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マイクロプロセッサ・アーキテクチャ入門

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最終更新日:2008年1月5日


 本書の初版が発行されたのは2004年4月だが,その後もマイクロプロセッサは進化を続けている.そこで本書発行後に発表のあった,マイクロプロセッサを取り巻く状況などについて,Web上で最新情報の補足説明をしてみたいと思う.

 プロローグ マイクロプロセッサの歴史

■性能向上の最後の砦,マルチプロセッサ

 p.14の「まとめ」の直前で,
今後の推移に関しては,歴史の審判を待ちたい.
として“マルチプロセッサ”の節をまとめている.

 2006年8月現在の状況では,IntelやAMDの方針に従って,2〜4CPUのマルチコアが主流になりつつある.X86以外のアーキテクチャでは16コア,32コアというチップもある.

 エピローグ RISCプロセッサ興亡史

■IBM801

 「IBM801」の節の最後(p.338)で,
 その割には,IBM自身はRISCの有効性に気付いていたとは言い難く,IBMがRISCに本格的に手を染めるのは,1992年のPowerPCになってからである.
としたが,より正確には「IBMもIBM801から得た経験を進化させてRISC System/6000(RS/6000)のCPUを開発し,これが1992年以降のPowerPCの基礎となった.」という説明が適しているだろう.

■MIPSの最新状況

 「MIPSの将来は…」の節の最後(p.340)に,
さて,2003年10月にはSGIが自社サーバをItanium2で統一していく方針を決定しており,R18000の開発は中断したという噂が流れている.R16000の高速版(1GHz?)を開発してMIPSプロセッサの開発は集約する方向と聞く.MIPSの将来はますます危うしといったところか.
と予想しているが,現実はますます厳しい状況になっている.

 2003年10月にSGIが自社サーバをItanium2で統一していく方針を決定した後,R18000以降のMIPSプロセッサ開発を停止した.MIPSのマルチコア化の嚆矢となると期待されたが日の目を見ることができなかった.これにて,ハイエンド版MIPSの開発は消滅した.そのSGI自体は2006年5月に破産申し立てを行っている.

 さらに2006年6月13日,AMDはAlchemy事業をRaza Microelectonics社に売却してx86路線への傾倒を全面に押し出している.

 これらをもって,MIPSの将来は世間的には危うく映っているのかもしれない.しかしMIPS社自体は,2006年2月に,24Kにマルチスレッド拡張を行ったMIPS32 34Kを発表している.MIPSはマルチコア化を主張してはいないが,これがMIPSのマルチコア化の先駆けとなるのだろうか.SoCのCPUコアとしてMIPSは健在し続けているのは確かなようだ.

■ARMの最新状況

 「ARM」の節の最後(p.341)で,
 ARM社によると,2004年にはARM11の次のMPU(ARM12?)を製品化するとしている.これは,0.13μm ルールで600MHz以上,90nmルールで800MHz以上の動作周波数を予定しているらしい.
としてまとめている.しかしこの予想は少し外れた.  ARM社は,2004年にv7アーキテクチャを実装するCortexファミリを発表した.ARM12という名称を避け新規性を強調した.一方,ARM11を1〜4個集積するMPCoreでマルチコア分野にも注力している.

■XScaleの最新状況

 2004年4月12日,IntelはコードネームでBulverdeと呼ばれていたPXA27xを正式発表した.ワイヤレスMMX,ワイヤレスSpeedStep,クイック・キャプチャ・テクノロジを新たに採用し,ハイエンドの携帯電話からPDA全般をターゲットとする.

 しかし,2006年6月28日,Intelは通信/アプリケーションプロセッサ事業をXScale込みでMarvellに売却した.主としてPXA9xx(Hermon)とPXA27x(Bulverde)が対象である.これは事実上,XScaleビジネスの切り捨てである.ただし,売り上げが期待できる,ネットワーキングとストレージ分野向けのXScale製品は継続して開発していくとしている.

