第59回

Engineering Life in Silicon Valley

さまざまなエンジニアリングにチャレンジ(第二部)


 第一部では,メインフレームメーカーのAmdahl Corporationでのドキュメンテーション作業がきっかけでハードの仕事からソフトに移行した話を聞いた.今回は,ソフトウェアエンジニアリングにおけるストーリーボードの大切さやテストなどの話を伺った.

デイトレーダーか起業家か?

では,ご自分の会社を設立した経緯を教えてください.
最後に勤めたPointCastでは,金融関係のコンテンツを任されていました.もともと,株式や債券,オプションの取り引きが好きなので楽しかったですね.しかし,PointCastがパソコン中心だったことや,その開発環境にも疑問を感じていました.

 そこでPointCastを辞め,5か月ほど毎日自宅で株式の投資をやりました.1999年のことですが,フルタイムでやっていると,食べられるぐらいの収入は得られました.

 その後,仲間と会社を作る話が出たのですが,資金調達のためにデイトレーディングを午前中にやり,午後からテクノロジ系のスタートアップの会社をやるという構想が出ました.そうすれば,ベンチャーキャピタルに頼らずに済むと考えました.


今回のゲストのプロフィール

Nicholas Y. Pang(ニコラス・パング):マレーシア生まれ,少年時代をイギリスで過ごした後,アメリカで電子・情報工学の勉強をする.ウィスコンシン州大学にて修士号を取得.メインフレームメーカーのAmdahl Corporationを経てCadence Design Systemsのコンサルティンググループでハードウェア設計の経験を積む.その後,インターネット関連の仕事に転進,PointCastでコンテンツプロデューサの職につく. ’99年からWhere2Net, Inc.を設立する.男の子2人,女の子1人と夫人の5人家族.



それはユニークで面白いアイデアですね.デイトレーディングに必要なプロやセミプロが株式市場にアクセスを行う「レベル2アクセス」などはもっていたのでしょうか?
仲間の一人がもともと株式取り引きのブローカーで,公認のライセンスをもっていたので,レベル2アクセスは問題なくありました.私のほうは,金融関係のコンテンツをやっていたおかげでアナリストなどの知り合いができ,そこから株式関係の情報収集が行えました.

 これらをすべて出し合って,自分達の資産,知り合いや親戚のお金を集めて投資信託という形で運営する方法を考えました.そのためにオフィスを借りてブロードバンド接続をし,アクセスする計画でしたが,結果的には断念しました.まず,法的な制約やしがらみが多かったこと.また,借りる予定のオフィスにケーブルを引くためのコスト面の問題です.数秒ごとの値段の差を狙う取り引きをめざすわけですから,ネットへのアクセスでは万全な体制が必要だったのです.


それで,結局はオーソドックスなスタイルのスタートアップにしたのですね? 自分達の貯金から少しずつプロトタイプを作っていき,ベンチャーキャピタルから資金的支援を求める…….
そうですね,結局デイトレーディングで自らの資金調達をすることを断念して,コツコツと製品を作っていくベンチャー企業を立ち上げることになりました.株のトレーディングですが,自分が儲けていたときは比較的株をやりやすい時期だったのです.インターネットバブルの始まりのころだったので,ハイテク株が一般的に上昇している時期でした.しかし,現在はそう簡単にはいきません.それに,個人の資産を運営するにも毎日最低2時間ぐらいは欲しいですよね.

この会社のビジネスは,何を中心にしていますか?
PointCastがパソコン中心だったのと対照的に,一般消費者が出向く場所,ショッピングモール,ファストフードレストラン,映画館やジムなどにインターネットでコンテンツを配信できないか?と考えました.こういう場所は,必ずしもパソコン的な,いわゆるマウスとキーボードが必要なユーザーインターフェースが定着するとは思えなかったので,別の方法が必要だと考えました.たとえば,タッチスクリーンや音声操作などです.

それでどうなりましたか?
スタートアップですから,6か月おきにビジネスプランを書き換えていきました(笑).実際,プロトタイプを作ってからショッピングモールや映画館をあたってみてわかったことは,こういう店舗商売をしている人達のビジネスサイクルが想定したものとまったく違うということでした.月々の売り上げに敏感なので,なかなか投資ができないのです.とくに,売り上げに直接的な影響のないものに関しては非常に保守的でした.

 それで一時期苦しい状態に陥ったのですが,Oracleの展示会でデモをやったとき,自社用のツールに興味があることがわかりました.このツールは,コンテンツをさまざまなプラットホームに自動的にリターゲットするツールです.


