第24回

〜対談編〜

南さんは,エンジニアでありながらアメリカのビジネススクールに行き,その後シリコンバレーで仕事をされているというユニークな経歴をもっておられます.まず,ビジネススクールに行かれた背景から話を始めましょうか?
日本にいるときは,半導体商社に勤めていました.私が入社して配属されたグループは,ASICやEDAツールを扱っていました.そこでトニーさんと,アメリカのサプライヤと日本代理店のエンジニアという関係でお会いしたわけです.
そうですね,私も南さんも社会に出たばかりの頃で,私はシリコンバレーの老舗ASICベンダの東京デザインセンタの立ち上げで日本に来ていました.
当時の印象は,アメリカから入ってくる製品もすごかったわけですが,説明に来るアメリカのエンジニアがみんないろんなことを知っているので,自分も「こうなりたい!」と思いました.また,とくに製品説明に必要なマーケティングの資料がよくできていて感心しました.まあ,まちがいもあるわけですが,だいたい論理的かつ合理的な製品の説明がされていたという記憶があります.他のアメリカのサプライヤと仕事をしても,よくできたマーケティングの資料が必ず付くわけで,自分で勉強したり和訳して自分の仕事によく使っていました.しかし日本では,どうしてもマーケティングが営業のオマケぐらいとしかとらえられていなくて,なんとなく軽視されていた感じがしていました.

今回のゲストのプロフィール

南 博剛みなみ・ひろたか

 1963年生まれ.半導体商社で8年間エンジニアとしてすごし,マーケティングと英語でのコミュニケーションの必要性を感じて渡米.ビジネススクール卒業後,シリコンバレーのベンチャー企業でアプリケーションエンジニアの職を得る.M&Aの「洗礼」を受け,現在大手EDAカンパニーのNorth America担当Sales Technical Engineer. 

アメリカのビジネススクールに行く

 

そうですね.私の経験でもアメリカの会社は,マーケティングと営業を分けてとらえているし,別々な形で体系的な学問にしていますね.一般的に,マーケティングがDemand Creation(需要の創造)の学問であり,営業がDemand Fulfillment(需要の実現)の学問といわれますね.日本の営業でもすごい才能をもっている人がいますが,会社でやってくれる教育などが,アメリカの会社に比べてまだまだ体系化されていないかもしれません.

同感です.それで,だんだんと仕事を通してマーケティングという学問に興味をもち,勉強してみようと思いました.しかし,当時の日本では,まだきちんとマーケティングを学べるところが少ないかほとんどなくて,いろいろと調べたところ,やはりアメリカで学ぶのがもっとも良いという結論に達しました.

結局,退社されてご家族で渡米されたわけですが,会社で止めたりする人は,いませんでしたか? 
勤めていた会社が6ヵ月以上の休職を認めていなかったので残念ながら退社しましたが,応援してくれた人が案外多くいました.上層部の方とかで「オイ! がんばってこい! 学位とったら戻ってきてもいいぞ!」とか,いろいろと声をかけてもらいました.それで,ハワイのJAIMS注1という,もともと日本とアメリカの経営方法の教育を主体にした学校に行きました.コースは二つに分かれており,欧米系の学生がアジアで仕事をする人を対象にしたコースと,アジア系の学生がアメリカ式の経営学を学ぶコースです.私はアメリカ式の経営学を学ぶコースに入りました.クラスは全体が25名ほどで,20名ほどが日本人で,あとは他のアジアの人々です.日本の経営学を学ぼうとする欧米人達とも交流でき,素晴らしい環境でした.
異文化交流を目指している学校ですからね.ユニークだと思います.それで,いちばん興味深かったコースは何でしたか?

注1:富士通が設立した異文化交流を主眼としたビジネススクール.欧米式の経営学のほかに日本式経営学や語学などを学べる.詳しくは,http://www.jaims.org/も見てほしい.

 

印象的だったケーススタディ

 

マーケティング,ファイナンスの基本的なことを学びましたが,やはりケーススタディがいちばん面白いと思いました.グループで実際にあったビジネスの問題をさまざまなアングルから分析するわけですが,グループ内のチームワークも必要だし,いろいろな面で身に付くことがたくさんありました.

私も大学の一般教養で経理とか経済学のコースを多く選びましたが,エンジニアになっても相当役に立ったと思います.

同感です.エンジニアリング(工学)と純粋な科学の差を考えてみると,エンジニアリングでは限られたリソースの中で答えを出すわけで,実際仕事をしてみると,いかに利益を将来出す裏付けがあるのか,またより正確なビジネスプランを練ることなど,経理とは切っても切れない関係ともいえますよね.
ファイナルプロジェクトは,何でしたか? 多くのビジネススクールでは,ビジネスプランをグループで書くといったことがごく一般的ですよね.卒業後,それに沿って実行して大成功したビジネスが神話化されているケースなどもありますね.
ええ.私のファイナルプロジェクトでは,ケーススタディを中心にした論文を書きました.私の選んだトピックスは,ジーンズのLEVI'Sが同じブランド名でスーツを出して大失敗したケースでした.製品の善し悪しだけでなく,営業戦略がしっかりしていないとものが売れないという,マーケティングの重要性を再認識し,どんなマーケティングをしていれば成功できたかを研究するプロジェクトでした.