■SPARCの最新状況

 「スループットコンピューティングとNiagara」の節の最後(p.344)の部分で,筆者がNiagaraについて予想を述べているが,現実には次のようになった.

 2004年4月,SUNはUltraSPARC Vの開発をキャンセルした.スループットコンピューティングを加速するためである.SUNは,2004年8月に8コア(32スレッド)構成のNiagaraを発表し,2005年の7月にはNiagaraが1.2GHzで実際に動作して いることを公表した.このNiagaraは2006年UltaraSPARC T1として登場した.IntelのXeonやIBMのPOWERの半分の消費電力である点が特徴である.

 Niagaraの後継としては2008年に出荷のRockがある.Rockは4個の処理エンジンを集積する4個のプロセッサから構成され,各処理エンジンは2スレッドを同時実行する.合計32スレッドの同時実行はNiagaraと同じである.またSUNは,2006年4月にNiagaraの後継になる年Ultara SPARC T2(Niagara II)をテープアウトしたと発表した.これは64スレッドを同時実行する.Niagaraは1CPUチップ構成だけだが,Niagara IIはマルチチップのサーバを構成できるらしい.Niagara IIの出荷は2007年中旬という.

 SUNによると,Niagara IIはローエンド,RockはハイエンドのCPUという位置付けらしい.Rockはヘテロジニアスなマルチコアになるという話もある.

■PowerPCの最新状況

 PowerPCを取り巻く状況については,特筆すべき大きな事柄が起きた.“RISCプロセッサ興亡史”に次のようにまとめたいと思う.

●Appleの裏切り?

 2005年6月6日に行われたWWDC 2005の基調講演で,AppleのSteve Jobs CEOは,MacintoshのCPUを従来のPowerPCからIntelのPentiumに変更することを宣言した.Intel製CPUを搭載するMacintoshが2006年6月に出荷予定であり,2007年までには完全にIntel製に移行するという.

 Intelへの切り替えについて,その公式な理由は,PowerPC970(G5)では3GHz動作がなかなか実現できないこと,1W当りの性能がPowerPCよりもPentium4の方が優れていることが挙げられている.

 IBMとしては,その技術力をもってすれば,Intelを凌駕する電力効率を持つCPUを開発するのは難しいことではないと推測される.しかし,Intelの寡占状態になっているPC市場に新たなプロセッサを投入するのは旨みがない(投資回収の見込みがない).PowerPCは,MicrosoftのXbox360,SCEのPS3,任天堂のWii(コードネームRevosution)に採用が決まっており,ゲーム機向けに大量出荷が見込まれるので,なおさらPC市場に興味はないはずである.Xbox360,PS3に搭載されるPowerPCは3.2GHzで動作するので,先のJobsの非難は外れたことになる.

 IBMはともかく,もう一つのMacintosh向けPowerPCの供給元であるFreescale Semiconductor(Motorolaから分社化)の方に影響がありそうである.IBMはハイエンドMacのCPUを供給しているが,Freescale Semiconductorはローエンド(ノート)Mac向けである.AppleはローエンドからIntelに切り替えるとしている.

 近年ではワークステーションもx86搭載のLinux機が流行りであるし,対抗のSPARCが消えてなくなれば,PCを含む汎用機はIntel(x86)一色になってしまうと思われる.ある技術評論家は言う.Intelが世界制覇する時期は近そうである.その先も繁栄は続くのだろうが,その先の成長には翳りが見えるかもしれない.世界征服を成し遂げた先は,ローマ帝国のように滅亡するのか?

■RISCプロセッサ興亡史で取り上げていないCPUアーキテクチャ

 本書では誌面の都合で泣く泣く掲載を見送ったCPUアーキテクチャがいくつかある.ここではそれらのアーキテクチャについても説明しておきたい.

