第74回

Engineering Life in Silicon Valley

ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)


今回のゲストのプロフィール

ブラッド・ホックバーグ(Brad Hochberg):ニューヨーク州ロングアイランド出身.スタンフォード大学にて情報工学科を卒業後,オラクルを経てアップルコンピュータに入社.アップルでは,CoplandなどMacOSの主要プロジェクトにエンジニアとして参加.その後ユーザーインターフェースのスペシャリストとしてVTELのスタートアップ,OnScreen24に行く.現在は,パーソナルビデオレコーダで著名なTiVoで,ユーザーインターフェースデザイナとして活躍中.趣味はミュージカルや演劇の鑑賞,料理.最近はサイクリングとヨガに熱中している.



典型的なパソコン少年


 さて今回のテーマは,ユーザーインターフェースというユーザーからもっとも見えやすいところにあるうえに,シリコンバレーでは稀な家電系の会社に勤めているということで,いろいろと面白い話を期待しています.ブラッドは,子供の頃からけっこうパソコンに馴染んでいたほうでしょう?
 そうですね,小学校の頃からパソコンで遊んでいました.家族がAppleII plusを買ってくれて,それでいろいろプログラミングに馴染んでいったのです.

 その頃は新聞配達をやっていたのですが,VisiCalcで顧客データベースを作りました.配達を担当した家々の集金もやるのですが,休暇や出張で長期間不在にする家庭や,帰宅が不規則な人などいろいろいるわけです.それで集金日は全体の三分の一ぐらいしか達成できず,時間の無駄と感じていました.それで顧客データベースを作って,顧客の取っている新聞の種類――たとえば週末だけの人とかもあるし,平日だけという人もいます――に応じて,それぞれの不在の日は配達をしないよう,配達の日程調整に利用しました.また,毎月決まった日に請求書をプリントアウトしてそれぞれの家庭にもって行きました.数日後の集金日にあわせてね.支払いは小切手で私の自宅に送るなり,集金日に払ってもらうかはお客さんまかせにしました.


 なるほどね.新聞配達といえばアメリカの小さな町では小学生や中学生のアルバイトの代表みたいなものですが,無駄をなくすためにのプログラミングですか.でも,少しませた小学生ですよね.自分の請求書・明細を作るとは…….結果はどうでした?
 私の担当地域で2家庭だけこの私の請求書に難色を見せて,新聞社に文句を言ってきた人がいましたが,ほかの方々には好評だったようです.まあ,個人的にいうと以前のように一軒一軒回るとそれなりに私の顔を見るのでチップが出たのですが,請求書になるとチップが少し減ったのが問題なくらいです.でも何度も集金に出なくて済んでよかったですね.

 その後は?
 中学・高校時代は,アップルコンピュータのディーラーで店員として働いていたので,常に新製品をいじることができて楽しかったですね.レーザプリンタとかが出てDTPがはやり始めた頃は,まだまだハードウェアが高価だったのでお店でいろいろと試したりでき,本当に楽しかったです.

環境都市学を専攻


 それでスタンフォード大学に行かれたときは,もちろんコンピュータ・情報工学の専攻だったのですか?
 いいえ,環境都市工学科(Urban Studies)の専攻でした.そしていずれは,建築家になる予定でした.

 それは意外ですね! 典型的なパソコン少年のような気がしたのですが?
 コンピュータは私にとって,ホビーや趣味のはんちゅうのものでした.それであまり職業としてやりたいと思えなかったのです.また,実際の情報工学科のベースとなる応用数学の世界などに,あまり興味がわかなかったのです.

 環境都市学ではどんなことをするのですか?
 都市開発での建築物とその環境,そしてそれらを利用する人々に関して解析をして新しい提案をしたりします.美術のクラスとかで美的感覚を磨いたり,建築学系のクラスを受けたりもします.授業は,小さなクラスで意見をぶつけ合うディスカッションが多く,とても楽しかったです.

 具体的な内容は,たとえばサンフランシスコのダウンタウンに長距離バス,地下鉄と市バスが集結するTrans Bay Terminalというたいへん古びたビルがあります.いずれはシリコンバレーとサンフランシスコを結ぶ列車であるCalTrainの終点になり,公共交通網の主要拠点となることが期待されています.ここに行って既存の建物や,まわりの建物,環境そして利用者を観察します.それで新しいビルの企画を期末プロジェクトとして提出するのです.私の提案したプランでは,まわりのビルに配慮して光を通すガラス立てのビルを作り,下位にはバス停と駅を作り上位にホテルや店舗スペースを作る案を提出しました.10年前の話ですが,まだ何も建設されていないのが皮肉ですよね(笑).


 う〜ん,州政府やサンフランシスコ市は,予算がまったくないので難しいですよね.

