第58回

Engineering Life in Silicon Valley

さまざまなエンジニアリングにチャレンジ(第一部)


ドキュメンテーションがきっかけ

ニックはもともとハードウェアエンジニアだったのですよね? 最近はソフトウェア寄りの仕事をしているみたいですが…….
そうです,Amdahl社でECLチップの設計をやっていました.当時は最大500ゲートぐらいのチップで各ボードに20〜30個ぐらい実装されていましたね.すべて社内で作ったツールを使ってデバイスを作っていました.

今回のゲストのプロフィール

Nicholas Y. Pang(ニコラス・パング):マレーシア生まれ,少年時代をイギリスで過ごした後,アメリカで電子・情報工学の勉強をする.ウィスコンシン州大学にて修士号を取得.メインフレームメーカーのAmdahl Corporationを経てCadence Design Systemsのコンサルティンググループでハードウェア設計の経験を積む.その後インターネット関連の仕事に転進,PointCastでコンテンツプロデューサの職につく. ’99年からWhere2Net, Inc.を設立する.男の子2人,女の子1人と奥様の5人家族.



ECLチップとAmdahl! 懐かしいですね. ’80年代の初期だと私はまだ学生でしたが,大学でも人気の会社でしたよね.ECLは富士通で製造されていたと記憶しているのですが…….
たしかに80年代だとまだパソコンも業界として認知されなかったので,コンピュータの仕事をするならIBMかAmdahlでした.8080や8086がやっと出てきた時代で,ECLデバイスは富士通のラインで作られており,当時は3週間程度のTATでした.のちにAmdahlが富士通の子会社になったのはこの関係からです.

内製ツールはどういうものでしたか?
ロジックやブール方程式を手動で作成し,チップ上の素子に自社製回路図エディタみたいなもので入力して組むものです.シミュレータや検証ツールは自社で開発しました.元となるアルゴリズムやソースコードは,大体CADが盛んな大学の研究論文,たとえばUC Berkeleyなどの論文と一緒に発表されるソースをヒントにしたりしました.また,その大学の出身者を雇ったりもしました.私は設計のほうだったのですが,ツールを作る部門とよく意見を交換しました.

それでソフトウェアの世界に入っていったのですか?
いいえ,それがちょっと変わったきっかけでして…….当時の社内で複数のグループと共同設計をすることが多かったのですが,それぞれのグループが異なったドキュメントを作るので設計ミスが多かったのです.あるグループはWordとFrameMakerを使ったり,あるグループはUNIXのviを使ったり,また違うグループはtroff/nroffを使ったりしていました.お互いに設計したドキュメントが読めないのでミスが出るわけですね.そこで自分でプログラムを書き,すべてRTF(Rich Text Format)に変換して,ファイルはFrameMakerで読むことができるようにしました.結局,データベースのようなものを構築し,内容のクロスリファレンスを取ったりできるようにしました.まあ,1982年ぐらいだからまだハイパーテキストができる前の時代ですよね.そのときはMIF(Markup Interface Format)というマークアップ言語を初めて使ったため苦労しました.現在あるようなブラウザがあればどんなに楽だったことでしょうか.

troff/nroff……懐かしい名前です.大学ではほとんどあれで卒論などを書いていたし,職場でもそのまま使うところが多かったですね.現在のHTMLなどのマークアップ言語が出る前のハイパーテキストによるプログラミングで,そういう意味では時代の先を行ってましたよね(笑)!

ユーザーのフィードバックのたいせつさ

実際はAmdahlではメモリやキャッシュの設計などをちゃんとしていたんですよ.それでRedwood Design Automationというベンチャー企業を経てCadenceのコンサルティンググループに移りました.ここでは,いままでの設計経験をもとに顧客のデザインサービスを行うわけです.SONET ATMやDEC Alphaのシミュレーションモデルやツール上で動くエミュレータを作りました.

どういうところが面白かったですか?
Cadenceはツールベンダなのですが,私のグループはそのツールを実際に使って設計の一部を行っていました.これはツールのバグ出しや足りない部分を見つけるのには有効でした.オラクルでもよくやるのですが,まだ存在しない製品をコンサルティング契約の中から作りあげる方法です.つまりコンサルティング契約で作業した結果を製品に反映させるわけです.

う〜ん,まだできていない,もしくは存在しないVapor Wareを売りつけて先にお金をとってからつじつまを合わせたりするという話に似ていますが(笑).でも顧客の欲しいソフトと実際の問題を元にプログラムが書けるので,確実ですね.
同感です.私もこの数年自分で製品を企画して書いたりしていますが,テストには頭を痛めます.自分の想定したセルフテストでは限界がありますが,良いベータテストならば本当に製品の質が変わると思います.どうしてもプログラムの中から外を見た感覚でテストを作ってしまいますから.

