第92回

Engineering Life in Silicon Valley

チャレンジするためにシリコン・バレーへ


■ 今回のゲストのプロフィール

石川 浩(いしかわ・ひろし):大学卒業後,(株)アスキーにて,半導体開発に従事.最初の米国出張中に,当時の出張先のマネージャーに「キッド!」と実力のなさを指摘され,渡米を決意.米国のCrosspoint Solutions社に入社したが,まもなく同社が倒産.その後,Synopsys社,LSI Logic社,QdesignAutomation社を経て,現在,Cadence Design Systems社,レイアウト最適化ツール開発部のシニア・エンジニアリング・マネージャ.ワールドワイドで顧客のデザインを多数扱う.渡米のきっかけとなったマネージャとは,現在,同僚.
 趣味は秘境探険.とくにSUVにてオフロードのドライブや,国立公園の散策.自宅にいるときには,ゲームで冒険.




あるアメリカ人マネージャが渡米のきっかけに…


 まずは渡米されたきっかけからお話いただけますか.
 アスキーの半導体部門にいてシリコン・バレーのスタート・アップ企業と取引が決まり,トレーニングで初めて来ました.しかし会社のあるマネージャに子供扱いされて….「キッド!」とか「こんなことも知らないのか」だとか,さんざん嫌味を言われて,とても悔しい思いをしました.

 よくある光景ですよね.こちらの若手のエンジニアは行儀が悪い子やら無礼な子が多いし,英語が不自由な日本人エンジニアを平気で馬鹿にしたりします.決して悪気はないのだけれど,アメリカの男子特有のカルチャーです.
 当時を振り返ると,私自身のエンジニアリング面での力不足もあるのですが,言いたいことを英語でちゃんと表現できなかったのが大きな原因だと思います.その晩眠れないぐらい悔しい思いをしましたが,この経験がバネとなり渡米のきっかけになったと思います.もちろんシリコン・バレーが技術の最先端だと当時信じていたし,エンジニアとして自分を試してみたいという気持ちも強くありました.

 それでシリコン・バレーに来る準備はしましたか?
 アスキーでは当時マネージャに昇進したのですが,シリコン・バレーでチャレンジしたい気持ちがとても強く,コツコツと渡米をする準備をしました.これには,たとえばシリコン・バレーの会社とのやり取りであるとか,電話の応対を自分で進んでやったりしました.また,英語がうまい社内の人にメールの添削をお願いしたりもしました.そのほかでは,例文を百回読んで百回書くとか…こうすると本当に脳に染み込む感じで覚えてしまいます.それで,2,3年ほど準備期間をもちましたが,レジュメを出し続けてシリコン・バレーのスタート・アップに雇われました.

 準備の経験から,日本人エンジニアにアドバイスはありますか?
 シリコン・バレーに憧れ,チャンスがあれば来たいと考えている方が多いと思います.こういう気持ちをお持ちなら,ぜひチャレンジして欲しいです.世界中のトップ・スクールから来たエンジニアが多数集まっていますし,それも修士や博士号を持った人がゴロゴロいますからね.これはなかなか日本では経験できないと思います.

渡米後すぐに会社が倒産?!


 シリコン・バレーに来られてすぐ会社が潰れたとか.
 そうです.今でこそ笑い話で済みますが,入ったスタート・アップが入社3か月後に潰れました.当時はまだ妻の配偶者ビザが下りておらず,一人で単身赴任でがんばっていたのですが,皮肉にもちょうど配偶者ビザが出たばかりで妻へ連絡したその次の日でした(苦笑).それで私のビザでは30日以内に転職先を見つけなければ帰国しなければならないので,面接を30社ぐらい受けました.おかげで面接のスキルアップにもなりました(笑).当時(1995年)は,シリコン・バレーの景気がとても良い時期だったので,すぐに仕事が見つかりました.結局のところ,EDAベンダ大手のSynopsys社に入社し,その後LSI Logic社に転職しました.当時はインターネット・バブルの時期で,「2年も同じ会社にいては自分の技術が陳腐化するから進んで転職しなければならない」とか言われてました.すごく疑問でしたが.

 そうですね!私も覚えています.一般的に景気の良いときに転職しないエンジニアは欲がないし,モチベーションも低いし,技術レベルも低いとか思われる…日本では考えられないことですよね.でも,ちょっとしてからインターネット・バブルが弾けると逆に「同じ会社に2年以上いないエンジニアは技術力が低く尻が軽い」とか言われ始めましたよね(笑)!
 そうそう,何か逆戻りした感じになりました(苦笑).バブルのころにドンドン転職してキャリア・アップしていた人は,弾けてからたいへんそうです.いろいろな仕事をしても結局,基礎部分がスキル・アップしていないと良い職に就けないようで,改めて厳しい現実を見せ付けられた気がします.

 バブル前と後には本当に顕著に違いが見えましたね.
 その後,LSI Logic社に在籍中に以前,子供扱いされたマネージャから声がかかってスタート・アップに行きました.やっぱり原点はスタート・アップだと感じたので.このスタート・アップは,Cadence社に買収されました.