情報工学科に専念――ユーザーインターフェースとの出会い


 情報工学科に専念したのはどういうきっかけですか?
 いずれは,建築家になるために専攻したのですが,一人前の建築家になるのにどれぐらいたいへんか,少しずつわかってきたのです.建築課は競争率が激しいし,ライセンスを取るための受験が必要だし,またかりにそこまで行けてもどこかの有名な先生の下でかなりの下働きが必要で,やっと自分の設計ができるまでとても時間がかかると聞きました.それで,そこまでして建築家になるのもどうか?と疑問に思いました.また,このまま環境都市学で卒業すると,市役所とか役所系の仕事になるので,それもどうかと感じていました.それで,好きなコンピュータの世界に行こうと思ったのです.3年生のときでした.一応両方で学位をとるつもりで両立させようとしたのです.しかし,それぞれの単位を取るためのクラスを両立するのは無理とわかったので,4年生になる頃は情報工学1本に絞りました.でも,セオリー的なクラスはやっぱり苦手でしたね,目に見えて形で作るものに憧れていました.幸い,Human Computer Interaction(HCI)という,人間とコンピュータのインタラクションを専門に勉強する学科を,著名なTerry Winograd教授が立ち上げた頃でした.また,ユーザーインターフェース(以下UI)は,大学院で扱う課題でしたが,特別に学士用のクラスが作られ,それを受けることができて,そこでUIと本格的に出会いました.

 HCIはどんなクラスでしたか?
 クラスの方式が非常に環境都市学に似ていました.またUIのデザインプロセスも環境都市学に似ていると思いました.たとえば,利用する人を観察したり,何のために何を使うか?など,さまざまな共通点がありました.実際のクラスのほうは,少人数のクラスでおもにディスカッションを行うことが多かったし,プロジェクトもありました.

 そこでの初めてのプロジェクトは,ビデオデッキのプログラム機能をデザインするというものでした.古典的なUIの問題です.ビデオデッキの時計合わせができないユーザーって多いですよね.それらを作ったのはエンジニア達なので,使いづらいUIが多かったのが原因だと感じました.クラスでは実際にモックアップを作ったり,テストをしてもらう人の選択やUI設計の基礎を実際のハンズオンで学べたことが良かったです.

 次のプロジェクトはアップルコンピュータの図書・資料室の設計でした.図書室の職員はただデータベースの作り変えを望んでいたようなのですが,われわれが調べてみると,社員の多くは図書室の存在すら知らない人が多く,そこから設計をし直すという方向でプロジェクトを進めました.データベースのUIの作り変えももちろん行いましたが,アップルコンピュータ社内で図書・資料室を広く使ってもらうためにアクセスをよくしたりもしました.HCIと出会うことによってUIの仕事が自分に向いていると感じ,自分のキャリアとして進めていこうと決めたのです.


オラクルを経てアップルコンピュータへ


 そして,卒業後は?
 UI設計は,新卒のポジションではないという業界の慣習にまずぶつかりました.ソフトウェアのエンジニアとして経験を積んだり,ある程度の製品開発のプロセスを経験しないと良いUI設計はできないという考え方ですね.それで,とりあえずオラクルに入社しました.当時,ちょうど完全にテキストベースのSQLからGUIが出てくる頃でした.私はMac関連のAPIや社内のツールキットへのポーティングの作業をしました.オーソドックスなソフトウェアエンジニアの仕事でした.その後,Macがビジネス系プラットホームとしての存在価値が薄れていくのを感じて次のことを考えました.

 新卒でオラクルに行かれたのですね.これもまた意外ですね,ストレートにアップルに行かれると思ってました.
 結果的にはアップルに行くのですが,プログラミングの仕事としては,オラクルは良かったです.転職先は,幸いにアップルのPowerTalkのグループで,User Experience Engineerというポジションに就きました.Gil Amelio氏が社長だった頃で,けっこうドロドロしていた時期ではないでしょうか? のちにMacOSグループに配属されて,いろいろな仕事をしました.ちょうどCoplandが開発されている頃でした.アップルのまったく新しいOSの試みでしたが,6か月ごとに大幅な書き換えをやっていたような気がします.そのたびにこれまでやって来たことをスクラップにしていて,たいへんな作業になっていました.たとえばファイルシステムを全部変えてしまうとかね…….そうするとほとんどどすべてに影響を及ぼしていましたね.出荷がドンドン遅れていたし,既存のOS 8やOS 9にはまったくエンジニアがまわらない状態でした.結局私は,Coplandのグループを離れて,人数の少ないOS 9のプロジェクトに行きました.プロジェクトマネージャ,テクニカルリード,UIデザイン,プログラマとかいくつかの役割を兼務しました.ファインダ,コントロールパネル,インストーラとかユーザーの目に見えるところをかなり担当していました.

