解の参考になれば幸いです.


かまだ・ひろし

(株)ブライセン

先端技術事業部 事業部長 取締役





copyright 2006 Hiroshi Kamada

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