第61回

Engineering Life in Silicon Valley

日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)


 第一部では,大手企業を経てスタートアップの経営メンバとしても活躍した経緯から,シリコンバレーのスタートアップへ入ったきっかけについて,話をうかがった.

仕事の進め方でのさまざまな発見

日本の大手企業のデンソーを経て,HDラボという日本のスタートアップの経験したすぐ後にシリコンバレー企業の開発グループを名古屋付近で立ち上げたわけですが,実際に経験したシリコンバレーの仕事のやり方や,会社の経営について話を進めていきたいと思います.いろいろな新しい発見があったと思うのですが,何にいちばんびっくりしましたか?
 今回行ったBluetoothプロジェクトの中でさまざまなMPUやペリフェラルの選定がありました.とにかく使ったことのないものばかりだったのですが,「スペックシートとソースさえあれば自分達で何とか使えるようにする」という考えの人が多かったですね.それも自力で調べたり,取り寄せたりしていました.仕事で必要な情報は自分達で集めたり,評価したり,日々勉強したりすることが当たり前という空気を感じました.大手企業での経験では,たとえばMPUなら,社内で使ったことのある人に聞いて教えてもらうとか,取り扱っている代理店の営業技術担当者を呼びつけたりして説明させたりとかね(笑).自分達で英語の資料を読み砕くよりは,誰かに説明してもらうのが手っ取り早いという気持ちや姿勢が強かったです.それとか日本語版の資料が出るまで待つとか…….

今回のゲストのプロフィール

太田博之(おおた・ひろゆき):(株)デンソーにて長年,通信用ASIC開発に携わる.その後,(株)HDラボ(本社新横浜)で通信用LSI開発の設計コンサルタント,出資者,取締役として活躍する.2000年にはシリコンバレーに本社を置く大手IP(Intellectual Property)ベンダであるインシリコン(InSilicon, Corp.,本社サンノゼ)に移り,名古屋郊外に開発研究拠点を開設する.Bluetooth IPの開発にDirector of Engineeringとして従事.その後,フリーの通信関連技術コンサルタントを経て,現在は電子部品商社の加賀電子で通信関連機器,部品のマーケティング業務に従事.本誌,その他エレクトロニクス系技術雑誌に連載多数.



それでちゃんと仕事が進むのでしょうか?
日本の大手企業では,仕事環境を整えてくれる文化があると思います.たとえば,新しいツールでも技術管理部門とかが評価して選んでくれるし,社外のパーツや製品については先ほどのように外部の技術者に頼んで教えてもらうとか,教えてもらうのが当たり前のような雰囲気があります.とにかくエンジニアに対して手厚いサポートが多いのです.だから仕事の環境が全部そろっていないと仕事をしないとか,仕事ができないとかいう技術者が多いと思います.結果的に人の責任にしてしまう悪い環境になりかねませんね.

なるほど……たしかにスタートアップには向いていないかもしれません.スタートアップだと自分で全部環境をそろえたり,エンジニアリング以外の仕事までするケースが多いですね.短い期間で一人何役もできるのがスタートアップの特徴ですね.
インシリコンでは,仕事で必要な資料や研究に関してちゃんと時間を取っていたし,それが当たり前だったのでエンジニアとしてはモチベーションが湧きます.そのおかげで仕事を通じてちゃんと新しいことを学んだりできました.一方,日本の企業ではまだまだ過保護な環境が多いのではないでしょうか? 結果として,シリコンバレーのエンジニア達の生産性が高いところを体感できました.

合理的な仕事の流れ,「みなエンジニアリングをしている」


次にもっとも印象的な発見は,「みなエンジニアリングをしている」ということです.製品の発案段階で技術関係以外のメンバ,たとえばマーケティングや営業の人達が参画していました.この段階では基本アーキテクチャすら決まっていないのですが,いわゆる調査と研究の段階で,さまざまな議論が展開されます.マーケティングや営業の人達がちゃんと数字を組んで自分達の意見を裏付けるのですね.売り上げや使う予算などの話を出し,エンジニアも技術系でない人たちも,ビジネス的な共通点を見い出すのです.

製品開発の初期の段階からマーケティングや営業の人達が参画するのはよくあるパターンですよね.ボトムアップ式にデータを組んでいるのですね.
マーケティングのような技術職以外の人達は,こちらが思った以上に理論的に仕事を進めていました.私が思う「みなエンジニアリングをしている」とは,そういうことです.限られた時間,予算,資源(人間やツール)を最適化していくというプロセスをみなやっているのです.マーケティングや営業の人達は,せいぜい全体的な方向性や,この顧客がこういうスペックの物を欲しがっている……などの意見を述べて終わりかと当初は思っていましたが,きちんと数字を並べて自分達の意見に関して裏づけのある議論をしていました.たとえば,製品が紹介される1年後にどういうぐあいに市場の状況が変わっているとか,マーケティングや営業の観点から調査やシミュレーションをしてどのセグメントをどのような価格帯で攻められるのかを研究していますし,その結果を説明してくれました.

