第86回

Engineering Life in Silicon Valley

エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ 第二部


今回のゲストのプロフィール

川中 幸三(かわなか こうぞう):1972年生まれ.1996年法学部卒.半導体部材メーカに就職,東京事務所にて半導体パッケージのリード・フレームの海外営業として3年半勤務後,1999年にシリコン・バレー駐在事務所へ赴任.その後半導体フォト・マスクの営業マネージャとしてファブレスIC企業の新規開拓を進める.3年半の間に30社近くにのぼる新規顧客を獲得し,実績を買われて2004年に半導体ファウンダリ専業メーカのスタートアップへ転職.シニアセールス・アカウント・マネージャとして新規ビジネス・デベロップメントに従事.北米に事務所を置く半導体ファンダリ専業メーカの中で数少ない日本人として,北米顧客開拓および日本市場参入へ向け意欲を燃やす.週末は美味しいワインを探しに奥様とナパ近郊のワイナリを巡るのが趣味.SFベイ写真倶楽部にも所属,サンフランシスコ近辺の風景写真にチャレンジしている.




前回まで:アメリカに来たきっかけや,アメリカ南部での留学経験,また,実際に体験したシリコン・バレーでのカルチャ・ショックなどの話が出た.特に仕事のペースの速さや,現場で判断を行う傾向などについての話が出た.

営業のプロとしての道を選ぶ


 シリコン・バレーへ来られたばかりのときは,どのように営業範囲を拡大していきましたか?
 1999年の暮れにシリコン・バレーへ来たのですが,仕事のペースがとても速く,相手や自分の役職に関わらず権限のある人と会って物事を決めていくことに驚きました.いわゆる個人ベースの接客スタイルですね.日本のような営業チームとして動くスタイルでは通用しないということがショックでした.

 シリコン・バレーに来て少し経ってから,フォト・マスク・ビジネスに従事する機会に恵まれました.1997年に台湾でフォト・マスクを製造するJV(Joint Venture, 合弁会社)が立ち上げられ1999年から本格的に出荷を始めたのですが,米国でのサポート要員が不在だったのです.米国でのサポートはなかったのでゼロから立ち上げるビジネスだったのですが,これがかなり幸いしました.JV自体は当時百名ちょっとの人員だったので小回りが効き,会社としての判断も非常に速かったので,シリコン・バレーのスピードに追従することができました.


 アメリカだと営業とマーケティングの役割がはっきりと分かれています.日本だとマーケティングを営業促進と同じように捉えている会社もありますよね.アメリカだとこの二つがきれいに分かれているので,営業は商談を成立させるプロ集団という意識がはっきりとあると思います.
 おっしゃるとおりで,アメリカで通用するには,自分なりに営業のプロとしてスキルを磨いていかないと通用しないことがわかりました.だれかが営業のやり方を教えてくれるわけではないので,結局,やってみるのならシリコン・バレーで通用するプロになるということが自分にとってはおもしろいと思い,こちらで戦うことを選びました.

人脈を数名から700名に増やす!


 なるほど.さて,リード・フレームからフォト・マスクだと違った客筋になりますが,どうやって顧客を増やしたのですか.
当時の台湾のJV側から2〜3名のシリコン・バレーでのコンタクト先を教えてもらい,そこから拡大して4年半後ぐらいには,人脈を700名ぐらいに増やしました.スタートした当初は,セミナや展示会に行って片っ端から名刺交換をしたりしました.また,セミナでは終わるとホールの前まで走って行き,講演者の名刺をもらったりしました(笑).

 数名から700名は凄いですね.
 いえいえ(笑).私はエンジニアではないので,何かを作り出す能力はありませんが,営業としてもっとも大事な人脈づくりに奔走しただけです.営業のプロとして何か確実なモノを手にしたいと思ってこのようにしました.

