第90回

Engineering Life in Silicon Valley

日本でシリコン・バレーを伝える活動


 筆者の本業であるコンサルティングとは直接関係ないが,昨年(2004年)あたりからシリコン・バレーの話や起業について,たびたび講義をしている.おもな主催者は,大学や市の団体などだ.内容はこのコラムで紹介してきたシリコン・バレーの話とか,起業の一般的なノウハウについてが多い.いずれもシリコン・バレーをヒントに新しい活動を起こそうという試みだ.

☆ 日本の大学を取り巻く厳しい環境


 今日の日本の大学を取り巻く環境はとても厳しく,また変化の速度も加速している.起業について大学生に教えようという試みはその変化の一つである.

 まずは,背景から説明しよう.大学審議会の試算によると,日本の18歳人口は1992年の205万人をピークに2004年までに141万人までに減少,そして2009年には120万人になる.その一方,大学の数はそれほど減少せず,経営のために短大などが転換したりして若干増えている.この結果,2009年には志願者数=入学定員になる時代がやって来る.

 その一方で2005年春から公立大学の法人化がスタートした.これでさまざまな変化が一気に加速する.たとえば教員や研究員が欧米並みに自由に企業のコンサルタントを行うなど,副業を持つことができる.その一方で各大学が独自性を出し,収益を上げていかなければならず,公的予算からの産官学連携の研究などは,定量的な結果を出していかなければならない厳しい状態に置かれる.今後は,欧米の大学では当たり前のTLO(Technology License Office)といった大学内の特許を民間にライセンスして行く窓口の設立などが義務付けられる.

 大学経営側としては差別化を図るために時代にあった新しいコースを設立して,「人気のある大学」にしていかなければ,どんどん定員割れをして経営困難に陥る大学も増えていくという構図ができつつある.大学教育が絡む問題はたくさんあるが,産業界や行政で一致している見解は「企業に優秀な人材を供給すること」や「何とかして日本も継続的に起業家を育てていかなければ欧米以外に起業が活発な中国や韓国に先を行かれてしまう」といった危機感だ.


☆ シリコン・バレーを大学で紹介する


 ここ数年多くの大学が取り組み始めたのが,新しい起業家育成コースだ.新しいビジネスを創造させることに期待があるため,何とかして起業を促進させたいと考えているのだろう.

 また,最近のライブドアの堀江貴文社長がフジテレビ株の件でメディアに取り上げられ,ベンチャ企業がより一層身近に感じられるようになったこともある.起業家育成コースの説明会を高校生や父兄向けに行ったところ,多くの父兄からも興味をもたれたという話を大学側から聞いた.ちょっと前までは,やはり「大手企業に就職して欲しい」と考える親が大半だったが,少しずつ今の高校生や親の考えが変わってきているように思われる.

 筆者がこれまでやってきた講義では,おもに理科系の大学のゼミや研究室で少数の学生達を相手に,シリコン・バレーがどういう場所であるかを解説していた.講義の内容は,本誌2000年7月号別冊付録,「めざせ!シリコン・バレーエンジニア」の第一部で紹介した内容に近い.シリコン・バレーの地理的な特徴や歴史がおもな内容となる.3年生以上,大学院生がほとんどなので比較的知識も豊富で話が進めやすい.シリコン・バレーを代表する企業の名前や製品名を知っているので,そういう意味で話がスムーズにいったという印象だ.また,講義の最後に行うQ&Aもおもしろい展開となるケースが多かった.

 今年に入ってから,基本的に文系の大学の一般教養のクラスでシリコン・バレーの話をしてほしい,という依頼があった.2005年の5月だ.相手は1年生がほとんどで,5月で大学1年生ということは,数か月前までは高校生だった人達だ.

 実際の授業には200名ぐらい集まって,各学生からの授業感想カードももらった.まだまだ大学生になったばかりで,かなり素直な感じの感想が多かった.たとえば,GoogleやYahoo!を良く使うが,シリコン・バレー発の会社だったとは知らなかったとか….また,意外だったのが多くの学生達が「シリコン・バレーのような,ベンチャ起業をやってみたい」とか「学生のころから会社を作りたい」という感想だった.やはりこれは,ライブドアの堀江氏の影響が強いのかもしれない.

 この話には続きがあって,現在2006年度に向けて起業家育成コースの内容を検討している.今のところ,ビジネス・プランを作成することをメインにやって行こうと考えている.マーケティング,製品戦略,市場戦略,市場調査方法,経理,財務,人事・人選など,専門知識が必要になるが,これらを一つ一つ真面目にやるとMBA並みのコースになるので,さわり程度の入門編のようなものになるかもしれない.

 また,大学生に起業家育成コースを実施しても,どれぐらいがものになるかという問題もある.シリコン・バレーでは,実際に何も社会経験なしで設立されたベンチャ起業も存在するが,エンジニアリングが絡む起業は大手企業や研究所からのスピン・オフのケースが多いからだ.しかし,基本的にビジネス・プランを作成するプロセスは何も起業だけでなく,ほかのビジネス・シーンでも使えるスキルを必要とするので,何らかの形で必ず実用的な知識になる確信はもっている.大手企業だとオペレーティング・プランとか違う名前で呼ばれているだけのケースも多い.したがって企業の規模に関わらず使えるスキルになるだろう.


☆ 新横浜のシリコン・バレー的なネットワーク・ミーティング


 市民団体にもシリコン・バレーの話をする機会があった.