●V850

 NECは1985年から32ビットオリジナルMPUであるV60/V70/V80の開発に取り組んでいた.V60/V70はある程度の成功を収めたものの,当初の目標である,インテルやモトローラの牙城を切り崩すには至らなかった.

 そこで,NECは汎用MPUの開発を諦め,組み込み制御に特化したマイクロコントローラの開発に着手するようになる.そのチップはV80の遺伝子を受け継ぎつつも,32ビットRISCのV800シリーズとして開発されることとなり,その第一弾であるV810が1992年に発表された.V810は25MHzで動作し,18MIPSの性能だった.性能的には,同一クロックのV80に勝る.

 思えば,その基となった32ビットVシリーズと同じく,V810も悲劇のMPUである.任天堂のスーパーファミコンのCD-ROM制御用に決定していたのに,CD-ROMの企画自体が没になった.同じ任天堂の立体ゲーム機であるバーチャルボーイに早い次期から採用が決まり極秘裡に開発が進められていたが,蓋を開けてみると大コケした.PC-Engineの次機種であるPC-FXにも採用されるが,これまた大コケしてしまう.これらを契機にV810は低迷期に入る.しかし,組み込み制御系の最大の目標がゲーム機での採用だったということは日立のSuperH戦略と同じである.

 ある時,それまでNECのシングルチップマイコンである78Kシリーズを使用していた大手ハードディスクメーカの某社が,78Kシリーズの採用を打ち切るという噂が流れてきた.その会社は78Kシリーズにとって最大の顧客だったので,NECの上層部は大慌てだった.採用打ち切りの理由が,78Kシリーズの将来性への不安と性能の低さだったので,それを払拭すべくV810の登板となる.

 ただし,V810をそのままシングルチップの代用とするためにはアーキテクチャに不満があった.一つは,ロード/ストア命令が32ビット長なので,プログラムサイズが大きくなること.もう1つは制御分野のプログラムでは頻繁に出現する単一ビットを操作する命令を備えていないことだ.そこで,16ビット長のロード/ストア命令と単一ビットの操作命令を備えたV810の設計が開始され,1993年にV851(V850ファミリの第一弾)として発表された.性能は33MHz動作時に38MIPSである.

 V850ファミリは,その後,V852,V853(フラッシュメモリ内蔵),V854(低電圧化),V85E0E/MS1(52MIPS),V850/SA1(超低消費電力化),V850/SBx(低ノイズ化)とラインアップを広げていく.そして現在では,ハードディスクだけでなく,自動車のエンジン制御など,従来はシングルチップマイコンが使われていた分野に幅広く採用されている.

 V810にはもう一つの流れがある.マルチメディア機能を拡張して,より高性能なMPUを実現しようとする流れである.この流れの中で誕生したのが1996年に発表されたV830である.V830は応用分野を,組み込み制御の分野でも,特に,カーナビ,インターネット関連機器,マルチメディア端末,デジタルカメラ,カラーFAXなどに焦点を絞った.V830は100MHzで動作し,118MIPSの性能である.後継機種としてV831(周辺機能内蔵),V832(170MIPS,143MHz)などが開発された.

 V830は,カーナビで大きな実績を上げてはいるが,組み込み制御分野への高性能RISCチップの参入に押されて,その寿命を終えようとしているように見える.

 V830は求心力を失ってしまったが,V850は依然として躍進を続けている.ただ,V850をさらに売り上げるためには最高性能を叩き出すフラグシップというべき製品がないのも事実である.MPUというものは,将来に渡る開発ロードマップがしっかりとしていることで,顧客が安心と共に採用してくれるのだ.

 それに応えるかのごとく,2003年10月15日,NECエレクトロニクスはV850の事業戦略を発表した.2005年度に90nmプロセスによる300MHz動作で405MIPSの高速処理に適した次世代V850E2コア(フラグチップ)を開発して,V850コア搭載製品の売上高を現状の8割増の1,000億円台へと大幅に引き上げる.

