第73回

Engineering Life in Silicon Valley

放浪の旅を経てエンジニアに……


今回のゲストのプロフィール


下村朋子(しもむらゆうこ):日本での営業職に疑問を感じ,自分のやりたいことを探す旅に出て,オーストラリア,カナダ,アメリカと移り住み,現在はシリコンバレーに落ち着いている.南カリフォルニア,サンディエゴ市のサンディエゴ州立大学で情報システムの学士を取得.その後,インターネットバブルの波にのってシリコンバレーへ乗り込み,スタートアップでEコマースのサーバサイドのバックエンド構築に従事する.趣味は旅行.アフリカ大陸最高峰キリマンジャロに登頂.その他,コスタリカ,中国,メキシコ,ヨーロッパなど. yuko-sv@sbcglobal.net



放浪の旅へ……プログラミングと出会う


 さて,アメリカで大学を出られた日本人エンジニアが久々に登場したので,まずはアメリカに留学されたきっかけからお話いただけますか?
 少し長くなりますが,高校時代の話から始めます.

 私は入った高校が合わず,中退して広告代理店の営業として就職しました.仕事は楽しかったのですが,それでもやはり高校を卒業したいと思い,夜間高校に入りました.夜学の担任の先生が大の旅行好きで,フィリピンの山奥に一人で蝶を取りに行かれたこともあるそうです.それに影響されて旅行や冒険がしたいと思い,卒業後オーストラリアにワーキングホリディで行きました.英語ができるようになりたかったので,カウンターのサンドイッチ屋さんとか町の工場とか,日本人のいない環境で仕事をしました.21歳の頃です.


 オーストラリアに行かれたときは,英語はできたのですか? またエンジニアリングは?
 英語はまったくできませんでした.だから英語が必要なアルバイトを選んだのです.エンジニアリングは興味がなかったというか,まだコンピュータがあることさえ気づいていませんでした(笑).

 オーストラリアで12か月を過ごした後,また日本に戻ってバイトをし,今度はカナダに行きました.そのときは整体に興味があり,勉強したかったのですが,結局あまりよい手がかりが見つかりませんでした.せっかく大自然が豊富なカナダに来たのだから牧場で働こうと思い,牧場の仕事を探してハイジみたいな生活を3か月間過ごしました.その後,カナダでいろいろな人と出会い,会社をやめて海外の大学に留学していた人達に感化され,自分も海外の大学で勉強したいと考えました.


 ワーキングホリディを利用されたのですよね?
 そうです.その後日本に戻り,本格的にアメリカの大学に入るための準備をし,アメリカに来ました.オレゴン州の大学でした.整体治療の分野に興味があり,カイロプラクターをめざすため,その習得科目を勉強することにしていたのですが,医学の準備コースの英語がとても難しく,挫折しそうになりました.そのうちに国連などの国際的に貢献できる仕事をしたいと思い,その学科がある南カルフォルニアのサンディエゴの大学に編入しました.でも現実を調べてみると,なかなか国連などのそういう政府関係の仕事をするにはいろいろな制限があり,キャリアにつながるか疑問がありました.それで,国際ビジネスに専攻をまた変更しました.

 夜学の先生の影響でオーストラリアへ,整体療法を求めてカナダへ,そしてアメリカですか.まさに放浪の旅ですね!
 いえいえ(笑).この先にまだエンジニアリングに落ち着くまでのストーリーがあります! 卒業後,アメリカに残るための就労ビザのサポートを得るためには,一般的なビジネスよりもコンピュータの知識が非常にプラスになるとわかりました.それでMIS科注1に編入したのです.まったく未知の世界だったのですが,宿題のプログラミングに夢中になり,つい徹夜してしまったりして,コンピュータの分野が自分に向いているのだと気づきました.
注1:Management Information Systemの略,日本の情報管理化に若干似ているが,管理職系の人達にいかにITを利用するか,ビジネス面からアプローチをする分野.

アメリカでの大学生活


 アメリカの大学生活はどうでした?
 はじめの頃は英語力が気になりますね.TOEFLのスコアは日本で準備していたのであったのですが,生きた英語での授業はまた違います.

 そうですよね,とくに文系を進んでいたらたくさん本を読まなくてはいけないし,論文やエッセイもたくさん書かなければならないし,クラスでも発表したりディベートできないといけないから,大学レベルの英語力はネイティブの人でも苦労しています.
 やっぱりそうですか…….もっとも困ったことは,グループプロジェクトですね.時間にルーズな人や,グループでミーティングしてもただ喋るだけでいっこうに仕事をしないフリーライダーと呼ばれる人などもいて,苦労しました.