 なるほど.スタート・アップが無事に大手に買収されるという成功話ですね.

シリコン・バレーの会社の規模について


 さまざまな規模の会社をシリコン・バレーで経験されていますが,振り返って何か感じることはありますか?
 大きな会社,小さな会社とそれぞれメリット・デメリットがあるかと思います.まず大きな会社ですが,完全専業化されているので,自分の仕事に集中すれば良いですね.人の仕事に手を出すと怒られるぐらいです.

 こんな話があります.大きな会社に在籍中,大型のチップの設計プロジェクトを経験しました.私はバック・エンドのレイアウトの設計を担当し,レイアウト後の検証ステップは違うエンジニアが担当していました.しかし彼がテープアウト寸前に休暇を取ってしまったので,半導体ファブでのロットに間に合わせるために私が検証しました.休暇から帰って来た彼は,私に感謝するどころか,苦情を訴え非難してきました(苦笑).「余計なことをするな!」ってね.日本ではプロジェクトを優先することが当たり前ですが,アメリカではそうでない,この問題は休暇をOKした管理者が決めることであると.管理者の仕事をして,あなたは責任が負えるのか,とかね….


 ありそうな話ですね.進んで親切しないということですが….専業化・分業化がすべて悪いわけでもないのですが,アメリカ特有の問題かもしれませんね.
 それと大きな会社の内部政治的な争いごともありました.管理者が勢力争いをして負けたほうが辞めていくのですが,その部で仕事していた人がほとんどいなくなったこともありました.気が付いたらビルの半分がいなくなっていて,自分も「いつ辞めるのだ」と聞かれたりして,本当にビックリしました.

 これは日本ではあまり知られていないことかもしれませんね.日本人は派閥が好きだと言われますが,アメリカも派閥やグループ争いがたくさんありますからね.大きな会社で内部争いが凄まじいことがあります.あと,大きくなればなるほど会議がやたらに多くなったりしますよね.まあ,会社の経営スタイルにもよりますが….
 実際,私も経験しましたが,一週間に会議が25時間以上もあって,どうがんばっても自分の仕事ができない状態になっていました.そういう意味では小さい会社は判断も動きも速いですよね.これがスタート・アップのメリットでしょう.シリコン・バレーでも大きな会社は動きが鈍くなりますからね.私のいたスタート・アップは全社で7人ぐらいで,2名以上集まって立ち話やら,雑談をしていると立派な会議になり,これにもう2,3名加わるとほぼ全体会議になってしまいました(笑).

 決定や判断のスピード,方向性は最近問題になってますよね.シリコン・バレーの会社ではないですが,マイクロソフトなどは判断のスピードを上げるために部門を再編するというニュースが出ていますよね.そのほかに小さい会社・スタート・アップの特徴は?
 小さな会社,スタート・アップでは経営状態がだれもが知っているし,あと何か月後に資金が底を突いて倒産同然になるかも知っています.また,会社の扱っているそのときのプロジェクトや案件がすべて会社の運命を左右するといったシビアな場合もありますよね.だから,現在商談が進んでいるお客様と契約が締結しなければ,会社が潰れる方向に一気に加速するとか.

シリコン・バレーの魅力は?


 10年ぐらいシリコン・バレーで過ごして,今後何かやりたいことはありますか?
 自分の会社を作ってみたいですね.スタート・アップで仕事をするのが楽しいし,チャレンジを感じます.EDAの会社を作りたいのですが,パテントなどを閲覧するとメジャーなところはすべて押さえられているので難しいかもしれません.でも,設計者の立場からするとまだまだ改善の余地がたくさんあるので,くふう次第でいろいろとおもしろいネタが多数あると考えています.

 生活面ではどうでしょう.
 私達夫婦は共働きなのですが,シリコン・バレーでは夜の付き合いはないし,在宅勤務もOKという会社がほとんどなので,夕食をいっしょに取れるとか土日を過ごせるといったメリットはあると思います.ただ,シリコン・バレーの住宅費や医療費などは大きいですね.

 最近ですが,アメリカ国内のハイテク拠点を評価したレポートでシリコン・バレーの評価が最低だったみたいです.住宅費が高く,税金が高く,交通が不便,そして教育レベルが落ちていることが原因だったようです.
 そうですね,メリットはだいぶ減っていて不利なところもありますが,それでも世界中のトップ・レベルの人が集まるという魅力はあるのですよね.そして,成功した人が身近に多数いることも魅力の一つではないでしょうか.「自分もいつかは成功するぞ」みたいな意気込みが日々感じられる場所だと思うのです.

対談を終えて
  ひょんなきっかけでシリコン・バレーに来ることを決心された石川氏であるが,10年間でさまざまな味付けのシリコン・バレー企業を経て,かなり濃厚な経験をされている.とくにインターネット・バブルの前から弾ける後の激動の時期を経験されている.シリコン・バレーのメリット・デメリットをつねに冷静な視線で観察している点がとても印象的であった.


トニー・チン
htchin@attglobal.net
WinHawk Consulting

 


copyright 1997-2005 H. Tony Chin

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