たしかに,ビジネスプランを頻繁に見直したり,練り直すのは大切ですよね.ビジネスをスタートしたときの仮説が不十分であったり,違った展開になった場合,ベンチャービジネスに影響をおよぼしますからね.一般消費者をターゲットにするよりもコスト的にビジネス層をターゲットにしたほうが良いと考えたわけですね.B2Cよりも,B2Bですか?
そうです.実際のツールは,PriceWaterhouseやAccentureなどのコンサルティング会社がもっとも興味をもってくれました.著名なコンサルティング会社だと営業販路もしっかりあるし,大型の顧客,我々の場合は小売りをしている会社に信用があります.大型のリテーラに対してWeb関係のプロジェクトを行ううえで,我々の会社のツールが必要だと評価してくれたのです.現在は,コンテンツ配信用のツールにしぼってビジネスを展開しています.とくに,PDAや携帯電話のブラウザを主に開発を進めています.

日本では,世界に先駆けて携帯電話によるデータ系のアプリケーションが存在しますが,今後シリコンバレーやアメリカでは何がはやると思いますか?
一時期に比べて3Gは苦戦していますよね.日本のデータ系アプリケーションはインフラ面と端末面で,おおいに学ぶところがあります.その一方で,今度はブロードバンドも,IEEE802.11を標準としてホットスポットで広まりつつあります.インターネットをバックボーンとした,何らかの方法でのモバイルデータが必要なのはたしかでしょう.個人的には映画が好きなので,予告編などをうまく配信できたら面白いと思います.また,ビデオ・オン・デマンドも魅力ですね.

学んだことを著書にする


仕事の合間に本を書いているという話ですが?
Oracleとの仕事の関係で,Oracle PressというOracle専門の著書を出している出版社の方とワイヤレスアクセス関連の本を出す計画が出ています.Oracle Pressの出す本は,マニュアルやリファレンス的なものがほとんどですが,今回は第一線で働くマネージャクラスの人達が読み物としてちゃんと読める,ワイヤレスでのアプリケーションについての本を予定しています.Oracleとしては,出た本を営業促進のために配ったりすることが目的なのでしょうが,私個人としてはキャリアの節目としてやっています.純粋な研究をやっているエンジニアだと特許を取ったり学会で発表したりするでしょ? それと同じ感覚です.自己満足のためでもありますが(笑).

文章を書くのは得意なほうですか?
幸いなことに,出版社から2名の有能な編集担当者を付けてもらっています.一人はテクニカルエディタで,内容――おもに技術的なことの正しさをチェックしてくれてます.もう一人はコピーエディタで,文章の構成や文法などをチェックしてくれます.開発途中のソフトについて書いたりしているので,この辺のコーディネーションがたいへんです.内容については,自分が面白いと思ったことと,他人が面白いと思ったこととのギャップがあるのでたまに苦労しています.

エンジニアとしての努力:私生活について


さまざまな仕事……ハードウェアエンジニア,ソフトウェアエンジニア,マーケティング,起業家などを経験されてきていますが,エンジニアとして何を大事にされていますか?
エンジニアリングでも,専門や市場によって変化のスピードが異なることがあります.インターネット関係だと毎日のように変化がありますが,半導体関係や組み込み設計はプラットホームなどが固定されているので,インターネットなどと比べるとスピードは遅いですよね.しかし,技術的にはそれぞれ変化が激しいので,業界の課題がシフトしていくかと思います.これを的確に把握して,自分なりの意見や考えをもつ必要があります.

それぞれの分野でホットな話題があるので,それに対して自分なりに情報収集し,見解・意見をもつことによって,他人と会うときに,自分の意見が述べられますからね.さらにネットワークで情報の密度を上げていく……一緒に仕事をする人や取り引き先,投資家……さまざまな人に会うので自分なりの情報武装はたいせつです.
私はまず,毎日かなりの量の業界紙やWebページに目を通すことを日課にしてます.いろいろなことに興味をもって,追いかけたり,試しています.新しい標準や言語など,とりあえずスペックシートを読んだりします.そうしなければ,自分のエンジニアリングのスキルも落ちていきますから.

たいへんですよね.エンジニアは,ちょっと神経質なほうが良いですか(笑)?!
う〜ん,危機感をもって自分のスキルアップをめざさなければなりません.やっぱり家族とまわりにはすごい負担がかかっているとは思います.なかなか休みも取れませんし.

