![]() HAM Journal情報 No.2 6月1日版 <ゲルマニウムラジオの思い出 投稿文ご紹介> 今週のトップは,「ゲルマニウムラジオの思い出」投稿募集のうち,先週発表しましたHAM Journal特製ゲルマニウムラジオキット当選者の方々でNo.102で誌上掲載ができなかった4名の方の投稿文のご紹介です. |
あれは今から25年ほど前,当時小学校の6年生だった私は毎月“科学と学習”を買ってもらっていました. 私は,学習にはあまり興味を持たず毎月の科学を楽しみにしていました.ある年の暖かい頃,付録にゲルマニウムラジオが付きました.私は早速説明書を読みながら試行錯誤の上製作をしました.そしてようやく完成させると早速イヤフォンを耳に付けて周波数を替えながら受信しました. ここらへんからの記憶は定かではないのですが,まずアンテナを作ったと思います.それは,銅線を物干し竿に巻きつけて垂直にしたものでした.ゲルマニウムラジオで一番気を使ったのはこのアンテナだったような記憶があります.何回も銅線を物千し竿に巻きつけながら垂直に立てた記憶があります.何回も何回もやり直しました.これが一番面白かった思い出があります. あるとき北海道の出身の方とその思い出を話し合ったところ,北海道では受信できなかったそうです. 話は戻りますが,受信しながらダイアルを回していくと,何カ所かで放送が聞こえてきました.早速どこの放送局かを確かめるため,母のラジオを借りてきました.本物??のラジオと聞き比べると,それは東海ラジオでした.私はうれしくてしばらくの間聞き入っていました.また,CBCラジオも受信できたと思います. それからしばらくの間は,ゲルマニウムラジオの本を読み漁っていたような記憶があります.その中で一番記憶に残っているのは,第二次世界大戦中の飛行士の話です.撃墜され離れ小島に落ちたその人は飛行機の部品を使ってゲルマニウムラジオを作ったそうです. これが私のゲルマニウムラジオの思い出です.
私が,ゲルマニウムラジオと出逢ったのは小学5年生の頃,クラブの時間に作ったのが最初でした.確か5〜6人位いたと思います. 同調回路は皆少しずっ違っていました.スパイダコイルと大型のエアーバリコンを使ったもの,並3や並4ラジオ用コイルとバリコンの組み合わせが最も多かったのですが,私は同調コイルの中に黒い鉄の棒(フェライトコア)が動いて同調するμ同調方式のものを作りました.これは比較的感度が良かったと記憶しています. 後で,顧間の先生に呼ばれて,『アンテナコイルを変えるといろいろな放送が聞こえるから試してごらん』と言われて大型のエアバリコンとコイルをいただきました.その後,コイルをいろいろ作ってみました.ボビンにはいろいろなものを試しました.缶詰の空き缶や鉄パイプ(これはNG)木の棒や竹筒,そして乾電池の外筒まで実験したものです(当時の乾電池のマイナス極は亜鉛の筒でできておりその上に紙が巻いてあり,上手に押し出せば縞麗に抜く事ができた).コイルの線材はエナメル線でなければ駄目だとばかり思っていましたが,裸の針金でも良いこともわかりました.これは周波数の高い場合は巻数が少ないので隣の線が接触しなければOKという状態でした. アンテナは何かないか? と捜した結果,2階建校舎の雨樋を使いました.現在の塩化ビニール製とは違い,当時の雨樋はブリキ製でしたので,ちょうどよく逆L型アンテナとして働いたのではないかと思います(当時の雨樋は,町のブリキ職人が現場で手作りしていた物です). 他にアンテナとして電灯線アンテナも用いました.これはACプラグの片方に100pFくらいのコンデンサを直列に入れてアンテナ端子につなぐもので,このプラグをコンセントのどちらか感度の良いほうに差し込みます.これが意外とよく聞こえたものです. 一緒に作ったクラブ人逢に「なんだ,これだけか」「なんだ,大したことないな」とという反応を示した人と,「どうして聞こえるの」と言った人がいました.これはこの後,職業の選択にも大きく影響しています.後者の「どうして聞こえるの」と疑問に思った人達は皆電気関係の職に就いている. 高校卒業後すぐにアマチュア無線局を開局して30年余り,その始まりはゲルマニウムラジオであったと思っている. 最近,知人からゲルマラジオキットを貰ったが,これは一度も作ったことのないスパイダコイル式である.40年前は,スピーカを鳴らすことができなかったが,もう一度チャレンジしてみたい.