内面から見たバグ出しはメモリリークを直したりとかデータのやり取り的などの基本演算みたいなものが多いですよね.でも,実際のユーザーテストになると企画する際に想定したユーザーモデル,ストーリーボードが正しいかチェックされますね.
そうそう! 自分達のストーリーボードの内容が間違っていると,根本的に使い方に無理があるとかそういうことですから.また,そこそこ使えたとしてもユーザーの使った感覚,User Experienceに大きく響きます.そういう意味ではマイクロソフトのUIはうまいですよね.みんないろいろ文句はあるかもしれないけれど,レガシー的なものから新しいものまで,うまく吸い上げて製品に反映させていると感じています.

 あとは,子供の使うソフトなどのUIも出来が良いですよね.ソフトではないのですが,子供がゲームボーイで遊んでいて,自分の名前を入力するところを見ていたのですが,キーボードがないのに画面上の疑似キーボードみたいなものでスイスイと入力してました.十字キーとほかのボタンいくつかだけでもかなり速かったですね.ゲーム機も少ないボタンやインターフェースでさまざまな機能をよく実現していると思います.子供にとって自然にできているのでしょうか? それとも過去遊んだゲームの経験が反映できるようになっているのでしょうか? とにかく,マニュアルなど読まないでゲームが進められるみたいです.だから,自分のソフトも子供にGUIの部分を見せて意見を聞いたりします.


デベロッパープログラム


良いソフトウェアには,必ず良いお客さんが裏にいるといわれてます.親身になってちゃんと製品を使って,意見や感想の述べてくれるお客様は本当にたいせつです.どんな規模のソフトウェアの会社になっても,ユーザーコミュニティを上手に育てられるかどうかが大きいですね.
同感です.実際ツールやプラットホーム上でまたアプリケーションを展開していますから,技術的な質問などはすぐ対応があるとこちらの仕事も進みます.

私もPDAの会社でデベロッパプログラムの一部に参加していましたが,もしかしたら製品を世の中に出すよりたいへんかもしれません.PDAだからエミュレータ,ライブラリ,ドキュメントなどの整備と,ハードの手配,外部のプログラマにはフラッシュでアプリを書き込める特別のハードの手配など.出荷する製品よりもそろえるものが多いですね.それから実際の技術的な対応とか.コアのデベロッパはソフトの世界でけっこう発言力があるので,へそを曲げられるとたいへんです.
自分でソフトウェアの会社をやってみて気が付いたのですが,開発者以外にエンジニアが必要ですよね.たとえば,こういうデベロッパプログラム関係の人とか.会社によっては,技術者ではないマーケティング系の人がやる場合が多いのですが,エンジニア対エンジニアの付き合いが多いので,やっぱりエンジニアのほうが信用されます.たしかに,「このプラットホームでソフトを書けばもうかる」という話で,ビジネス系の人とも会う必要はあるのですが…….

でも基本的にはエンジニアの仕事なので,エバンジェリストなどはエンジニア系のほうが受けが良いですね.たしかにサポートやテストをする人などいろいろと考えると,実際にプログラミングをする人以外に人数をそろえる必要ありますね.

インターネットコンテンツの仕事


さて,話題は変わってPointCastの話をしてください.設立当時は,プッシュコンテンツの先駆的な存在でしたよね?
そうですね, ’96年あたりはまだ28K,56Kのダイヤルアップが主流でしたし,一般消費者に対するオンラインショッピングやオンラインバンキングがまだまだできつつある段階でした.そういう意味でプッシュ型のニュースなどが面白く感じたのでしょう.私は, ’80年代ぐらいから株取引が好きで,暇さえあればいろいろと研究したりしていました.そういう背景もあってPointCastの金融ニュース関係のプロデューサの職に就きました.

そうですよね,ニックは株が大好きですもんね(笑).趣味と仕事が一致して楽しかったのでは?
はじめは良かったのですが,会社の経営的な問題と技術的な問題がありました.技術的な問題は,コンテンツを変えるのに社内での複雑な書類手続きが必要だったことと,ツールが独特だったことです.ツールは,MIT出身のエンジニアが多かったのか,Perlを採用せずに,MITのSchemeという言語でコンテンツを扱っていました.LISPみたいな言語で,パースされるのが遅いし,拡張性が低いうえに学ぶのに手間がかかり,なかなか社内のエンジニアが育たない状態が続いていました.また,私は個人的にWebサーフするのが大好きなので,ほかのコンテンツがどれぐらいのレベルに達していたかをよく見られたと思います.しかし,経営が創業者のChris Hakettから大企業のメディア系の人に代わっていく段階で,いままでのメディア業界的な考え方が持ち込まれました.結局,Web上の変化についていけない状態になってきました.