 名刺交換は簡単にできると思いますが,それを実際に商談へと結び付けるにはどうしましたか.
 まず自分の名前を覚えてもらうことに集中しました.次に名刺交換した人達にはメールでフォローをするのはもちろんですが,その中で私と会うと何かと便利なことがあるという印象を与えることに集中しました.つまり,自分でしかできないことを相手に提供するのです.実際は,名刺交換した相手の仕事を理解して彼らのためになる情報を集めて送ったりしました.営業はギブ・アンド・テイクだといいますが,やっぱりギブが10でやっと1もらえるぐらいでしょうか.営業は製品を売るのはもちろんですが,それ以上にどういう付加価値を付けることができるか,たくさんいる営業の中で自分をどう差異化をするのか,これが大事だと思っています.

 相手のためになる情報とは具体的にどういった内容でしょうか.
 たとえばメモリ関係の方と名刺交換をしたとすると,メモリ業界動向のマーケット調査をしたり,業界紙などで読んだことをメモしました.そのうえで,マーケット・リサーチ報告書のようにまとめて定期的に配信しました.半導体フォト・マスクのベンダだと,ロジック,メモリ,コンシューマというさまざまな半導体市場のセグメントと接触しますが,それぞれ幅広く知識を広げなくては相手にメリットのある情報は提供できません.

 なるほど.顧客のビジネスを理解するのは営業の基本ですが,実際に細くサービスを実践されていたのですね.
 そうですね,シリコン・バレーでは仕事のペースが速いし,時間をむだにするのを嫌がる傾向があります.ですから,お昼に顧客を誘っても,商談か,はっきりとした情報交換ができなければ来てくれません.展示会やセミナでもいろいろな人と会うきっかけは多いのですが,自分なりに業界の知識やさまざまな話についていけないと名前さえも覚えてもらえません.ですから,日頃から業界誌や新聞などを細かく読みました.それぞれの記事を三つのポイントぐらいに自分でまとめるのです.また,これらのデータやチャートを持ち歩くようにしていました.何か話題があって,すぐ頭から取り出せる場合もあるし,チャートなどにしてインパクトがある場合もありますからね.

 いろいろなくふうをされていますね.自分に投資するという意味でもさまざまな知識を蓄えないと,ネットワーキングをしても相手からメリットを感じてもらえないかもしれませんね.
 現在でもこういう自分なりのリサーチを行い,定期的な配信を行っています.毎月3〜4回ぐらいでしょうか.名刺交換した相手もすでに顧客でないケースも多いのですが,自分の人脈ネットワークをメンテナンスすると意味があるので続けています.いつどこで助けてもらえるかわかりませんからね.

 私も似たような話があります.提案の内容や議論の内容をホワイト・ボードにドンドン書いて行き,最終的に線表状のマイル・ストーン表になっていました.それで先方が互いにホワイト・ボードにサインをしてデジカメで撮ろう,と言いはじめたのです.まあ,法的な効力はほとんどないのですが,互いの意識確認としてね.このデジカメで撮った内容を元に後日内示書を作成して実際の契約になりました.記念撮影だと思っていたらたいへんなことになってましたけれど….その日に決められることは決めてしまいたいというシリコン・バレーの仕事のペースですよね.


シリコン・バレー式,営業マン・トレーニング


 自己投資も大切ですが,おもしろいことにアメリカだと,できる営業にもっと投資をしようというのがあります.シリコン・バレーで営業か役員の経験をされていれば一度は受けるコースがあります.いろいろな名前が付いてますが,Value Based SellingやStrategic Based Sellingなどです.ルーツがおもしろく,70年代にボーイングとゼロックスが売れる営業マンを徹底的に調べるために社会学者や心理学者を大勢雇って調べたそうです.結果的に,できる営業マンはそれぞれ似通ったスキルや習性を持ち合わせており,これはシステマティックに教えることができるのだそうです.私も受けたことがありますし,教える方の手伝いをしたこともあります.内容は,かなりハードで講義と演習があり,演習は実際にロールプレイをしたり,顧客に提案書を提示するという想定で,顧客の役をする社内の人を確保しなければならないのでたいへんです.
 おもしろそうですね.

