DesignWave笑劇場
No.16

半導体の歴史
作・岸本陸一

歴史学者:
 「半導体」という言葉が日本で使われだしたのは,1947年にショックレー,バーディーン,ブラッテンがトランジスタの増幅作用を確認した頃だと思っていました.しかし,日本の学術論文に「半導体」という言葉が初めて登場するのは,じつは大正時代にさかのぼります.もっとも古い論文は1920年(大正9年)3月20日発行の『電信電話学会雑誌』に掲載された理学博士小幡重一の「電子論及相対性原理概要」と,従来,言われていました.ところが,わたしの調査では,それよりさらに45年以上前の1874年(明治7年),鹿児島で西郷隆盛がすでに半導体という言葉を使っていたらしいのです.

 幕末から明治にかけ,日本に滞在したイギリス外交官アーネスト・サトウの手記が西郷邸跡から発掘され,そのなかに西郷隆盛の発言が記録されていたのです.明治7年11月,サトウは英国士官学校の生徒11人を連れ,幕末以来の友人である西郷隆盛を訪ねました.西郷は前年,胸痛を理由に陸軍大将を辞職し,鹿児島に私学校を創設していました.サトウの手記の片隅に,この日行われたサッカー親善試合の記録が小さく書きとめられていたのです.

 当時はイギリスが世界各地に進出していた時期です.1863年にFootball Associationによってルールが統一された近代サッカーは世界中に広がっていきました.1873年に東京築地の海軍兵学校に伝えられたサッカーは,翌年すでに鹿児島で学校教育に使われていたのです.サトウ率いる英士官学校チームと,村田新八率いる西郷チームの試合は,互いに一歩も譲らず,0対0のまま,後半ロス・タイムに入りました.そして,試合終了直前,ふわりとゴール前に上がったコーナ・キックを英国チームのフォワードが肩のあたりで西郷チームのゴールに押し込んだのです.

 西郷は,ベンチからゆっくりと立ち上がると,審判に向かって歩き出しました.試合終了のホイッスルを吹こうとしていた審判は西郷の姿に一瞬ためらいました.そして,そのとき西郷の歴史的な言葉を聞いたのです.「いまのはゴールではなか.ハンドたい」.

記者:
 よくわかりました.ところで,その手記はだれが埋めたんですか?

(c)2001 CQ出版