 そうですよね,一見フレンドリーなアメリカ人達が,一緒に仕事をしてみると意外と違った側面を見せてくれますよね.

シリコンバレーのスタートアップにいきなり入社……
そしてレイオフ


 シリコンバレーには,スタートアップにいきなり入ったのですよね?
 エンジニアとして働くならシリコンバレーでと思い,在学中に最後の単位をインターンとして取ることに決め,卒業前にいきなりシリコンバレーに引っ越してきました.オンラインショッピングをやっているスタートアップの会社で,サーバサイドプログラミングとデータベースプログラミングなどのe-Commerceのバックエンドの構築に従事しました.大学でやっていたのはCやJavaだったのでPerlの経験はなかったのですが,インターンの間に必死で覚え,3か月後の卒業と同時に正式採用が決まりました.その1年後にシステムの移行があり,サーバをWindowsからLinux,データベースをSQLサーバからPostgreSQL,そして言語をPerlからPHPに置き換える大がかりなデータマイグレーションを学ぶことができました.のちに転職する際に,この経験に救われることになるのですが…….

 インターン制度を利用するのは,なかなかスマートなやり方ですね.現在の会社に移ったのは何がきっかけでしたか?
 その会社の経営状態が危うくなってきて,それに拍車をかけたのが9/11のテロでした.開発部の半分がレイオフになり,私もその対象となったのです.アメリカではよくあることのようですが,日本の雇用制度になれていた私にはかなりショックでした.インターネットバブルも弾けたし,テロ後だったので非常に難しい状況でしたが,経験と即戦力性を買われ,今の会社に移ることができました.

 それは,下村さんにスキルがあり,ネットワーク能力が高かったからでしょうね.多くの外国人エンジニアが帰国したり,アメリカ人もシリコンバレーを離れていますから.シリコンバレーで驚いたことは?
 サンディエゴや南カルフォルニアに比べるとアジア系の人々が多く,引っ越し先のサニーベールはとくにインド人が多く住んでいました.留学生の頃は自分の英語力をいつも気にしていたのですが,シリコンバレーでは英語力ではなく仕事で人を評価するのだと感じました.

一人何役もこなす


 現在の職場ではどんな事を?
 現在の会社では,おもにB2B/B2Cシステムの構築における設計/導入/運用及びプロジェクトのマネージメントをやっています.今手がけているプロジェクトはFailure Analysis,日本語でいうと失敗原因解析システムの開発をしています.過去の失敗事例を分析し,体系化することにより同じミスを防ぐためのシステムです.

 以前の会社では,一開発者として言われたものを作っていればよかったのですが,今の会社では,データベース設計から,プログラミング,導入サポートなど,一人で何役もこなしています(笑).

 この分野のビジネスはとても競争が激しいので,シンプルにサポートできて,いかに汎用性を高くしてコストを削減していくかが課題です.また,Web系の技術はドンドン変わっていくので,それに対して敏感に情報を集めたりと,常に勉強していかなければなりません.とくにアーキテクトの部分では,まだまだ納得のいく仕事ができていないですね.


 それはどういうことですか?
 大きい会社だと同僚や先輩の意見を聞いたり,各分野の専門の人に相談できますが,今は私が開発の責任者なので自分の考えた方法が最善なのか?と心配になるのです.まあ,細かい技術的な疑問は友人とかに聞いたりしています.たとえばDBチューニングのノウハウなどは,データベースの会社に勤めている友人に聞いたりしてヒントを得ています.

 ネットワーキングで知り合った人達ですか?
 まあ,そういう人達もいますね.後は,コミュニティカレッジなど,安価にさまざまなプログラミングのクラスを受けられる環境がそろっているので,それを利用します.そこで基本的なことは覚えられるし,友達の輪も広がりますよ.やっぱり自分から新しい情報を集めるテクニックとか,知らないことを教えてくれる人を周りに作るのは大事です.

 シリコンバレーらしいネットワークの活用術を実践していますね.今後は?
 バックエンドをやっていたので,もう少しユーザーに近い仕事をしてみたいですね.バックエンドの技術がどんどん簡易化されていく中で,インターフェースのデザインがますます重要視されてくると思います.それをうまく生かしたEラーニングや教育ソフトが面白いと思います.自分のペースで学んだりできるシステムが安価に供給されれば,場所を選ばずにいろいろなことが学べるし,たとえば体が不自由な人や家庭の主婦とかでもドンドン利用できると思うのです.Flashとかインタラクティブなものは学ぶ人を飽きさせないし,フィードバックがあると面白く,作るほうもクリエイティブな意欲が沸きます.

