第2回 データ放送がやってきた

 今,北海道は寒い.気温だけでなく,経済温度も低い.年末から新年にかけて,私のところにくる相談といえばテクニカルな話などではなく,産業活性化の方策とか北海道再生の戦略といった経済に関するものばかりだった.

 年の初めだというのに,何か明るい話題を作らなければ,北海道だけでなく日本全体が沈没しかねない雰囲気がある.そこで今回は,何か目新しい話題を探してみたい.

 何かよいアイデアがないかと考えていると,地元のTV局がADAMS方式のデータ放送を開始するという話題が入ってきた.首都圏では昨年の春から始まっていたのだが,やっと札幌まで来たというところか(ちなみに,こちらではCLARKという名前になっている).今のところ,あまり話題になっていないのは,受信端末がまだ出回っていないのだからしようがない.

 幸いなことに,私は一般公開に先立って受信用ボードを一枚入手することができたので,試験放送の段階からデータ放送を体験できることになった.

 さて,これを元にしてどれだけ夢を膨らませることができるかというのが今回の話題である.

「何でもあり」になるデータ放送

 データ放送といってもいろいろあるのだが,結論からいえば,TVやFMの電波の隙間にディジタルデータを乗せ,家庭の受信アダプタ経由でパソコンにデータを送り込むというものである.方式や規格がいくつかあるが,それについてはここでは触れないでおこう.

 要するに,電波でディジタルデータが飛んでくるという話である.似た話に文字多重放送というのがある.データ放送と文字多重放送は何が違うのだろうか? それは,利用者に開放されるインターフェースの層が違うのである.文字多重放送は,「文字放送」というアプリケーション層で公開された情報伝送手段なので,文字放送しかできないようになっているが,データ放送は一段下の層で公開されるので,基本的に何でもありになる.簡単にいえば,指定されたファイル(ディレクトリ構造)を電波で送る仕組みなのである.

 インターネットはネットワーク層で定義されていて,その上のアプリケーションの作成は利用者に開放されている.それと同じ状況が,データ放送でも出現するのである.そして,家電的コンピュータや自動車用パソコンという新しい形の端末コンピュータが,データ放送の需要先として出てくることが予想されているのである.

 夢は壮大に,現実は着実にと,まずは北海道でのデータ放送受信者第一号になるべく,自分のPCにインターフェースカードをセットして早速試験放送を受信してみた.

 確かに,知らない間にキャッシュにデータが溜まっていき,見かけ上はどこかのWWWサーバーをアクセスしているのと同じに見えるようになった.今のところ,データ放送はHTMLで書かれたホームページのイメージなのである.

未成熟さに期待

 しかし,タダで見られるホームページもどきとしてデータ放送が売り込まれたら,この新メディアの未来は暗いものになるであろう.PHSを安い携帯電話として売り込んで失敗したのと同じ構図が見えてくる.データ放送はインターネットとは全く異なるメディアなのである.何よりも,ダウンストリームのみであるという決定的な弱みがあり,インターネットよりもCD-ROM宅配に近いイメージである.

 しかし,強みもある.まずQOS(Quality of Service:サービスの品質)が保証されていること,40Kbpsは確実に出ること,そしてリアルタイム性があること,放送なのでサーバにアクセスが集中してダウンすることもない.そして,ローカルである.インターネットと違って世界中を相手にしない.

 インターネットの初期の段階で,様々なアプリケーションが作られ,淘汰されてデファクトスタンダードが出来上がるという歴史があった.それは今でも続いているが,これから出てくるインターネットアプリケーションは極めて高度かつ組織的なものに限られるであろう.それだけインターネットは成熟してきたのである.

 反面,データ放送はまだ成熟していない.現在のデータ放送の発展段階は,インターネットでは1990年頃に相当すると考えられる.MosaicやCU-SeeMeがこれから出てくる段階である.ただ,そんなに可能性があるなら,世間でもっと話題になっているはずだというさめた見方もある.

 かわいそうだが,そう考える人は第二のビル・ゲイツやマーク・アンドリーセンにはなれない.だれでも気が付くようになったら,すでに遅いのである.

 日本が得意とする何にでも規制をかけるということが,データ放送に向いた風土を作っているという見方もできる.放送行政というのは,数ある規制の中でも最も厳しいもので,民間放送局を公共機関に準ずる扱いで規制している.人が住む所,電波は届かねばならないのが日本の放送である.

 その結果,日本の地上波TVのサービスエリアと安定性は世界的に見て例外的に優れたものになったのである.その副作用でCATVが普及しなかったともいえる.規制が作った強固なインフラが日本の放送網なのである.だから今後も規制しろというのではなく,データ放送の使い方に関しては,規制を撤廃にして画期的な使い方を作り出すように仕向けるのが賢い行政というものだろう.

 通信インフラで先行した米国でインターネットが花開いたように,日本でデータ放送の新しいスタイルが出てくるようになれば,世紀末にかけて少しは明るい話題が出てくるのではないだろうか.

山本 強・北海道大学



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