 結局Coplandはキャンセルされ,OS XはNeXTの買収で進んだのですよね?
 そうですね,Ellen Hancock氏が入ってからさまざまな大きな流れが決まり,外部からの買収を視野に入れた戦略に切り替わりました.BeOSがもっとも有力だったのですが,話がまとまらずNeXTに流れたのだと聞いています.

次回の予告


 実際のユーザーインターフェースの設計の仕事について,具体的なプロセスや製品についてお話を伺う.



トニー・チン
htchin@attglobal.net
WinHawk
Consulting

 


copyright 1997-2003 H. Tony Chin

連載コラムの目次に戻る

Interfaceトップページに戻る

コラム目次
New

移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

Back Number

移り気な情報工学
第62回  地震をきっかけにリアルタイム・システム再考
第61回  海を渡って卵を産む北京の「海亀族」
第60回  超遠距離通信とソフトウェア無線
第59回  IT先進国フィンランドの計画性
第58回  物理的に正しいITの環境対応
第57回  年金,e-チケットに見るディジタル時代の情報原本
第56回  「着るコンピュータ」から「進化した布地」へ
第55回  技術を楽しむネットの文化
第54回  情報爆発2.0
第53回  プログラミングの現場感覚
第52回  GPS+LBS(Location Based Service)がおもしろい
第51回  技術の格差社会
第50回  フィンランドに見る,高齢化社会を支える技術
第49回  たかが技術倫理,されど技術倫理
第48回  若者の理科離れ,2007年問題から「浮遊」せよ
第47回  機械のためのWWW――Google Maps APIから考える
第46回 網羅と完備で考えるユビキタスの視点 ―― u-Japan構想
第45回 青年よ,ITを志してくれ
第44回 Looking Glassに見るデスクトップの次世代化
第43回 CMSはブログに終わらない
第42回 二つの2010年問題
第41回 持続型技術――サスティナブル・テクノロジ
第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
第39回 ユーザビリティの視点
第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
第60回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第一部)

電脳事情にし・ひがし
第14回 韓国インターネット社会の光と陰

第13回 ドイツのソフトウェア産業とヨーロッパ気質〜優秀なソフトウェア技術者は現代のマイスター
第12回 開発現場から見た,最新ロシアВоронежのソフトウェア開発事情
第11回 新しい組み込みチップはCaliforniaから ―― SuperHやPowerPCは駆逐されるか ――
第10回  昔懐かしい秋葉原の雰囲気 ── 取り壊し予定の台北の電脳街 ──
第9回 あえて台湾で製造するPCサーバ――新漢電脳製青龍刀の切れ味
第8回 日本がだめなら国外があるか――台湾で中小企業を経営する人
第7回 ベトナムとタイのコンピュータ事情
第6回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜インターネット通信〜
第5回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜ポルトガルのプチ秋葉原でハードウェア作り〜
第4回 ヨーロッパ/ポルトガルでのエンジニア事情〜市場と就職編〜
第3回 タイ王国でハードウェア設計・開発会社を立ち上げる
第2回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(下)
第1回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(上)

フリーソフトウェア徹底活用講座
第24回 Intel386およびAMD x86-64オプション
第23回 これまでの補足とIntel386およびAMD x86-64オプション
第22回 静的単一代入形式による最適化
第21回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その9)
第20回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その8)
第19回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その7)
第18回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その6)
第17回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その5)
第16回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その4)
第15回 GCCにおけるマルチスレッドへの対応
第14回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その3)
第13回 続々・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第12回 続・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第11回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第10回 続・C99規格についての説明と検証
第9回 C99規格についての説明と検証
第8回 C言語におけるGCCの拡張機能(3)
第7回 C言語におけるGCCの拡張機能(2)
第6回 GCCのインストールとC言語におけるGCCの拡張機能
第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第3回 GCCのC言語最適化以外のオプション
第2回 GCCの最適化オプション ――Cとアセンブラの比較
第1回 GCCの最適化オプション

フジワラヒロタツの現場検証
第72回 現場検証,最後の挨拶
第71回 マイブーム
第70回 OSぼやき放談
第69回 技術者生存戦略
第68回 読書案内(2)
第67回 周期
第66回 歳を重ねるということ
第65回 雑誌いろいろ
第64回 となりの芝生は
第63回 夏休み
第62回 雑用三昧
第61回 ドリームウェア
第60回 再び人月の神話
第59回 300回目の昔語り
第58回 温泉紀行
第57回 人材ジャンク
第56回 知らない強さ
第55回 プレゼン現場にて


Copyright 1997-2005 CQ Publishing Co.,Ltd.


Copyright 1997-2003 CQ Publishing Co.,Ltd.