対談を終えて


 じつに背景がさまざまなエンジニアがいるとつくづく感じた対談だった.とくに放浪の旅の中から出てきたエンジニアリングの話が非常に新鮮だった.さまざまなことにトライした結果がエンジニアリングだった.一見大人しい日本人女性の雰囲気なのだが,下村氏はフットワークも軽く,行動力がかなりあると思う.かなりアグレッシブにネットワーキングを活用して,自分の技術的スキルを日々磨いている.



トニー・チン
htchin@attglobal.net
WinHawk
Consulting

 


copyright 1997-2003 H. Tony Chin

連載コラムの目次に戻る

Interfaceトップページに戻る

コラム目次
New

移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

Back Number

移り気な情報工学
第62回  地震をきっかけにリアルタイム・システム再考
第61回  海を渡って卵を産む北京の「海亀族」
第60回  超遠距離通信とソフトウェア無線
第59回  IT先進国フィンランドの計画性
第58回  物理的に正しいITの環境対応
第57回  年金,e-チケットに見るディジタル時代の情報原本
第56回  「着るコンピュータ」から「進化した布地」へ
第55回  技術を楽しむネットの文化
第54回  情報爆発2.0
第53回  プログラミングの現場感覚
第52回  GPS+LBS(Location Based Service)がおもしろい
第51回  技術の格差社会
第50回  フィンランドに見る,高齢化社会を支える技術
第49回  たかが技術倫理,されど技術倫理
第48回  若者の理科離れ,2007年問題から「浮遊」せよ
第47回  機械のためのWWW――Google Maps APIから考える
第46回 網羅と完備で考えるユビキタスの視点 ―― u-Japan構想
第45回 青年よ,ITを志してくれ
第44回 Looking Glassに見るデスクトップの次世代化
第43回 CMSはブログに終わらない
第42回 二つの2010年問題
第41回 持続型技術――サスティナブル・テクノロジ
第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
第39回 ユーザビリティの視点
第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
第60回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第一部)

電脳事情にし・ひがし
第14回 韓国インターネット社会の光と陰

第13回 ドイツのソフトウェア産業とヨーロッパ気質〜優秀なソフトウェア技術者は現代のマイスター
第12回 開発現場から見た,最新ロシアВоронежのソフトウェア開発事情
第11回 新しい組み込みチップはCaliforniaから ―― SuperHやPowerPCは駆逐されるか ――
第10回  昔懐かしい秋葉原の雰囲気 ── 取り壊し予定の台北の電脳街 ──
第9回 あえて台湾で製造するPCサーバ――新漢電脳製青龍刀の切れ味
第8回 日本がだめなら国外があるか――台湾で中小企業を経営する人
第7回 ベトナムとタイのコンピュータ事情
第6回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜インターネット通信〜
第5回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜ポルトガルのプチ秋葉原でハードウェア作り〜
第4回 ヨーロッパ/ポルトガルでのエンジニア事情〜市場と就職編〜
第3回 タイ王国でハードウェア設計・開発会社を立ち上げる
第2回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(下)
第1回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(上)

フリーソフトウェア徹底活用講座
第24回 Intel386およびAMD x86-64オプション
第23回 これまでの補足とIntel386およびAMD x86-64オプション
第22回 静的単一代入形式による最適化
第21回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その9)
第20回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その8)
第19回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その7)
第18回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その6)
第17回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その5)
第16回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その4)
第15回 GCCにおけるマルチスレッドへの対応
第14回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その3)
第13回 続々・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第12回 続・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第11回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第10回 続・C99規格についての説明と検証
第9回 C99規格についての説明と検証
第8回 C言語におけるGCCの拡張機能(3)
第7回 C言語におけるGCCの拡張機能(2)
第6回 GCCのインストールとC言語におけるGCCの拡張機能
第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第3回 GCCのC言語最適化以外のオプション
第2回 GCCの最適化オプション ――Cとアセンブラの比較
第1回 GCCの最適化オプション

フジワラヒロタツの現場検証
第72回 現場検証,最後の挨拶
第71回 マイブーム
第70回 OSぼやき放談
第69回 技術者生存戦略
第68回 読書案内(2)
第67回 周期
第66回 歳を重ねるということ
第65回 雑誌いろいろ
第64回 となりの芝生は
第63回 夏休み
第62回 雑用三昧
第61回 ドリームウェア
第60回 再び人月の神話
第59回 300回目の昔語り
第58回 温泉紀行
第57回 人材ジャンク
第56回 知らない強さ
第55回 プレゼン現場にて


Copyright 1997-2005 CQ Publishing Co.,Ltd.


Copyright 1997-2003 CQ Publishing Co.,Ltd.