 そして最終的には,売り上げでどのような形になるかのシナリオを描きます.私にも意見を求めてくるのですが,1年後のことを聞かれても,はっきりとはわからない……というのが私の率直な意見でした.しかし,わからないなりに仮説を立てて情報を収集して,また新しい情報が入ったらアップデートするようにしました.とくに基本アーキテクチャを決める段階ではメモリサイズ,MPUの種類,バス幅などのさまざまなパラメータを検討するのですが,計算方法を調べて技術側の仮説とマーケティング側の仮説の確認を行ったりするのです.これらはExcelで行いました.

 1年後経った今,市場を見てみると,いろいろな会社から自分達が予測したスペックでの製品が紹介されているので,当時の予測の精度が高かったことに驚いています.


このコラムには,何人かマーケティングの専門家もゲストとして出られたのですが,共通しているのは,シリコンバレーでは会社の技術側がやりたいこととビジネス的な目標を調整することが大事だということですね.
開発の初期の段階からはっきりとビジネス的なゴールが見えているので,技術側のわれわれとしても仕事がやりやすいですね.ほかにすごいと思ったのは,マーケティングの人が技術側のためになるようなデータや資料をドンドン集めてくれることです.Webなどのさまざまな情報ソースから競合メーカー情報や,技術側に役立つようなデータを集めてきてくれました.あとは,MPUの選定やMPUメーカーとの交渉の担当になってくれたり……日本でいうマーケティングや企画部とだいぶ違うことに驚きました.

情報収集や競合解析は会社の方向へ大きく影響しますから,しっかりやられてますよね.
そうですね.データ収集などに命をかけてくれている(笑)という印象を受けました.日本だと製品の発案やスペックを決める段階では,上層部の人達や経験のある少数――3〜4名ぐらい――が密室で決めてしまうことが多いと思います.発案やアイデアのベースは勘とか経験ですよね.たしかにそれも大事だと思うのですが,どういう理由で決まったのかが見えないし,自分達の勘や経験にもとづく判断を,ほかの方法で検証したりシミュレーションしているように思えます.そのため,一応製品を出し,市場の反応を見て次のバージョンを出すという試行錯誤的な作業が多いようです.シリコンバレーでは,一見ただワイワイやっているように見えたのですが,合理的に議論が繰り広げられています.みんなでさまざまな視点からオープンな議論を展開して,そこから決めていくというような気がしました.

経験や勘も大事ですが,数字で裏付けをして,皆が納得する案を出すというのが特徴ですね.一見,シリコンバレーの仕事の進め方は,日本の根回しと同じように見えますが,感情が入らないように数値で表したり,効率よく議論するところが特徴ですね.日本だと上司が決めたとか,会社の方針とか,上司や先輩の前では反論できないといったしがらみが多いのかもしれませんね.
良いポイントですね.みんなお互いにそれぞれの専門意識……プロ意識があるから上下関係もないし,お互いにプレッシャーをかけあって仕事が進んでいると思いました.

次回について


 引き続き,仕事のやり方の違い,アメリカ人エンジニアの特徴など,シリコンバレーのスタートアップでの貴重な経験について報告する.

Column まだまだ続くシリコンバレーの不況

 最近,シリコンバレーのオフィス街を運転していると,やたらに「テナント募集中」の看板が掲げられたオフィスを見かける.貸しビルによるオフィス(自社ビルが非常に少ない)がほとんどのシリコンバレーでは,会社の状況に応じて社屋が代わることが多い.あまり高いビルがない「キャンパススタイル」という2〜3階立てのオフィスが主流で,看板にはオフィスのサイズが書いてあるのでどれぐらい大きいかも一目瞭然だ.また,看板の多さからも,レイオフやら倒産・解散でオフィスが相当余っているのだということがわかる.

 サンフランシスコ市内では,一時期,多くの倉庫街の建物がインターネット関連のオフィスに改装されたが,そのほとんどが空きビルになってしまった.最近の地元紙の報告によると,シリコンバレーの失業率が前四半期から0.5%上昇して7.6%になったそうだ.昨年末のEnronの簿外取引にはじまり,XeroxやWorldComなどのテクノロジ企業の粉飾決算事件で,テクノロジ全体も雰囲気を悪くしている.