シリコンバレー内での生活の質について,おおいに議論されています……たとえば,シリコンバレー内のAthertonやLos Altos Hillsは,全米でももっとも住宅が高いトップ10に入っているぐらい住宅コストが上昇していますし,交通のインフラも追いつかない状態が続いています.生活面で何か心配はありますか?
そうですね,リスキーな仕事をしているわりには,生活面で充実していません.それと,家族,とくに子供の生活が気になります.うちの子達もゲームは上手ですが,外でのスポーツなどが苦手になっています.あとは,大人顔負けにパソコンに釘付けなところでしょうか? EBAYなどでポケモンカードなどの値段を調べているようです.私は子供のころから陸上競技などに親しんできたのですが,子供達が同じように外で遊ばないのが残念ですね.遊ばないから上達しないし,それで興味を失ってしまいます.今の心配事は,家族のことです.

対談を終えて


 初めてニックに会ったときは,早口とブリティッシュアクセントが非常に印象的だった.おとなしいハードのエンジニアと思っていたら,さまざまなことに詳しく,仕事をダイナミックにこなす典型的なシリコンバレーのエンジニアだった.とにかく頭の回転が速いのだろう,早口でこの対談の録音テープが聞き取れないぐらいにエネルギッシュだった.




トニー・チン
htchin@attglobal.net
WinHawk
Consulting

 


copyright 1997-2002 H. Tony Chin

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移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

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移り気な情報工学
第62回  地震をきっかけにリアルタイム・システム再考
第61回  海を渡って卵を産む北京の「海亀族」
第60回  超遠距離通信とソフトウェア無線
第59回  IT先進国フィンランドの計画性
第58回  物理的に正しいITの環境対応
第57回  年金,e-チケットに見るディジタル時代の情報原本
第56回  「着るコンピュータ」から「進化した布地」へ
第55回  技術を楽しむネットの文化
第54回  情報爆発2.0
第53回  プログラミングの現場感覚
第52回  GPS+LBS(Location Based Service)がおもしろい
第51回  技術の格差社会
第50回  フィンランドに見る,高齢化社会を支える技術
第49回  たかが技術倫理,されど技術倫理
第48回  若者の理科離れ,2007年問題から「浮遊」せよ
第47回  機械のためのWWW――Google Maps APIから考える
第46回 網羅と完備で考えるユビキタスの視点 ―― u-Japan構想
第45回 青年よ,ITを志してくれ
第44回 Looking Glassに見るデスクトップの次世代化
第43回 CMSはブログに終わらない
第42回 二つの2010年問題
第41回 持続型技術――サスティナブル・テクノロジ
第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
第39回 ユーザビリティの視点
第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
第60回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第一部)

電脳事情にし・ひがし
第14回 韓国インターネット社会の光と陰

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第5回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜ポルトガルのプチ秋葉原でハードウェア作り〜
第4回 ヨーロッパ/ポルトガルでのエンジニア事情〜市場と就職編〜
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第2回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(下)
第1回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(上)

フリーソフトウェア徹底活用講座
第24回 Intel386およびAMD x86-64オプション
第23回 これまでの補足とIntel386およびAMD x86-64オプション
第22回 静的単一代入形式による最適化
第21回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その9)
第20回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その8)
第19回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その7)
第18回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その6)
第17回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その5)
第16回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その4)
第15回 GCCにおけるマルチスレッドへの対応
第14回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その3)
第13回 続々・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第12回 続・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
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第10回 続・C99規格についての説明と検証
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第8回 C言語におけるGCCの拡張機能(3)
第7回 C言語におけるGCCの拡張機能(2)
第6回 GCCのインストールとC言語におけるGCCの拡張機能
第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第3回 GCCのC言語最適化以外のオプション
第2回 GCCの最適化オプション ――Cとアセンブラの比較
第1回 GCCの最適化オプション

フジワラヒロタツの現場検証
第72回 現場検証,最後の挨拶
第71回 マイブーム
第70回 OSぼやき放談
第69回 技術者生存戦略
第68回 読書案内(2)
第67回 周期
第66回 歳を重ねるということ
第65回 雑誌いろいろ
第64回 となりの芝生は
第63回 夏休み
第62回 雑用三昧
第61回 ドリームウェア
第60回 再び人月の神話
第59回 300回目の昔語り
第58回 温泉紀行
第57回 人材ジャンク
第56回 知らない強さ
第55回 プレゼン現場にて


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