第43回

〜番外編〜


会社設立を振り返って


長谷川さんと小林さんとは仕事を通じてよく日本で会ったりしますが,今回は私が来日していることもあり,シリコンバレーの外でシリコンバレーっぽい会社ということで,番外編をやってみます.私は仕事で,起業家やそれを支持するベンチャーキャピタルと仕事をすることが多いのですが,立ち上げられた(株)エッチ・ディー・ラボ(以下HDラボ)は,かなり成功しているほうだと思います.今回は,起業や独立したことについてお話を伺いたいと考えています.まず最初の質問ですが,会社を始める前はどんな気持ちでしたか? また,4年前はどんな感じでしたか? まず長谷川さんにお聞きしましょうか.
当初は,上場してお金がたくさん入って来るとか,ごく一般的なイメージ(笑)はありましたが,何より自分の気持ち的な要素のほうがはるかに大切でしたね.
どんな気持ちでしたか?
とにかく自分で会社を作ってみたいということや,自分で会社を切り盛りしてみたい気持ち……自分でもできるんだ!というところをまわりに見せたいという気持ちが強くありました.
……なるほど,一般的にはお金持ちになるためとか考えそうですが,違う動機があったのですね.
そうですね,EDAツールを中心にした設計のトレーニングやコンサルティングを柱に事業を進めていくことを当初考えていましたが,これは考えどおりにいったといえます.予想どおりでなかったところは,2年目ぐらいに会社として回りはじめた頃,その後はどうやって事業を拡大していくとか,何をやっていくとか,そういったことは考えていなかったので,いまだに大きな課題となっています.
コンサルティングとトレーニングに着目した点は?
コンサルティングは,以前の会社でIC設計の仕事をしていたときに日本国内の会社が自社の力だけですべての設計をやっていくことには無理があると感じていたので,外部の設計資源という形でコンサルティング会社の必要性はあると確信していました.ただし問題は,どれくらいの対価を払ってくれるかというところで,独立する前はまったく見えませんでした.
トレーニングも同じ考え方で,専属の設計トレーニングや教材を一つの会社ですべてそろえることは難しいです.
マーケットの存在はあるものの,その中のシェアや実際の収入がどれくらいになるかが不透明だったわけですね.
それで,この対価の問題は実際にやってみたら,あっさりと答が出た気がします.実際にやってみると抵抗感を感じない顧客がかなりいて,事業性があると確信しました
なるほど.小林さんの起業時の状況はどうだったのでしょうか?
私の場合は,前の会社の同期ですでに数人起業したり独立した人達が周囲にいました.長い人で,もう10年ぐらい会社をやっている人がいます.ですから自然と自分にも声はかかっていましたし,いずれは自分も会社を辞めて何らかの起業に参加することを非常に意識していました.
これは意外ですね.周りの環境が起業を進めていたような感じですね? 前の会社は典型的なメーカーと呼ばれるところですよね.
そうです.しかし,さまざまな形のベンチャーを同僚が起こしていました.とにかく豊富な例が転がっていて刺激があったので,自分の中では「オレもいずれは」といった意識が強くありました.それで何をやるかについてですが,私の場合,前の会社の社内で自分の所属するグループ以外の設計チームに行って設計を手伝うとか設計環境の構築を行うという仕事が増えていました.たんに仕事を丸抱えするのではなく,コンサルタントのようにある部分について手伝うというスタイルですね……. たとえば,検証環境の構築とか…….
社内のお手伝いからコンサルティングという仕事の存在や可能性を確認したということですね?
そうですね,かなりの量があったので,社外でもなんとかなるという可能性は見つかったと思います.それでまた,たまたま当時Interface誌で読んだ記事か何かで,シリコンバレーのもっとも優秀なエンジニアは起業して会社を作ると,その次に優秀なエンジニアはコンサルティングを始める……最後に普通のエンジニアは会社に残ると……(笑).自分は「いちばんトップのエンジニアじゃないけれどコンサルティングぐらいはできるぞ!」と思い,やってみることにしました(笑).

