フジワラヒロタツの現場検証(64)

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となりの芝生は
 会社に入って数年経つと,仕事にも慣れて転職を考えたりするものです.さまざまな理由があるのでしょうが,もっと新しい技術を追いかけたくなって,筆者もあれこれ考えたものです.

 筆者の場合,以前はまったく売れないながらマンガ家をやっていたもので,そこからプログラマに転職したともいえます.

 ただ,前向きな理由で転職したわけではなく,細々と掲載してもらっていた(口の悪い人は“自称”マンガ家と言ってくれました)雑誌がなくなり,いわばリストラされて仕方なくといった,あまり人には喧伝しにくい理由です.

 マンガ家生活時代は,毎日アイデアをひねり出し,お話を組み立てるのに汲々としていました.

 よく,締め切り前のマンガ家の「修羅場」をマンガ家自身も話題にしたりしますが,じつはあの工程は時間さえかければ確実に終わる工程で,(語弊があるかもしれませんが)それほど大変ではありません.いちばん大変なのはその前のいわば設計工程,お話を作る部分です.

 頭の中で物語世界を構築していく作業は,傍目から見るとただぼんやりしているように見えるだけなのですが,とても微妙な作業です.それがどんなにくだらないマンガだったとしても,世界を「創造」することなのですから.

 プログラマも,世界を「創造」するという点では同じようなものですが,普通はOSからまるごと書くわけではありませんし,確実に動作するものを作らなければなりませんから,マンガ家ほどの徹底した創造作業とはならず,現実世界を理解し,その枠組みのなかでの設計工程ではないでしょうか.

 プログラマの仕事は,むしろ後の工程にいくほど大変になっていきますよね.考えたことと違ったふるまいをする現実世界と折り合いを付けていく作業,いわゆる「デバッグ」という工程に煩悶し,呻吟するわけです.

 マンガ家にはこういったデバッグ作業はありませんから,はじめに呻吟してしまえば,あとは後戻りする工程はありません.一目散にひたすら描き,描き,描くだけです.

 このような,マンガ家とプログラマの作業,対照的だなぁと,しみじみ思います.

 マンガ家として暮らしていたときは,お話がうまくできず,酒の力を借りつつ発想を飛躍させようと苦しみながら,プログラマなんか,ただただ作ればいいんだからこれに比べれば楽なものだよなあと思いましたし,プログラムを仕事にしてからは何日もデバッガに向かいつつ,後戻りするわけじゃないんだからマンガなんて楽なもんじゃないかと,マンガで飯を食えなかった自分を呪いました.

 結局,どちらが楽かって? いや,最近どちらもさせていただいて,両方の苦しい部分を舐めるように味わう日々といえましょう.まあ,どちらにもそれなりの楽しみというものがあるのですけれどね.








藤原弘達 (株)JFP デバイスドライバエンジニア,漫画家

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