第91回

Engineering Life in Silicon Valley

テクノロジと教育学の融合


■ 今回のゲストのプロフィール

安藤 知華(あんどう・ちか):1995年からロータスの開発エンジニアとして6年間勤務.ノーツ関連製品Sametimeの国際化と日本語化に携わる.2002年よりスタンフォード大学教育学部Learning Design and Technologyプログラムで「学びやすさ」に注目したテクノロジ製品と「学びの環境のデザイン」について学ぶ.また2003年よりスタンフォード大 Persuasive Technology LaboratoryにてDr.BJ Foggのリサーチ・アシスタント.同時期に知人と2人でPersuasive TechnologyというDr. Fogg執筆本の翻訳を手がけ,2005年秋,日本で出版される予定.現在はスタートアップにて勤務中.1歳のコーギー犬Lunaと2人暮らし.津田塾大学数学科卒業,スタンフォード大学教育学修士.
World Reach社 :http://www.worldreach-inc.com/japan
個人Webページ:http://www.serow.com/




世界同時開発を経験する


 エンジニアリングの道を選んだきっかけは?
 小さいころからレゴ・ブロックなどが大好きな子供で,小学5年生のときにBASICのプログラミングを知り,この世界に入って行きました.当時の大学は,電子工学科または数学科の選択肢しかなかったので,少人数教育であることや卒業後を考えて津田塾の数学科に入りました.実際に入学すると,周囲は行儀の良いお嬢様が多いし,数学は哲学みたいに実際の世界とあまり直結していない気がして,何度か大学を変えようかと思ったことがあります(苦笑).でもプログラミングと情報科学はとてもおもしろかったです.

 ロータスにはどういうきっかけで?
 最初は別分野の会社に就職したのですが,やはりソフトウェア・エンジニアリングの仕事がしたくて数か月で転職を決めました.マイクロソフトとロータスを受けたのですが,ロータスからすぐオファーが来たので入社しました.Windows 95の特需で人が足りなかったことが幸運でした.

 ロータスでのお仕事は?
 初めは,オフィス・スイートの,Smartsuiteの日本語化の仕事をしました.QE(Quality Engineer)の仕事も多く,多数のリグレッション・テスト注1のスイートを開発したり実際のテストに携わったりしました.その後,Sametime…Notes関連プロダクトとカテゴライズされるプロフェッショナル仕様のインスタント・メッセンジャの各国同時開発に参加しました.これは,アメリカで作られたコアをそのほかの国々が国際化を進めながら各国の言語にあった仕様にして行くプロジェクトでした.日本,台湾,韓国,中国,タイが2バイト圏なので,いっしょに仕事をしていました.

注1:プログラムを変更したときに,想定外の影響が出ていないかを確認するテスト.

 大きな会社で世界展開しているとよくある開発のパターンですね.何かおもしろいことはありましたか?
 同じ年頃のエンジニア達と仕事をしているのですが,一度も会ったことがありませんでした.でも,チャット,電話会議,メールなどでほぼ毎日チームと仕事をしている…助けてもらったことが多いです.急にアメリカと日本の間のネットのぐあいが悪くなってFTPができなくなったこともありました.ソウルのチームに連絡したら,韓国とアメリカはつながっていて韓国経由でファイルをアップしたりとかしました.


 シリコン・バレーではインドやヨーロッパと開発を行う話をよく聞きますが,実際に多数の拠点で開発が実践されていたわけですね.
 たまたま日本で開発チームが集まったことがあり,そこで初めて顔を会わせたのですが,そのときは「やっと会えたね!」と言って皆で感動しました.


アメリカを目指して大学院留学を選ぶ


 シリコン・バレーにはスタンフォード大学への留学で来たとか.
 二十歳のころから漠然とアメリカに留学したいと考えていました.ロータスでも社内転属で本社の開発部隊の一員になれたらと考えてました.でも,実際はなかなか難しく,必要のあるスタッフがアメリカに行ってました.自分のほうがTOEICのスコアが高いのに,悔しいなぁ〜とか思ったりしました(苦笑).


 外資系の会社で社内転属で渡米するのが手っ取り早いですよね.でも,それぞれ会社の状況にもよりますからね.
 そこで大学院留学を考えました.留学の準備で通っていた英語学校の先生が物理の修士を持っていたのですが,ほかの学科で研究員とかをめざしては,とアドバイスをもらいました.いろいろと自分のやりたいことを考えているうちに,テクノロジを使った教育玩具とかソフトウェアの開発に興味があることに気が付きました.とくに自分が作ったソフトウェアがいかに受け入れられるか非常に興味をもっていました.


 技術や理論では前進しているけれど,なかなか市場に受け入れられない製品がたくさんありますからね.スタンフォードでは,情報工学と心理学や教育学などを融合したユニークなコースがありますよね.このコラムに出たゲストで数名スタンフォード大学の出身者がいますが,ソフトウェア・エンジニアは皆,独特なコースで学位を習得しています(1999年12月号2003年11月号12月号を参照).さて,大学院での経験は?
 いちばん初めの授業でかなり難しい本を読まされてディスカッションするということになりました.後で知ったのですが,ネイティブのアメリカ人の同級生も難しくてわからない内容でした.アメリカ人の学生はすごい勢いで発言をするし,帰宅中に本当に途方に暮れてしまいました.


 アメリカ人はしゃべることを子供のころから教育されているので,何もわかっていなくても,ガッ〜とものすごい勢いでしゃべりまくることが多いですよね(苦笑).
 うまく発言ができないのが悔しくて,1回は何か発言しようと必死で授業の準備をしていました.グループで作業をしたりプレゼンをするのですが,アメリカ人といっしょにブレーンストームをすると,しゃべるのが遅いとちゃんと発言できなかったりするので,準備をしてアイデアをじっくり練ってからグループで集まるなど,いろいろとくふうが必要でした.