今回のゲストのプロフィール


長谷川裕恭(はせがわ・ひろやす)

 1984年上智大学物理学科卒業.同年キヤノン入社,フルカスタムLSIの開発に従事.1987年LSIデザインセンタおよびEDAツール販売を手がけるエス・シー・ハイテクセンターのスタートアップに携わる.1988年ごろよりHDL設計に携わり,1991年日本で初めてVHDLによるLSIを開発.1992年エス・シー・ハイテクセンターが米国シノプシス社に買収され,日本法人のコンサルティング部門のマネージャとして活躍.1996年(株)エッチ・ディー・ラボを設立し,ロジック回路設計のコンサルタントとして活躍.著書に『VHDLによるハードウェア設計入門』〔CQ出版(株)〕がある.





小林 優(こばやし・まさる)

 1981年山梨大学電子工学科卒業.同年にカシオ計算機入社.時計LSI開発,ディジタルVTR(未発売)開発,画像処理研究,携帯端末開発などに従事.社則にもない「FA宣言」を含む何回もの「社内転職」を経験.1996年にコンサルティング会社エッチ・ディー・ラボの設立に参加.HDLセミナの企画,開発,講師などに従事し,現在はHDLのマルチメディア教材HDL Endeavorの開発責任者.「受託」より「開発」が信条.著書に『ハイクラスC言語』(技術評論社),『入門Verilog-HDL記述』〔CQ出版(株)〕がある.趣味はマラソン,ウィンドサーフィン,サッカー観戦,ウクレレなど.







エンジニア以上の発想


サラリーマン生活から起業家になったときのカルチャーショックとかはありませんでしたか?
今でもたくさんあります!(笑).エンジニアとして考えると,メーカーに勤めているときは気づかなかったのですが,企画の段階から仕事をしているエンジニアが少ないことがあげられます.とくに,これは自分が最近企画に近い仕事をしているから感じるのかもしれませんが,もしかしたらエンジニアとして仕事をしていない人のほうが新しい考えが出やすいかもしれません.
大きな会社だと,どうしてもプロジェクトを断片的にしか見られない可能性はありますよね.小さなベンチャーだとそうはいかない…….
もう一つは,物作りのエンジニアリングだと品質だとか,自社のブランドにこだわりがあるのだけれど,コンサルティングやトレーニングなどのサービス中心だと,顧客の満足度が大事になる.だから自分が納得いかなくても顧客が満足していれば大成功……というシナリオも,多く経験しました.これはカルチャーショックでした.
そいういう意味では,HDラボで必要なエンジニアは典型的な物作りだけのエンジニアではないですね,あるときは顧客の前に出てトレーニングをしたり,あるときは顧客と肩を並べて仕事をしたり,あるときは会社にいて純粋な開発プロジェクトに携わったり……ちょっとふざけた表現でいくと「芸がたくさんできるエンジニア――歌って踊れるエンジニア」(笑)が必要だと思うのですが.HDラボはうまく人選ができていると感じています.何か気を付けているところはありますか?
まったくおっしゃるとおりの「歌って踊れるエンジニア」が理想なのですが,いわゆる全体的にバランスが良いエンジニアですね.本当のところは,いまだに人を探すのに苦労しています.いままでは,過去のコネとか知り合いというルートで来てもらっているので,来る人についてかなり知っているという状態なんですね.だけどこれからは,そういうわけにもいきません.コネ以外のところで,どうやって人を引っ張ってくるかが課題です.
何かとくに注意していることなどありますか?
言葉で言い表しにくいのですが,何か雰囲気でちゃんと技術力はあるし顧客の前で上手に立ち回ってくれそうな人っていうのは,感覚で何かわかります.私自身は,個人のやる気がもっとも大事と考えていますから,継続的に良い雰囲気で仕事をいかにやってくれるかが,われわれ経営や会社のリーダーシップを取っている者の課題でもあります.
人選よりも,職場の雰囲気作りが大切と感じているわけですね.
私の場合は,最近面接をすることが多いので,自分達の仕事に身を乗り出してぐらい興味をもってくれることがカギだと感じています.われわれのやろうとしていることに少しでも興味をもってくれてがんばってくれそうな人がいれば,いけると感じています.小さな会社なので,エンジニアリング以外のことを求めることもあります.たとえば,企画とか顧客の前で説明するとかね.そういう意味で,従来のエンジニア像にとらわれず,さまざまなことに好奇心をもってもらいたいですね.