 ITの経費が伸びないとCiscoなどの大手通信機器メーカーに発注が来なくなり,これらのメーカーに納品をしているソフトやハードウェアベンダにもビジネスが回らなくなるという連鎖反応がある.大型レイオフはあまり聞かなくなったが,新しく人を採用している会社が非常に少ないのは確かなようだ.まだまだ不況は続くようで,最新の予測によると2003年の後半までかかるといわれている.




トニー・チン
htchin@attglobal.net
WinHawk
Consulting

 


copyright 1997-2002 H. Tony Chin

連載コラムの目次に戻る

Interfaceトップページに戻る

コラム目次
New

移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

Back Number

移り気な情報工学
第62回  地震をきっかけにリアルタイム・システム再考
第61回  海を渡って卵を産む北京の「海亀族」
第60回  超遠距離通信とソフトウェア無線
第59回  IT先進国フィンランドの計画性
第58回  物理的に正しいITの環境対応
第57回  年金,e-チケットに見るディジタル時代の情報原本
第56回  「着るコンピュータ」から「進化した布地」へ
第55回  技術を楽しむネットの文化
第54回  情報爆発2.0
第53回  プログラミングの現場感覚
第52回  GPS+LBS(Location Based Service)がおもしろい
第51回  技術の格差社会
第50回  フィンランドに見る,高齢化社会を支える技術
第49回  たかが技術倫理,されど技術倫理
第48回  若者の理科離れ,2007年問題から「浮遊」せよ
第47回  機械のためのWWW――Google Maps APIから考える
第46回 網羅と完備で考えるユビキタスの視点 ―― u-Japan構想
第45回 青年よ,ITを志してくれ
第44回 Looking Glassに見るデスクトップの次世代化
第43回 CMSはブログに終わらない
第42回 二つの2010年問題
第41回 持続型技術――サスティナブル・テクノロジ
第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
第39回 ユーザビリティの視点
第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
第60回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第一部)

電脳事情にし・ひがし
第14回 韓国インターネット社会の光と陰

第13回 ドイツのソフトウェア産業とヨーロッパ気質〜優秀なソフトウェア技術者は現代のマイスター
第12回 開発現場から見た,最新ロシアВоронежのソフトウェア開発事情
第11回 新しい組み込みチップはCaliforniaから ―― SuperHやPowerPCは駆逐されるか ――
第10回  昔懐かしい秋葉原の雰囲気 ── 取り壊し予定の台北の電脳街 ──
第9回 あえて台湾で製造するPCサーバ――新漢電脳製青龍刀の切れ味
第8回 日本がだめなら国外があるか――台湾で中小企業を経営する人
第7回 ベトナムとタイのコンピュータ事情
第6回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜インターネット通信〜
第5回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜ポルトガルのプチ秋葉原でハードウェア作り〜
第4回 ヨーロッパ/ポルトガルでのエンジニア事情〜市場と就職編〜
第3回 タイ王国でハードウェア設計・開発会社を立ち上げる
第2回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(下)
第1回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(上)

フリーソフトウェア徹底活用講座
第24回 Intel386およびAMD x86-64オプション
第23回 これまでの補足とIntel386およびAMD x86-64オプション
第22回 静的単一代入形式による最適化
第21回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その9)
第20回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その8)
第19回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その7)
第18回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その6)
第17回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その5)
第16回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その4)
第15回 GCCにおけるマルチスレッドへの対応
第14回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その3)
第13回 続々・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第12回 続・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第11回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第10回 続・C99規格についての説明と検証
第9回 C99規格についての説明と検証
第8回 C言語におけるGCCの拡張機能(3)
第7回 C言語におけるGCCの拡張機能(2)
第6回 GCCのインストールとC言語におけるGCCの拡張機能
第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第3回 GCCのC言語最適化以外のオプション
第2回 GCCの最適化オプション ――Cとアセンブラの比較
第1回 GCCの最適化オプション

フジワラヒロタツの現場検証
第72回 現場検証,最後の挨拶
第71回 マイブーム
第70回 OSぼやき放談
第69回 技術者生存戦略
第68回 読書案内(2)
第67回 周期
第66回 歳を重ねるということ
第65回 雑誌いろいろ
第64回 となりの芝生は
第63回 夏休み
第62回 雑用三昧
第61回 ドリームウェア
第60回 再び人月の神話
第59回 300回目の昔語り
第58回 温泉紀行
第57回 人材ジャンク
第56回 知らない強さ
第55回 プレゼン現場にて


Copyright 1997-2005 CQ Publishing Co.,Ltd.


Copyright 1997-2002 CQ Publishing Co.,Ltd.