第48回

Engineering Life in Silicon Valley

シリコンバレー企業の活力の謎を求めて

〜対談編〜


現場で覚えたさまざまなこと

今野さんは現在もっとも注目されている会社のひとつ,nVIDIAにいらっしゃいますが,この仕事についた背景からお話しいただけますか?
大学を卒業してすぐに半導体商社に入り,半年ぐらい人事部にいた後,営業部に配属されました.そこでは,S3社のグラフィックスチップや台湾のVIA社のチップセット,AlphaやStrongARMといったCPU,PCI-PCIブリッジ,イーサネットコントローラ,その他の周辺機器系のチップを扱う仕事をしました.
なるほど.かなり広くデバイスを扱っていたのですね.大学では電子工学だったのですか?
いいえ,電子でなく,経営工学です.こちらで言うIndustrial Engineeringですね.
それではいろいろ勉強されたのですか
かなり勉強しました.でも,まず物流のほうから仕事を始め,その後だんだんと技術的なことをやるようになりました
技術的な話が理解できるまでには,どのくらいかかりましたか?
半年ぐらいです.顧客から同じ質問が来ることに気づき,ポイントをつかむことができたので,この程度で済みました.しかし,勉強だけでは足りないこともありました.初めてBGAパッケージを使ったときのことです.はんだづけで問題が発生したのですが,明確な答が見つからず,「BGAってなんだ?」という基本的なところから問題を解決しました.結局,はんだづけの温度が問題だったのですが,これは現場で試行錯誤してわかるもので,学校で学ぶものではありません.とても印象に残っている仕事です.
そういうパイオニア的な仕事は印象に残りますよね

今回のゲストのプロフィール


今野 純
(こんの・じゅん)

1972年生まれ.5年間の半導体商社での営業経験後,シリコンバレーに転勤.各ベンダとの取り引きをサポートするなかで,新規ビジネスのマーケティングリサーチなどを行う.シリコンバレーの長所やアメリカ企業の合理性などを学ぶべく転職.現在はnVIDIA社のプログラムマネージャとして勤務している.



工夫した英語の修得方法

アメリカのベンダとはいつ頃から仕事をしていましたか?
マーケティングの仕事をやるようになってからです.製品の販売促進以外に,製品のトレンドや顧客のニーズをベンダや仕入先に送る仕事や,逆に海外のトレンドを顧客に紹介する仕事をしていました.いずれもベンダがアメリカなので,英語が必要になりました.
英語は得意なほうですか?
いいえ,はじめは全然駄目でした.5〜6年前の話です
それをどのように克服しましたか?
まずは通勤時間と寝る前の30分に,ヒアリングマラソンを必ず聞くようにしました.耳を慣らすことから始めてみたのですが,そうすると自然に単語が広がってゆきますね.最初は雑音のようにしか聞こえない英会話が,耳慣れしてくると単語が拾えるようになります.そうすると集中しなくても自然に自分の中に入って来るので,少し余裕ができます.その余裕で今度は理解度を高め,英会話が理解できるようになりました.
それはわかりやすいやり方ですね.では,自分の意見を述べたりするのにはどうしましたか?
これはE-mailのやり取りが多かったことが幸いしました.喋る前に書くほうから入ったのですが,このほうが楽だったと思います.E-mailの文章だとパターン化できるのです……たとえば問い合わせのときには,Please let me know about〜とか使うので,質問するときには大体同じパターンを使うわけです.それで自分のパターンを増やし,そのパターン同士の組み合わせでより実践的なやり取りができるようになるわけです.
E-mailだと短文が多いのでパターン化しやすいですよね.
また,聞くことに慣れて単語が増えていくとアメリカ人からパターンを教えて貰えるということもあります.相手が使った単語やパターンを,今度は自分が使ってみるわけです.まあ,今でも学ぶことは多いですし,辞書もよく引いていますよ(笑).
アメリカ人から単語やパターンの例を学んで逆に使うわけですね.これも良い方法ですね.