 これは,2003年10月20日にNECエレクトロニクスはARM社との提携を発表したが,それはV850戦略には影響がなく,今後も「V850シリーズ」の事業の積極的展開を行うという宣言でもある.

 ところで,2004年になってNECエレクトロニクスのホームページでV850の開発物語が3回に渡って掲載された.いわばV850の正史である.内容は次のとおり.V810は組み込みマイコン分野で好評を博すも,とくにコードサイズの大きさが,シングルチップ・マイコンの観点からは評判が芳しくなかった.それを打開するために開発されたのがV850である.ハードディスクの制御のためのマイコンとして開発され,社内の78Kシリーズとの軋轢を乗り越え,車載分野に挑戦をして成功し,システムLSI用のIPコアとなるまでの道程が情熱的に記されている.

●SHマイコン

 SHマイコンの発想は1986年に生まれた.東京で開催されたコンピュータアーキテクチャに関する学会でRISC信奉者になった日立の河崎俊平氏が提唱者である.SHの由来は「俊平」の略であり,SuperH(SuperHitachi)というのはあとづけの名称である.

 1990年のある日,河崎氏はH8シリーズに続く新型マイクロコントローラの開発責任者に抜擢される.河崎氏は新しいマイクロコントローラをRISCにしようと決意した.他社との特許を巡る係争を避けるため,命令セットは日立のオリジナルにすることにした.

 1990年当時,日立ではSHと同じ32ビットプロセッサとして,CISC型のTRONチップとPA-RISCアーキテクチャに基づくマイクロコントローラの2製品を開発していた.SHマイコンの開発構想が社内で表面化するにつれて,SHに対してこれらの開発部隊からの批判が集まった.特に,SHマイコンの性能が上がっていくと,PA-RISCとの競合が予想された.もう一方のTRONチップは自然消滅して行った.PA-RISCは日立の中央研究所で開発していた,いわば本流のRISCであり,SHマイコンは異端児だった.また,性能を落とせば,今度はH8マイコンと競合するとして,開発計画そのものを中止せよとの声もあったらしい.

 事態を打開するための選択肢は2つあった.1つは,SHマイコンの命令セットをPA-RISC互換にすること.もう1つは,PA-RISCとの棲み分けをはっきりさせることである.河崎は後者を選択し,SHマイコンの目標性能を10〜20MIPSに限定した.PA-RISCは50MIPS程度だった.また,CISCとの差別化のために,「10mm2のチップ面積で10MIPS以上」というコスト/パフォーマンスの良さを開発目標に挙げることにした.

 日立社内の抵抗が強くSHマイコン開発は暗礁に乗り上げつつあったが,1992年2月にSHマイコンの開発が「特別研究開発プロジェクト」の第1号として認められた.これで,SHマイコンに対する批判も徐々に鎮静化して行った.その後,開発は順調に進み,1992年4月にSH-1のファーストシリコンができあがった.

 日立はSH-1を,ゲーム機に搭載すべく,セガに熱心に売り込んだ.果たして,1992年の秋にセガの家庭用ゲーム機へのSHマイコンの採用が決定した.この採用を受けて,セガの要求仕様を採り入れたSH-2の開発が1993年の1月から始まった.主な改善点は,乗算器の性能向上と,SDRAMインターフェイスの内蔵である.

 ところが,1993年の夏にセガからSH-2の性能(25MIPS)では次世代ゲーム機には不足しているという指摘があった.手っ取り早く対応するためには動作周波数を上げることが考えられるが,時期的にそんな余裕はなかった.そこで,2個のSH-2をマルチプロセッサとして使うというアイデアが浮かぶ.おまけとして入れておいたマルチプロセッサ機能が役に立った.

 かくして,セガ次世代のゲーム機であるセガサターンには2個のSH-2が搭載されることになる.また,コスト削減のためにSH-2のシュリンク版の開発が1994年から始まった.セガ向けに2個のSH-2を1チップに内蔵したチップも開発したという.

