フジワラヒロタツの現場検証(59)

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300回目の昔語り
 筆者が本誌を購読し始めたのは,創刊後数号目くらいからでした.まだ中学生で,マイクロプロセッサも発明されて間もないころですね.

 秋葉原にあこがれていたことは以前に書きましたが,当時の地方のマイコン少年の情報源は,雑誌しかありません.『トランジスタ技術』は以前から購読していましたけれど,『インターフェース』はさらにいろいろな切り口でこの新しい技術を教えてくれました.

 当時のマイコン関係の記事の筆者の方々は,ほんとうに皆さん専門分野以外の方ばかりで,ホビイストとプロフェッショナルが同じ雑誌に記事を書かれていたりしても,とくに違和感がないのです.もっとも,マイクロプロセッサ自体が生まれたばかりの技術で,とくに専門家という方がいなかったのかもしれません.コンピュータの専門家は,そんなものは玩具としか思えなかったでしょうし,高価すぎてコンピュータを思う存分いじれなかったコンピュータ専門家以外の人たちがどっとなだれ込んで来たのですから.

 コンピュータにあこがれて,当時『ラジオの製作』に載っていたTTLでのコンピュータ製作記事 注1を読みふけっていた筆者は当然飛びついたというわけです.


注1:74シリーズのTTLで演算回路から組んでいました.手作りミニコンといったところでしょうか.
注2:クロックを止めることのできるSC/MPというプロセッサもありましたね.

 当時はクロックも1kHzの時代ですから注2,回路のアナログ的な振る舞いを気にかけることなく,ディジタル回路を組むことができました.これまた,非専門家にとって参入しやすい良い時代だったと思います.

 ソフトウェアのほうも,はじめは機械語,アセンブラでしたし,2KBASICなどが発表されて,入出力ルーチンさえ組めば使えるようになりました.筆者は1978年4月号の本誌に掲載されたVTL/Kを打ち込んで走らせたりしたものです.そういえば,当時のディスプレイは,文字表示だけでしたから,ちらつきを抑えるための長残光性の蛍光剤を使ったものが高級品でした.現在の,動画表示のため液晶ディスプレイの応答時間の短さを競う状況とは正反対です.

 年寄りに昔語りをさせると,話はつきないものですが(苦笑),誰も先人がいないところを自分のペースで進めていくのはとてもエキサイティングで楽しい経験でした.その時代時代で技術のメインストリームの階層はどんどん移り変わっていますから,今の人たちは,たとえばMFCの上にのっかったモノづくりやLinuxのパッケージの組み合わせをベースに作っていくのでしょう.以前ほど単純ではないにせよ,開拓する荒野はかえって増えているかもしれません.筆者も300号を区切りに,ここらでまた新しいスタートを切るために,本誌を熟読しなければと思いますが,ま,303号目あたりで挫折しそうな気がします.そういえば昔から本誌は,あとで役に立つ雑誌でした.――そうだ.未来の自分が熟読するからいいとしますか.

藤原弘達 (株)JFP デバイスドライバエンジニア,漫画家

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