たしかに,ある時期メディアの融合ということで大量にメディア系の人達がハイテク業界に入ってきましたよね.でも結局自分からヘビーユーザーになるぐらい使いこなさないと,何が必要かわからないわけですよね.ツールの選択でもけっこう落とし穴があるものですよね.これは意外な話です.

次回の予告:


 PointCastの経験を経て新しい会社を自ら設立したり,今後の技術的なトレンドや個人的な生活などについて語られる予定である.



トニー・チン
htchin@attglobal.net
WinHawk
Consulting

 


copyright 1997-2002 H. Tony Chin

連載コラムの目次に戻る

Interfaceトップページに戻る

コラム目次
New

移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

Back Number

移り気な情報工学
第62回  地震をきっかけにリアルタイム・システム再考
第61回  海を渡って卵を産む北京の「海亀族」
第60回  超遠距離通信とソフトウェア無線
第59回  IT先進国フィンランドの計画性
第58回  物理的に正しいITの環境対応
第57回  年金,e-チケットに見るディジタル時代の情報原本
第56回  「着るコンピュータ」から「進化した布地」へ
第55回  技術を楽しむネットの文化
第54回  情報爆発2.0
第53回  プログラミングの現場感覚
第52回  GPS+LBS(Location Based Service)がおもしろい
第51回  技術の格差社会
第50回  フィンランドに見る,高齢化社会を支える技術
第49回  たかが技術倫理,されど技術倫理
第48回  若者の理科離れ,2007年問題から「浮遊」せよ
第47回  機械のためのWWW――Google Maps APIから考える
第46回 網羅と完備で考えるユビキタスの視点 ―― u-Japan構想
第45回 青年よ,ITを志してくれ
第44回 Looking Glassに見るデスクトップの次世代化
第43回 CMSはブログに終わらない
第42回 二つの2010年問題
第41回 持続型技術――サスティナブル・テクノロジ
第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
第39回 ユーザビリティの視点
第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
第60回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第一部)

電脳事情にし・ひがし
第14回 韓国インターネット社会の光と陰

第13回 ドイツのソフトウェア産業とヨーロッパ気質〜優秀なソフトウェア技術者は現代のマイスター
第12回 開発現場から見た,最新ロシアВоронежのソフトウェア開発事情
第11回 新しい組み込みチップはCaliforniaから ―― SuperHやPowerPCは駆逐されるか ――
第10回  昔懐かしい秋葉原の雰囲気 ── 取り壊し予定の台北の電脳街 ──
第9回 あえて台湾で製造するPCサーバ――新漢電脳製青龍刀の切れ味
第8回 日本がだめなら国外があるか――台湾で中小企業を経営する人
第7回 ベトナムとタイのコンピュータ事情
第6回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜インターネット通信〜
第5回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜ポルトガルのプチ秋葉原でハードウェア作り〜
第4回 ヨーロッパ/ポルトガルでのエンジニア事情〜市場と就職編〜
第3回 タイ王国でハードウェア設計・開発会社を立ち上げる
第2回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(下)
第1回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(上)

フリーソフトウェア徹底活用講座
第24回 Intel386およびAMD x86-64オプション
第23回 これまでの補足とIntel386およびAMD x86-64オプション
第22回 静的単一代入形式による最適化
第21回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その9)
第20回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その8)
第19回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その7)
第18回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その6)
第17回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その5)
第16回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その4)
第15回 GCCにおけるマルチスレッドへの対応
第14回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その3)
第13回 続々・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第12回 続・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第11回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第10回 続・C99規格についての説明と検証
第9回 C99規格についての説明と検証
第8回 C言語におけるGCCの拡張機能(3)
第7回 C言語におけるGCCの拡張機能(2)
第6回 GCCのインストールとC言語におけるGCCの拡張機能
第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第3回 GCCのC言語最適化以外のオプション
第2回 GCCの最適化オプション ――Cとアセンブラの比較
第1回 GCCの最適化オプション

フジワラヒロタツの現場検証
第72回 現場検証,最後の挨拶
第71回 マイブーム
第70回 OSぼやき放談
第69回 技術者生存戦略
第68回 読書案内(2)
第67回 周期
第66回 歳を重ねるということ
第65回 雑誌いろいろ
第64回 となりの芝生は
第63回 夏休み
第62回 雑用三昧
第61回 ドリームウェア
第60回 再び人月の神話
第59回 300回目の昔語り
第58回 温泉紀行
第57回 人材ジャンク
第56回 知らない強さ
第55回 プレゼン現場にて


Copyright 1997-2005 CQ Publishing Co.,Ltd.


Copyright 1997-2002 CQ Publishing Co.,Ltd.