Persuasive Technologyとは?


 大学院だからもちろん勉強はとっても難しいだろうし…それも母国語じゃないですからね.相当くふうされてますね.ところで,実際受けたクラスの教授の本を和訳しているとか?
 本は,BJ. Fogg教授のPersuasive Technology(説得的な技術)です.クラスで実際に教科書として使いました.それで日本にも紹介したいと思い,知り合いといっしょに和訳を手がけてました.読みどころは,テクノロジが人間の行動を変えていくということです.さまざまな技術が人類の歴史で使われてきて,それによって人類の行動が変わってきています.同じようにテクノロジをうまく使うことによって人間の行動も変えられるということです.

 なるほど.日本だと携帯電話でのメールやアプリケーションの普及が早かったわけで,これが結局日本のユーザ・モデルやシナリオ,そしてライフ・スタイルやギャル文字を生むようなカルチャさえも変えていきましたよね.実際こういうところでもテクノロジが思いがけない変化を及ぼしています.その本は,ソフトウェアやエンジニアに向けて書かれていますか?
 一般の人が読んでもおもしろいと思うのですが,日本ではぜひWebデザインやソフトウェア・エンジニア,それからマーケティング関係の方にも読んで欲しいですね.エンジニアだとどうしても技術主導になりますが,意外なところで人間や文化に影響してしまうパワーをもっています.


スタートアップを選ぶ


 卒業後はスタートアップ企業を選んでいますが.
 スタンフォード在学中に津田塾のOG会で現在勤めているWorld Reach社の設立者で社長のジェンクス・金田厚子さんにお会いしました.卒業してからは,そのまま博士号を取るかどうか迷っていて,漠然としているときにいろいろと厚子さんのやりたい会社について伺いました.自分が大学で学んだこととテクノロジが融合したことが多かったので非常に興味がわきました.その後,博士課程に進むことを断念して,スタートアップに入社しました.英語を母国語としない人達にネットを通じて標準的な英語教育以上のサービスを提供しています.

 どういうところがほかの英語学校や教材と違うのでしょうか.
 英語のライティング・スキルを鍛えることに重点をおいています.日本にいながら国際的に仕事をされている方は,膨大な量のメールのやり取りをしているはずです.速く的確に英語を理解し,書ける能力があれば仕事の生産性もぐっと上がります.それから,カリキュラムの内容,文章はすべて生きた自然な英語表現であるということです.シリコン・バレーで普通にネイティブが交わす話題や表現,生活スタイル,視点が反映されています.トニーさんのコラムの読者の方にはとくに使っていただきたいです.

 英語以外にもクリティカル思考注2のトレーニングも紹介していますね.シリコン・バレーで活動するにはとても大切なスキルです.

注2:物事を厳しく検証して思考すること.
 アメリカではディスカッションの場で意見を発表しない人はその場にいないのと同じです.意見を発表できないのは英語力が足りないのではなくて,そもそも日本にいたときから積極的に発言するために鋭い視点で情報を取りに行き,考えていなかったのが原因です.母国語でできないことを英語でできるはずはないですよね.

 そして厚子さんから伺ったカリキュラムのアイデアはこの思考プロセスと英語を同時に鍛えられるようなものでしたから,私はもう大学院卒業後で遅すぎたのですが(苦笑),これから世界へ出て行こうという人たちに提供できればということを思いました.


 なかなか興味深いスタートアップですよね.とくにクリティカル思考を鍛えるトレーニングは,日本ではまだまだ一般化していない内容なので,ぜひがんばって欲しいです.

対談を終えて
 シリコン・バレーは実に小さな街で,知り合いに紹介されてたまたま行った教育セミナを通じて安藤氏とお会いした.さまざまな機会でシリコン・バレーに来る日本人がいるが,安藤氏は教育とテクノロジを融合した学科を通じてシリコン・バレーで活躍している.また教育というキーワードでは,最近筆者もいかにシリコン・バレーで見て来たり,経験してきた起業を日本に伝えるかに着目しているので,興味のある分野だ.


トニー・チン
htchin@attglobal.net
WinHawk Consulting

 


copyright 1997-2005 H. Tony Chin

連載コラムの目次に戻る

Interfaceトップページに戻る

コラム目次
New

Engineering Life in Silicon Valley 第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
移り気な情報工学 第36回 時代間通信アーキテクチャ
フリーソフトウェア徹底活用講座 第14回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その3)

Back Number

フリーソフトウェア徹底活用講座
第13回 続々・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第12回 続・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第11回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第10回 続・C99規格についての説明と検証
第9回 C99規格についての説明と検証
第8回 C言語におけるGCCの拡張機能(3)
第7回 C言語におけるGCCの拡張機能(2)
第6回 GCCのインストールとC言語におけるGCCの拡張機能
第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第3回 GCCのC言語最適化以外のオプション
第2回 GCCの最適化オプション ――Cとアセンブラの比較
第1回 GCCの最適化オプション

移り気な情報工学
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
第60回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第一部)

フジワラヒロタツの現場検証
第72回 現場検証,最後の挨拶
第71回 マイブーム
第70回 OSぼやき放談
第69回 技術者生存戦略
第68回 読書案内(2)
第67回 周期
第66回 歳を重ねるということ
第65回 雑誌いろいろ
第64回 となりの芝生は
第63回 夏休み
第62回 雑用三昧
第61回 ドリームウェア
第60回 再び人月の神話
第59回 300回目の昔語り
第58回 温泉紀行
第57回 人材ジャンク
第56回 知らない強さ
第55回 プレゼン現場にて


Copyright 1997-2005 CQ Publishing Co.,Ltd.