 新横浜ITクラスター交流会は,2003年2月に発起した任意団体だ.民間の有志と横浜市役所が連携して運営している.設立の背景として,新横浜にはおよそ300社のハイテク業界がオフィスを構え,CPUコアで著名なARMやEDAベンダ大手のCadence社の日本本社,さまざまなハードウェアやシステム系の会社が集中しているということが挙げられる.発起人の半導体理工学研究センター(STARC)の中村 忠彦氏とARMの石川 滝雄氏によると「多くのハードウェア関連の企業が軒を連ねていてもあまり交流がないのを不思議に思い,交流会をスタートした」とのことだ.そこで同じ地域の企業が新しい事業を起こしたり,ビジネスを活性化するのを期待して交流会がスタートした.

 この交流会で,「シリコン・バレーのようなネットワーク会議ができないか」と要請されて,委員会の方々や実際の交流会でシリコン・バレーのネットワーク会議の方法について話をしたり,講演をする機会があった.講演は実際に2003年夏に行われた.シリコン・バレーのネットワーク交流会の種類,形式,何を求めてどういう人達が参加するかなどを紹介した.シリコン・バレーのスタイルはいずれもメイン・テーマのプレゼンがあり,その後軽食をとりながら交流会というスタイルが一般的だ.このスタイルで新横浜ITクラスターも運営されている.筆者がとても興味深いと感じたのは,民間の発起人がしっかりと目的意識と主旨をもち,役所が協力しているところだ.あくまでも地元の企業が交流するための場であり,役所が場所(障害者スポーツ文化センター・ラポール)の提供や交流会の補佐をしている.いくつかほかの地域の試みを見てきたが,内容はさておいて,国からの補助金などで取りあえず役所が立派な「研究所」もどきの場所を作ってしまう,いわゆるハコモノ主義的な例が多いと感じていた.新横浜ITクラスターは民間の有志が手弁当的に自分達のために続けていこう…といった意気込みが非常に強く,シリコン・バレーに似た風土だと感じている.

 シリコン・バレーでは横のつながりが重視されるので,自然にネットワーキングを行う.一般に公開されている大きなネットワーキングの会から,業界・業種に特化した会,中国人エンジニアやインド人エンジニアが中心の会(一般に公開されている),スタンフォード大学に属する会など,形式はさまざまだ.日本では,習慣の違いからなかなか同業者や競争相手のような企業の人達と交流する機会が少ない.

 いずれの活動もすぐに結果が出るような性質のものではないと思う.大学教育は長いスパンで考えて行くのだと思う.しかし,今の大学生は,インターネットや高度な通信機器が世の中にある時代に生まれた世代だし,センスも違うと思う.起業や小さなベンチャ企業に対しても興味をもっているし,抵抗がないので期待ができると感じている.  一方で,ネットワーク・ミーティングをしたからと言って,明日,明後日何か起こることでもないが,日本の慣習に合った会議を開けば何か出てくるのではないかと思う.シリコン・バレーをヒントに日本式の方法が確立できればよいのではないかと考えている.


Column  シリコン・バレーでの日本人中心のネットワーク会議
 シリコン・バレーには,さまざまなタイプのネットワーク・ミーティングがある.特にインド人や中国人はミーティングが好きなのだろうか.さまざまなタイプの人の集まりがある.純粋にエンジニアの集まりもあれば,本国の大学・学校のOB・OGの集まりからスタートしたタイプから,福祉・奉仕的なグループもある.

 日本人の集まりもいくつかある.ニューヨークが中心のJapan Societyがあるが,これは日本人の集まりというよりは日本に興味のあるアメリカ在住の人が集まるグループだ.サンフランシスコやシリコン・バレーにも分会が存在する.そのほかには,Japan Technology Professionals Association(JTPA)やSilicon Valley Japanese Entrepreneurs Network(SVJEN)が活発だ.聞くところによるとSV JENとJTPAは日本でも分科会の活動があるのでシリコン・バレーに興味のある方はぜひWebページをチェックしていただきたい.

 一般には公開していない知り合いだけの勉強会・ブレーンストーミングの会も活発だ.このコラムで対談を行った,今野 純氏(2001年9月号参照)がスタートした「これからの10年」という会だ.毎月2回ほどシリコン・バレーのメンバ宅で行われ,今後10年先のテクノロジ市場や技術・製品についてブレーンストーミングする会だ.今のところ,グループの会話をコンパクトに収めるために一般公開されていないが,ブログで会議の内容を発信している.

 今すぐ何か出てくるわけでもないが,地道に企業の壁を超えて個人のつながりを大切にすることによって今後何か大きなことが出てくるのだと思うので,ぜひネットワークキングの会を続けてもらいたいと思う.

 JTPA:http://www.jtpa.org/
 SVJEN:http://www.svjen.org/
 これからの10年議事録:http://jkonno.exblog.jp/





トニー・チン
htchin@attglobal.net
WinHawk Consulting

 


copyright 1997-2005 H. Tony Chin

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移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

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移り気な情報工学
第62回  地震をきっかけにリアルタイム・システム再考
第61回  海を渡って卵を産む北京の「海亀族」
第60回  超遠距離通信とソフトウェア無線
第59回  IT先進国フィンランドの計画性
第58回  物理的に正しいITの環境対応
第57回  年金,e-チケットに見るディジタル時代の情報原本
第56回  「着るコンピュータ」から「進化した布地」へ
第55回  技術を楽しむネットの文化
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第45回 青年よ,ITを志してくれ
第44回 Looking Glassに見るデスクトップの次世代化
第43回 CMSはブログに終わらない
第42回 二つの2010年問題
第41回 持続型技術――サスティナブル・テクノロジ
第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
第39回 ユーザビリティの視点
第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
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電脳事情にし・ひがし
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