《この節の参考文献》
  1. 日経エレクトロニクス1997年7月14日号,開発ストーリ「SHマイコン開発-第1回」,pp.129-132.
  2. 日経エレクトロニクス1997年7月28日号,開発ストーリ「SHマイコン開発-第2回」,pp.109-112.
  3. 日経エレクトロニクス1997年8月18日号,開発ストーリ「SHマイコン開発-第3回」,pp.155-158.
  4. 日経エレクトロニクス1997年9月1日号,開発ストーリ「SHマイコン開発-第4回」,pp.107-110.
  5. 日経エレクトロニクス1997年9月8日号,開発ストーリ「SHマイコン開発-第5回」,pp.147-150.
  6. 日経エレクトロニクス1997年9月22日号,開発ストーリ「SHマイコン開発- 最終回」,pp.141-146.

●SH-3以降のSuperH

 SHマイコンを世界に普及させるためには,日立はセガサターンに次ぐ需要を獲得する必要があった.そこで目を着けたのが,1996年にMicrosoftが発表したWindowsCEをOSとするPDA(携帯型情報通信機器)に採用されることだ.そのためにはMMU機能が必須である.そこで1996年,MMUを内蔵したSH-3が開発された.SH-3はSH-1/SH-2とは割り込みのアーキテクチャが異なる.SH-1/SH-2が,どちらかと言えば,MC68000のそれに近かったのに対して,SH-3は,WindowsCEがサポートする,MIPSやPowerPCのそれに近い.割り込みアーキテクチャの変更はMicrosoftの要求と思える.

 1997年にはSH-4の後継であるSH-4の開発が始まっている.これは,セガのセガサターンの後継である家庭用ゲーム機のDreamcastに採用されることが決定したからである.当時,セガはMicrosoftと蜜月関係にあり,DreamcastはOSとしてゲーム機に特化(DirectX 5.0を使用可能)したWindowsCE(開発コードネームはDragon)を採用することになっていた.そのプロセッサにSHマイコンを使用することは半ば約束されていた.

 しかし,SH-3の性能にはかなり不満があったらしく,SH-4では全面的なアーキテクチャの変更が行われた.つまり,スーパースカラの採用である.SH-3で173MIPSだった性能は一挙に360MIPSに向上した.また,単精度浮動小数点演算のサポートや128ビット級と呼ばれたSIMD命令の採用は3Dグラフィックスを重視するゲーム機への応用に特化したものと思われる.Dreamcastにおいて,セガはテレビCMなど宣伝に力を入れて拡販を行ったが,SONYのPlayStationの前には力及ばなかった.

 1999年,日立は世の中のプロセッサの64ビット化の風潮に迎合したかのように,64ビットプロセッサであるSH-5の開発を表明する.しかし,今回はSTMicroelectronicsとの共同開発である.SH-5では,400MHz以上の動作周波数を実現するために,SH-4の売りであったスーパースカラを止めてシングルパイプラインに戻した.しかし,同一周波数で見れば,SH-4とSH-5で性能(MIPS値)が同一なのが不可解である.SH-4のスーパースカラの効率が悪かったのか、SH-5で32ビット命令長を採用した効果が絶大だったのかは不明である.なお,後日にはSH-5のDhrystone MIPS値は1.5DMIPS/MHzと下方修正されており,IPC的にはSH-4(1.8DMIPS/MHz)より落ちる.

 日立のSHマイコン戦略は2000年頃から微妙な変化を遂げている.携帯電話を中心とする超低消費電力を特徴とする組み込み制御分野への進出を明確にし始めた.そのための尖兵はSH-3である.SH-3にDSPと1チップに集積したSH3-DSPのコア展開を主力製品に掲げている.これは後にSH-Mobileと呼ばれるようになる(正確にはSH3-DSPをコアとするSoCがSH-Mobile).

