第63回

Engineering Life in Silicon Valley

日本でシリコンバレースタートアップを体験する
(第四部)


前回まで:シリコンバレーで広く使われている,仕事のゴールを定量的に計るMBOの話が出た.また合理的な会議のやり方について,そして英日翻訳ソフトを英作文の文法チェッカーに使う方法について話をうかがった.

「わかりあえていない」
を前提にコミュニケーション


今回のゲストのプロフィール

太田博之(おおた・ひろゆき):(株)デンソーにて長年,通信用ASIC開発に携わる.その後,(株)HDラボ(本社新横浜)で通信用LSI開発の設計コンサルタント,出資者,取締役として活躍する.2000年にはシリコンバレーに本社を置く大手IP(Intellectual Property)ベンダであるインシリコン(InSilicon, Corp.,本社サンノゼ)に移り,名古屋郊外に開発研究拠点を開設する.Bluetooth IPの開発にDirector of Engineeringとして従事.その後,フリーの通信関連技術コンサルタントを経て,現在は電子部品商社の加賀電子で通信関連機器,部品のマーケティング業務に従事.本誌,その他エレクトロニクス系技術雑誌に連載多数.



英日翻訳ソフトを使い倒していたわけですから,かなりの量の英作文を仕事でやっていたのですよね?
短文は段々と慣れていったので,英日翻訳ソフトでチェックしなくてもよくなりました.量ですが,メールやさまざまな提案書,報告書とたしかに多いですよね.量が多いこともあり,時差を有効利用しました.

 何かあると「……これはドラフトだから……」とか「……これはいちばんはじめのアイディアだけど……」ではじまるメールやメモがよく送られて来て,それを元に考えたり,自分の意見を述べたりすることを繰り返しました.返事や議論は,メールや必要に応じて電話で行いました.よく電話もしましたが,喋れないなりにちゃんと話をしてくれるのがありがたかったですね.


それは,カリフォルニアという土地柄もあるかと思います.庭師やレストランで働く人たちがメキシコ人や南米系だったり,中華街で魚を買ったり……英語が得意でないか,まったくできない人達が生活できますからね.異文化には寛大なところがあります.
なるほど.また,感覚的なことですが,一人が書き物にして発信する情報量が非常に多いと感じました.

そうですね,社内の上下の役割に関わらず,提案書をCEO自らが書いたりすることが普通ですよね.
はじめは,送られて来る文章を読んですぐに「こりゃ駄目だ」とか思うと消極的な返事を書いていたのですが,だんだん慣れてくるうちに書類を送ってくる相手も,それほど自信があって送ってきているのではなく,本当にアイディアを一緒に探るために文章化しているのだということがわかりました.駄目なら駄目なりにその理由を説明するほうがたいせつですね.つまり,自分の考えを相手に伝えて,有効に議論をする材料にすると同時に,自分の頭の中にアイディアや考えをまとめるという役割をしているのです.

 オープンに議論がされていて,お互いに共感したり,協調できるポイントを探ろうとしているところがあります.


日本では,これは少ないと思いますか?
シリコンバレーほど有効利用されていないと思います.まずは日本語そのものの問題で,曖昧だったり矛盾している文章が書けてしまったりしますし,私が経験した会社では,明文化するとすぐ重々しくとらえられ,文章が一人歩きする傾向があると思いました.意見交換や建設的な議論が展開する前に,書かれたことがあたかも現実に思われたりします.だから口頭のコミュニケーションが中心になりがちで……それでますます曖昧になるのだと思いました.シリコンバレーだと上下に関係なく本当によく文章を取り交わしたり,よく喋ったりしますね..

異文化の集合体の文化ですからね……「わかりあえていない」という前提でコミュニケーションが進んでいると思います.日本はどちらかというと「……たぶんわかりあえているだろう」が前提になっていると思いますね.阿吽の呼吸でしょうか?
禅の国ですから(笑)! でも,エンジニアリングになると,詳細な点や判断を下した経緯などが論理立てて説明されるほうがよいと思います.阿吽の呼吸は似合わないですし,後から問題につながると思うのです.日本は,アンダーコミュニケーションですよね.アメリカは,オーバーコミュニケーションというのでしょうか? 日本でも多いに学ぶところがあると思います.

経営スタイルが科学的……
「みなエンジニアリングをしている」を広めたい


さて,いろいろと体験されてきたわけですが,今後はどういうことをしてみたいですか?
アメリカの仕事のやり方や手法については,いろいろと聞いたり読んだりしましたが,実際に経験してやっと自分のものにできたと思います.手法が科学的で合理的だと思いました.私がいう,「みなエンジニアリングをしている」ですね.とくにエンジニアの給与やMBOとかの結果評価がもっと日本でも広まればよいと思っています.最近転職したのですが,MBO注1 や3か月の査定をお願いして,転職先の企業にびっくりされました.また,私が希望した給与もかなり高いといわれました.