目的を達するための渡米

それでいつ頃からシリコンバレーに?
商社にいたときです.個人的には二つ目的があり,英会話の上達と,アメリカの会社の活力の謎を知ることでした.アメリカと日本の企業はどう違い,なぜ常に新しいものを出せるのかという点です.日本人はすごく長く働くし優秀だと思っていたので,その違いが不思議で仕方がなかったのです.
赴任されて,その二つの目的は達成できたのですか?
こちらに1年ほどいたのですが,日本人相手の仕事が多く,あまり英語を喋る機会がありませんでした.もう一つの目標ですが,これはますます謎が深まりました.5時に帰宅するとか,金曜の午後はビールパーティとか,がむしゃらに働いているイメージはありませんでした.でも,ちゃんとすごい製品を市場に投入してくるんですよね.それでますますわからなくなり,自分のこれらの目標を達成できないまま日本に帰るのが残念に思えたのです.
この二つの目標は,日本を飛び出してでも達成したかったのですか?
そうです.それで目標を達成するために,いくつか会社の面接を受けることにしました.自分なりに自分の求めている会社を考えたのですが,一つはアメリカに長く居たかったのでグリーンカード(米国移民権)が欲しいということ.そのためにはある程度の規模の会社でないと,INS(アメリカ移民局)が定めているスポンサー企業になれないので,スタートアップは無理です.もう一つは,その分野でナンバーワンの会社に入りたかったのです.その会社のすごさを確かめたかったからです.また,そういう会社の優秀な人と一緒に仕事をしてみたいと思ったのも理由の一つです.nVIDIAを選んだのは,グラフィクス関係を自分がやっていたことと,自分の条件をクリアしていたからです.
実際にシリコンバレーの会社にいて,見えてきたものは?
まず,「アメリカ人が仕事をしない」というのは自分の大きな勘違いでした.今の会社には優秀な人がたくさんいて,なおかつ若い,それでこの人達が死ぬほど働いているのです.これならナンバーワンになって当然と思えるくらいです.
優秀な人の密度がかなり高いのですね.以前のゲストの櫻井氏も言っていたのですが,シリコンバレーは層が厚いので,卓越した人もいればどうしようもない人もたくさんいる.でも,すごい会社というのは,その優秀な層の人の密度がかなり高い.
それは同感です.以前,シリコンバレーを代表する有名な半導体メーカーと付き合ったのですが,その部署だけかもしれませんが,そんなに成果を上げる人はいませんでした.自分としてはかなり期待外れでした.しかし,今いる会社は,社外の人が言うには,かなり働く人の多い会社だと…….
グラフィクス関係のICは競争が激しいので,会社が出来たり潰れたりと回転が速いですよね.だから,競合する会社や撤退した会社からも優秀な人が集まるのでしょう.シリコンバレー全体が大きな会社で,そこにある会社が部署みたいなんです.だから,みんな良い仕事があるところに自然に流れて行く…….
そうですね.だから不況になってもみんな焦らない.みんな次に行けそうな会社があるし,すぐに打診が来る.グラフィクスだと3年ぐらいでトップが変わるので,今の会社がずっとトップであり続けるとは思えないと同僚が言っていました.だから次のトップの会社に行けるように,自分のスキルアップをするんですね.これはなかなか日本の会社にはない考え方です
みんな社外の状態に敏感ですよね
私の場合,むしろ内部からのプレッシャーを感じます
それは,どういうことですか?
私の部署は,他の部署と連携して仕事を進めないと仕事が回っていかないので,お互いにプレッシャーを掛け合って仕事をしています.これは中に入って初めてわかったのですが,こういうものがあるからしっかりしていると感じました.

日本人にもっと頑張って欲しい気持ち

ほかに発見などはありますか?
発見と言うよりも気になっていることがあります.私のいる本社だけでも約800人の社員がいるのですが,アジア系の人はたくさんいるのに,日本人は私一人だけなのです.もっと日本人が活躍しても良いと思うのですが,そうでないのが残念ですし,これからが心配です
心配というと?
いろいろな国の人を見ていると,国や場所にこだわらず,ベストな仕事ができる環境などを求めて生活や仕事をしている人が多いのです.それに日本が今後もずっと技術先進国であり続けるとは思えません.ですから海外の良いところを積極的に取り入れて欲しいのですが,日本を離れて生活・仕事をするまでには至りません.海外のやり方も導入し,企業の新陳代謝を活発化して欲しいですね
他のアジアの国を見ていると,もともと日本ほどの技術基盤がないのに,人と情報の行き来が激しいので,力をつけるペースが速いですね.台湾が半導体王国になるなんて,私自身も10年前には想像できませんでした.
台湾も活力がありますよね.ある人によると日本の終戦直後のようだそうです.もう一つ,シリコンバレーに居る人の中で,日本の存在感が薄いのも心配ですね.取り引き先が日本企業であるとか,その程度でしょうか? このままだと,だんだん日本抜きで進むようになるのではないかと考えてしまいます.自分は日本人として仕事をしているので,日本のことが心配になります.まあ,個人的な目標なのですが,ゆくゆくは,スタートアップや小さい会社なども体験してみたいです.そこで学んだことなどをいずれは日本に戻って活用したいですね

●対談を終えて

 インタビューは多忙な中で時間を割いて行われた.今野氏は最近シリコンバレーに来た若手だ.いろいろと自分なりの方法で英会話を修得したり,自分の転職先をしっかり決めているところが素晴らしいと感じた.また,日本人として体験したアメリカをしっかりと見て,これをどう将来につなげるかを熱く語ってくれたのが非常に印象的だった


トニー・チン
htchin@attglobal.net
WinHawk
Consulting

 

copyright 1997-2001 H. Tony Chin

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移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

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移り気な情報工学
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第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
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第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
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第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
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Copyright 1997-2005 CQ Publishing Co.,Ltd.


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