 2003年,日立の半導体部門と三菱電機の半導体部門が合併してルネサステクノロジが創設された.ルネサステクノロジではSH-Mobileを中心としたSoCを提供することで各種のユビキタスネットワークへのソリューションを提供する.従来のSHマイコンの扱いは,SH-4までの権利はルネサステクノロジが有するが,SH-4以降のSH-5やSH-6(SH-4も含む)のビジネスはSTMicroelectronicsから分社化したSuperH社に移管された.

 2003年10月,ルネサステクノロジはSH3-DSPの後継としてSH-Xを発表した.SH-XはSH3-DSPとSH-4を融合したような製品である.前々から噂にあったSH4-DSPが現実化した形と思っていいだろう.SH-4に比べて消費電力を大幅に削減し,4500MIPS/Wという優れたコスト/パフォーマンスを売りにしている.やはり,SHの最大の特徴はコスト/パフォーマンスなのであろう.このもう1つの特徴は,一部32ビット長の命令を導入したことである.河崎氏がSHのアーキテクチャを開発した時も,32ビット長命令の必要性(特に分岐命令において)は議論されたが,何が何でも16ビット固定長にするという川崎氏の主張で退けられていた.今回はより現実的になって,命令長を32ビットとすることでロード/ストア命令のオフセット部やロードできる即値の値を拡張して命令コード効率を向上させた.

 一方のSuperH社は,2003年6月のEmbedded Processor Forumで,SH-5以降のロードマップの発表を行った.SH-6は,SH-4と同様なスーパースカラに戻し2004年に発表,SH-7はマルチスレッディングで2006年の登場の予定だった.これで,まだまだハイエンドのSHも健在であることをアピールした.

 2004年2月のISSCCで,ルネサステクノロジはSH-Xとともに,SH-4の新しいCPUコアであるSH-4Aを発表した(その後の発表を見ていると,SH-XとSH-4Aは同じものであるようだ).400MHz動作でありながら,浮動小数点命令の強化により2.8 GFLOPSの浮動小数点性能と,36M polygons/sの3Dグラフィックス性能を達成している.性能は400MHz動作時に720MIPS(Dhrystone2.1)で250mWの消費電力である.

 SH-4AをCPUコアに採用したSS7770は,2004年2月22日に発表された.カーナビなどの車載情報端末向けに3D描画機能やGPSのベースバンド処理機能など,50以上の周辺回路を内蔵する.

 2004年5月17日には,SH-Xアーキテクチャを実装するSH4AL-DSPをCPUコアとする次世代携帯電話向けプロセッサ「SH-Mobile3」を発表した.最大動作周波数は216MHz,演算性能は最大389MIPSである.これはSH-4Aの動作周波数を下げることで低電力化したものである.このためLow Powerを示すLという文字がコア名についている.

 また,従来のSH-3の応用分野の置き換えのため,同じSH-Xコアを使用したSH-2Aという製品も発表されている.

 2004年10月1日,ルネサステクノロジがSuperH社を吸収することが発表された.SuperH社はST Microと日立の合弁会社でSHマイコンのIPコア販売を商売としていた.今回,ST Micro出身者はST Microに帰るということなので,事実上のSuperH社の解散となる.SuperH社自体,存在意義のわからない会社だったが,これでSH-5/SH-6/SH-7の路線は途絶えたと思われる.

 ルネサステクノロジは2006年3月1日にH-Mobileの生産個数を2008年に5000万個(現在の約4倍)に引き上げることを発表した.世界規模での第3世代移動体通信(3G)方式の普及を睨んだものである.20%のシェアが5000万個となる試算である.そのための施策として,NTTドコモとの提携を行い,次世代携帯電話向けマイコン「SH-Mobile G1」を共同開発した.動作周波数は312MHzである.これは2006年に量産予定だが,2007年以降も,富士通,三菱電機,シャープと組んで高速データ通信規格「HSDPA」に対応する「SH-Mobile G2」を開発していくらしい.


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