 10年ぐらい前にサンディエゴにあるデンソーで仕事をしていましたが,そこにいたエンジニアがいうには,毎年の給料の交渉で上がらないとほかの会社に行き,残っている社員は駄目な奴か相当たいせつにされているかの両極端だ……という話を聞いてびっくりしました.実際シリコンバレーの会社と仕事をしてみると,本当にそうでした.でも,意外とみなクールですね.会社に対する仕事を客観的に評価するためにMBOが用意されていると思います.それだけでなく,自分のキャリアを効率良く管理するためにも有効利用できると思うのです.


注1:Management By Objectiveの略,2002年11月号を参照.

たしかにプロスポーツの選手のように,みなフリーエージェント(FA)ですよね.自分の仕事の内容や給与,ボーナスに関しては個別交渉…….
日本では,まだまだ年齢や経験に応じてとかですね.年齢がどうであれ,仕事のできる人はできる人だと思います.シリコンバレーのMBOを中心とした仕事の進め方は,自分の評価を上げる基準や方法がはっきりしていると思いました.会社にとってもその個人にとっても有意義だと思います.

 結局エンジニアリングは国際的に競争をしているのですから,個人もある程度競争力をつけて国際基準で評価されるべきだと思うのです.若い頃から個人的に競争しているシリコンバレーのエンジニアはドンドン力をつけていくと思います.日本だと四十代からやっとMBOに近い数値目標による評価の仕事をすると思いますが,少なくとも係長ぐらいからやるべきだと思います.そのほか,学んだ経営手法をもっと広めていきたいと思ってます.


お金に対する考えを改めよ?


給与はどういう風にエンジニアのやる気に影響していると思いますか? 一時期IEEEが,エンジニアをライセンス制にしようとしたことがあります.電力関係などの公共施設を扱うエンジニアは,すでにライセンス制ですが…….
プロフェッショナル化は面白い発想ですよね.日本では,まだお金に対する考えが少ない……というか,露骨にお金の話をすると良くないという風潮があると思います.しかし,シリコンバレーだと,エンジニアリングの能力で一攫千金の可能性がありますし,実際それを実現した人達もいます.先ほども言いましたが,国際レベルで通用することをしているなら,それなりの給与をもらってもよいと私は考えます.

以前この対談で出ていただいた日本人ベンチャーキャピタルの方もおっしゃっていましたが,日本では,まだまだ気持ちよくお金持ちになったり,お金持ちを応援する土壌がないとおっしゃっていました.日本でベンチャー企業が育たないのは,日本の税制,インフラ,大学などの問題ではなく,日本人のお金持ちに対する文化であると力説していました.
う〜ん,それは面白い指摘ですね.同感です.まだまだ横並びの意識が強いのでしょうか? しかし,シリコンバレーのエンジニアのように,早いうちからMBOで厳しく自分を鍛えたり,転職を重ねたりしている環境が本当に羨ましいです.私は日本でもスターエンジニアがいて給与がべらぼうに高くてもよいと思うし,そういう人達が出現しないと,エンジニアリングが活性化しないと思うのです.

最近シリコンバレーでは,インターネットバブルがはじけてやっと落ち着いていますが……やっぱりイノベーションをめざしてエンジニアリングをやろうという風に戻りつつあります.お金に執着しすぎると怖いですよね.エンジニアリングじゃなく,詐欺まがいのことでお金持ちになろうとする輩が出てきますから…….ちょっと複雑な気持ちです.

日本の強み


先ほどは日本の弱みについて話がありましたが,エンジニアリング的にみて日本の強みはどこにあると思いますか?
家電,コンシューマエレクトロニクスの企画やアプリケーションの発想は強いと思います.アメリカでは,国際的な標準となるプラットホーム,WintelアーキテクチャとかEthernetとか……が強いと思うのです.しかし,このプラットホームを中心にどのようなアプリケーションの展開をさせるか,というところで日本が強いと思います.良い例が携帯電話ですよね.

そうですね,組み込み系のプログラミングは,日本が世界の70%を占めていますからね.
それとシリコンバレーのエンジニア達は,新しい画期的なものしかやりたがらない.しかし,日本では既存のテクノロジの組み合わせや,とりあえず作って見てようすを見る……というやり方があります.

すぐ黒字化しないといけないシリコンバレーの企業では,とりあえず作ってようすを見ることはなかなかできないですよね.しかし,ある程度マーケットに出してユーザーからフィードバックを得ないと,家電はなかなか良いものが作れませんね.
そうです,マイクロソフトでも数回チャレンジして3バージョン目からまともになるというじゃないですか.アーキテクチャやプラットホームが標準化しても,アプリケーションの分野ではまだまだノウハウやお客に近いところにいないと仕事ができません.そういう分野では,まだまだ日本ははるかに競争力があると思うのです.

対談を終えて


 太田氏とは,インシリコンに入る前から面識があった.とても研究・勉強熱心な方で,さまざまなことに貪欲に興味を示す.

 シリコンバレーの会社に転職の話があったときに彼から相談を受けたが,まったく問題なく仕事をこなすだろうと思った.今後はシリコンバレーの会社の特徴を自分なりに整理して仕事で有効活用したりほかのエンジニアに伝えたいとのことだ.



トニー・チン
htchin@attglobal.net
WinHawk
Consulting

 


copyright 1997-2002 H. Tony Chin

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