「ゲルマニウムラジオ」という響きはいつになっても懐かしい. 初めてゲルマニウムダイオードを手にしたのは昭和32年頃だった.福島の田舎町に住んでいたときに町の電気屋に頼んで取り寄せてもらったのだった.まだ小学生の時分で,壊れたラジオを分解しては使える部品をストックするのが楽しみだった.時期的にラジオの買い替え期の最後だったのだろう(国民型ラジオ→5〜6球スーパーラジオ),壊れたラジオをよくもらったことを覚えている. その当時,町の電気屋には修理用の部品が置いてあったりしたものだ.しかし,トランジスタが出始めてもまだ真空管全盛の時代,ハイカラなゲルダイは店頭にはない.流通のルートをたどってタッタ1個を取り寄せてもらった次第である.届くまで1カ月くらい待たされた. 「初歩のラジオ」誌を内容が判らないながらも読んでいて科学教材社の鉱石ラジオを作ったが,感度が悪くてガッカリしていた.ところが記事中に検波器を鉱石からゲルマニウムダイオードにすると俄然,感度が良くなると書いてあったので,ゲルダイが欲しくて欲しくてたまらなくなった. そのようなわけで,それまで溜めていた小遣いをはたいてゲルダイを購入した.記憶がおぼろげになったが350円くらいしたような気がする(もしかすると送料,手数料みたいなものが掛かったかも知れない).型番はNECのSD-34だった.これを鉱石検波器の替わりに入れ換えるとラジオ福島やNHK福島第一などがホントに良く聞こえて来たものだ.時分で作ったラジオで放送が聞こえるということは本当に感激するものである. このときの感動が今の自分の原点である.だから“往年のラジオ少年"として,作っては壊し…の楽しみを今でも続けている. ゲルダイが今では@10円程度で手に入る.良い時代になった.時代の流れを噛みしめている.その後,ダイオードの世界ではいろいろな物が出ているが,相変わらずゲルダイを重宝して使っている. まだ当分の間,小生の電気遊びには現役である.
私とゲルマニウムラジオの出会いは,今から約32年前の中学生の頃でした.夏休みに組み立て,電灯線をアンテナにしてイヤフォンを耳にしたときNHK第一が聞こえてきたのを昨日のことのように思い出します.ヘテロダイン検波などを行なっていないラジオの原点ともいえる小さな箱からの音質は最高のものでした. 電灯線アンテナの場合は,なぜかNHK専属ラジオかと思えるほどNHKばかりよく聞こえてきました.送信出力も当時はNHKが最高だったということもあるのでしょうか? そこでなんとか民放を聞くんだ,とアンテナの工夫を開始しました.5mほどの竹竿にエナメル線をヘリカル状に巻き,家の横から垂直に設置して聞いてみたところ,ABC(朝日放送),MBS(毎日放送)などが良好に聞こえるようになりました.これに気をよくして更に改良を重ね,関西における高い周波数のエッジにあたるOBC(大阪放送:1310kHz)がよく聞こえるようにと,ゲルマニウムラジオの内部を改造することを開始しました. 製作したラジオはμ同調方式であったので,コイルの巻いてあったコアボビンをこじ開け,コイルの巻き数を減らしてみたところ,大成功となりました.更に改造は続き,テレビのジャンク品から取り出してきたチョークコイルをアンテナとμ同調の間に接続して聞いてみたところ,何とNSB(日本短波放送)が入感し,ビックリしたものです.残念ながらフェージングが多く,聞きづらかったので元に戻してしまいました. こうして改良を重ねたゲルマニウムラジオで入感した国内中波放送局の遠距離局としては,大陸からの混信対策のために500kWの大電力試験放送をしていたNHK熊本第2放送が最遠かと思います.海外放送では北京放送が毎晩聞こえていました. ゲルマニウムラジオは電気代もいらず,貧乏学生にはうってつけのグッズでした.
No.102特集でご紹介しました赤城山の気象ロボットシステムですが,本誌発売直前の5月20日(月),関東地方を襲った雷雨によりTNCが壊れてしまいました.本誌発売に合わせて,iモードの観測データ表示URL(http://www.madlabo.com/i/)も誌上紹介されていましたので,筆者のお二人が緊急修理に赤城山・地蔵岳へ向かいました.この登山で,5月25日(土)夕刻には修理が完了し,データ伝送が再開されました. 修理の模様は数理設計研究所のWebに動画データとして公開されていますので,ご覧ください. http://www.madlabo.com/mad/research/weather_robot/index.htm これから本格的な雷のシーズンを迎えるにあたって,数理設計研究所では皆様のお手元にある使っていないTNCの提供を求めております.不要になりましたTNCが遊んでおり,気象ロボットのデータ伝送用にご提供いただける製品がございましたら,HAM Journal編集部まで電子メールでお知らせください.無償・有償その他ご相談させていただきたいと存じます. (HAM Journal編集部)
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