 実際の内容は,さまざまですが….まずは,顧客のビジネスを理解するところから入ります.さらに,顧客側の組織図を理解するとか,もっとエグイところでは人間関係を調べるとかもします.また,競合を検討しているなら,なぜ,そちらを考えているのか具体的に調べるとか.当たり前のことなのですが,具体的なステップがあるので皆同じように取り組めるという点でもメリットがあるみたいです.川中さんがすでに実践されているようなネットワーキングのスキルについても講義が確かあります.いかに顧客に自分を覚えてもらうのか,という課題ですよね. (次回に続く)

次回予告

 次回の予告:引き続き川中氏のネットワーク構築方法や営業のプロとしてスキルを身に付けてきた話を伺う.



Column  やっぱりお金持ちだったシリコン・バレー

 2003年暮れの国勢調査によるとシリコン・バレーの中心部であるサンタクララ郡の所得調査は,70,240ドルだった.メディアン値で,アメリカの都市で一番だったそうだ.二番目がアンカレッジ,アラスカ州,そして三番目がサンフランシスコだった.ちなみにこのときのアメリカでの平均が43,000ドルである.平均値を取ると,シリコン・バレーが51,859ドル,そして全米平均が32,808ドルという結果になった.それでもやはり突出して稼いでいる人が多いということを表していると思う.2000年ピークの値を入れなくてもきれいに右上がりのカーブとなっている.実際にシリコン・バレーが落ち込んでいるという状況よりも,バブルであまりにも突出しすぎたというイメージが大きい.

 突出して所得が多くなると,それなりの苦労が重なる.一般のエンジニア達がストック・オプションを手にすると,それを担保に大きな住宅ローンを組むことができる.これで日本円にすると楽に1億円を越える住宅を買うのだが,これが当たり前のように行われていたのがバブルの時期だった.

 しかし,ストック・オプションの税法的な処理は個人レベルでは非常に難しい.まずは,行使する時期のペーパ・ゲインが大幅なAlternative Minimum Tax(AMT)と呼ばれる枠で計算され,税率は30%で高い税率だ.問題は,ペーパ・ゲインなのでまた行使したエンジニアは現金化していない場合が多いことだ.現金化しないでそのまま持っておいて,さらなるゲインを求めようとしたり,会社の規定ですぐ売却できない場合があるからだ.

 アメリカの国税局は,とにかく行使した日から計算して,納税を現金で求める.たとえば20億円のペーパ・ゲインだと,6億円近く納めるシナリオになりかねない.これで,自社株が市場で大幅に落ちていたりすると泣きっ面に蜂になる.納税をするために家や車を手離したりするのが当たり前となっていた.これで新婚だとか,子供が生まれたばかりとか,親が病気をした…などでほとんどの財産を失いかけたエンジニアがいる.

 上述のような悲惨なケースがすべてでもなく,株などからの資産はうまく流用されているのが現実で,多くはシリコン・バレーの住宅や不動産に投資されていると推測されている.住宅の平均値がサンタクララ郡で615,000ドルとなっており,下がる気配が一向にないからだ.やっぱりシリコン・バレーはお金持ちが集まるようだ.



トニー・チン
htchin@attglobal.net
WinHawk Consulting

 


copyright 1997-2005 H. Tony Chin

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Engineering Life in Silicon Valley 第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
移り気な情報工学 第36回 時代間通信アーキテクチャ
フリーソフトウェア徹底活用講座 第14回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その3)

Back Number

フリーソフトウェア徹底活用講座
第13回 続々・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第12回 続・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第11回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第10回 続・C99規格についての説明と検証
第9回 C99規格についての説明と検証
第8回 C言語におけるGCCの拡張機能(3)
第7回 C言語におけるGCCの拡張機能(2)
第6回 GCCのインストールとC言語におけるGCCの拡張機能
第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第3回 GCCのC言語最適化以外のオプション
第2回 GCCの最適化オプション ――Cとアセンブラの比較
第1回 GCCの最適化オプション

移り気な情報工学
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
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第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
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第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
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第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
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第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
第60回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第一部)

フジワラヒロタツの現場検証
第72回 現場検証,最後の挨拶
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第69回 技術者生存戦略
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第59回 300回目の昔語り
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