人脈とかコネの必要性


コネや過去の人脈を使った話が出ましたが,顧客とか社外の協力してもらう人にもいろいろなコネクションがあり,HDラボは上手に使っていると感じてますが,これは意識してますか?
まず会社を作るまでに,私の場合は4年ほど準備期間をもったという意識があります.その中で,とにかく自分の名前をより多くの人に知ってもらう努力をしました.そのとき,たまたま仕事でコンサルティンググループに配属されたので社外の人と多く会う機会ができたり,著書が出たので,それで自分の名前を狭い業界内だけでも知ってもらうことができたと思います.

私の場合はとくに意識はしていなかったのですが,雑誌の連載などをやることでEDAベンダからの招待でセミナを受け持ったりする機会があり,自分の名前を売るきっかけになりました.私もちょうど会社ができる頃に著書が出たので,それが名刺代わりになりました.おかげで,会社を始めた頃どこに行っても「どこの馬の骨だ?」といった扱いを受けることはありませんでした(笑).

う〜ん,狭い業界の中ですから,コネの面ではわれわれ二人とも苦労していないと思います.でも,これから自分達のちょっと畑違いのような業界に飛び出した企画とか仕事をする場合どうなるかですよね.

たしかに,今後ステップアップするためには今の業界の外に出ていく可能性は高いので,そこでどうなるかが大きな課題ですね.


次回の予告

 HDラボとは,もう一人の設立者の長野義史氏と以前仕事をともにしたことで縁がある.筆者はいろいろなベンチャーの起業を見てきているが,HDラボはなかなかの立ち上がりを見せているシリコンバレーらしいベンチャー企業だ.次回は資金調達,自己管理,個人のやる気,エンジニアリング以外の仕事など,これからの起業に必要なキーポイントについて伺う.






トニー・チン
htchin@attglobal.net
WinHawk
Consulting

 

copyright 1997-2001 H. Tony Chin

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移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

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移り気な情報工学
第62回  地震をきっかけにリアルタイム・システム再考
第61回  海を渡って卵を産む北京の「海亀族」
第60回  超遠距離通信とソフトウェア無線
第59回  IT先進国フィンランドの計画性
第58回  物理的に正しいITの環境対応
第57回  年金,e-チケットに見るディジタル時代の情報原本
第56回  「着るコンピュータ」から「進化した布地」へ
第55回  技術を楽しむネットの文化
第54回  情報爆発2.0
第53回  プログラミングの現場感覚
第52回  GPS+LBS(Location Based Service)がおもしろい
第51回  技術の格差社会
第50回  フィンランドに見る,高齢化社会を支える技術
第49回  たかが技術倫理,されど技術倫理
第48回  若者の理科離れ,2007年問題から「浮遊」せよ
第47回  機械のためのWWW――Google Maps APIから考える
第46回 網羅と完備で考えるユビキタスの視点 ―― u-Japan構想
第45回 青年よ,ITを志してくれ
第44回 Looking Glassに見るデスクトップの次世代化
第43回 CMSはブログに終わらない
第42回 二つの2010年問題
第41回 持続型技術――サスティナブル・テクノロジ
第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
第39回 ユーザビリティの視点
第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
第60回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第一部)

電脳事情にし・ひがし
第14回 韓国インターネット社会の光と陰

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フリーソフトウェア徹底活用講座
第24回 Intel386およびAMD x86-64オプション
第23回 これまでの補足とIntel386およびAMD x86-64オプション
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第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
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第1回 GCCの最適化オプション

フジワラヒロタツの現場検証
第72回 現場検証,最後の挨拶
第71回 マイブーム
第70回 OSぼやき放談
第69回 技術者生存戦略
第68回 読書案内(2)
第67回 周期
第66回 歳を重ねるということ
第65回 雑誌いろいろ
第64回 となりの芝生は
第63回 夏休み
第62回 雑用三昧
第61回 ドリームウェア
第60回 再び人月の神話
第59回 300回目の昔語り
第58回 温泉紀行
第57回 人材ジャンク
第56回 知らない強さ
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