シリコンバレーのスタートアップで
インターンシップ

それで卒業後は,いきなりシリコンバレーのスタートアップに入社されたのですが,その経緯を詳しく教えてください.
ほとんどのビジネススクールでは,インターンシップを卒業の必修課目としているわけですが,JAIMSでも卒業間近になるとインターンシップに行きます.われわれアメリカ式経営学のコースにいる学生はアメリカ企業に,日本式経営学コースを学んでいる学生は日本企業に,という具合になってました.

卒業間近に企業で実習するインターンシップはビジネススクールでも,工学部でもありますね.インターシップやサマージョブ制度は,自分の学んだスキルがどれくらい実際の世界で通用するかを確かめたり,本当にこの分野でやっていけるかどうか確かめたりすることができる非常に有意義なシステムですね.

私のクラスメートは,ほとんどが日本からの企業派遣で来ていたので,短期的なインターンシップでも問題がないわけですが,私の場合は卒業後の就職先を決めなければならない立場でした.そういうわけで,就職を前提に考えてくれるところを選び,レジュメを送るようなこともしました.自分のいままでの経験などを考え,半導体ベンダやEDAベンダに絞って応募しました.結局落ち着いたEDAのスタートアップは,以前付き合っていたアメリカ人のエンジニアがいたので彼から直接会社の状況が聞けたことと,対応がいちばん早かったことから決めました.当時この会社は,設立2年目で従業員が約40名でした.

典型的なシリコンバレーのスタートアップでしたね.日本の商社からビジネススクール,そしてシリコンバレーのスタートアップでしたが,相当な経験だったのでは?

いや〜 もう毎日がすごい経験ばかりでした….いまでも懐かしい.とにかく毎日カルチャーショックでしたね.社長とか開発部のトップとも毎日顔を合わせるし,仕事もいっしょのときが多く,とにかく会社の誰でも会社の状況をしっかり把握してましたね.エンジニアでない人事の女性でも,会社の製品が「IC設計で必要なフロアプランナでは,当社が業界で60パーセントのシェアをもっている」とかちゃんと知っているのです.

私も4社ぐらいスタートアップを経験していますが,会社・製品が違ってもあの雰囲気は独特で,同じ感じがしますね.みんなキビキビとしている.でも会社が成功して株式を公開すると一気に雰囲気が変わった経験もありますが,あれも不思議ですね.

そうですね,パブリックの会社(株式上場後)になると,たしかに雰囲気が変わります.とにかく上場する前は,IPO(Initial Public Offering:株式上場)が大きなゴール&イベントとしてみんなを一丸とさせるのでしょうね.
言い方がよくないかもしれませんが,パブリックな会社になると急にサラリーマンっぽい人が増えたりする.

社内のコミュニケーションを重視する
スタートアップ

会社のコミュニケーションも,スタートアップだと会社全体会議みたいなのが毎週行われ,会社のいちばん大きな部屋にみんなすし詰めになって入るわけです.みんなそれぞれ意見を言うし,質問も多い.聞いているだけでも,どのグループが今どういう問題を抱えているかすぐわかるわけです.一方,従業員数千人の大きな会社になると,どこかの講堂で社長とか数少ない副社長がマイクをもって舞台で話をし,それが衛星中継やインターネットなどによって各国・各地の支社にも放映されます.スタートアップだと問題とかが肌で感じられるので,大手企業のコミュニケーションミーティングとだいぶ差があると思います.
コミュニケーションのスタイルでとにかく垣根が低いという点で,スタートアップは迅速に動いていますね.私の勤めたあるスタートアップでは,部署とか関係なしにオフィスをごちゃまぜにしていました.私は営業部の傘下にいながら,オフィスのお隣りさんが開発部のトップエンジニア,品質管理のボスでした.ちょっと休憩時間とかお昼になると,異文化交流になるんです.開発のトップに直接お客の要望とか競合の状態とか報告できるし,開発部の考えていることやペースなどが自分で確認できるわけです.
自分の考えが煮詰まらない間から意見交換をひんぱんに行ったり,緊急状況で無理を聞いてくれるのがいいですね.そこから新しいアイデアがどんどん生まれる.大きな会社になると,アメリカでもなわばり意識が強くなり,違う部署の人と会議・交流するときは,そこのマネージャを通さないとスムースにいかないことが多いですね. (次回に続く

次回の予告
 日本のエンジニアが,アメリカのマーケティング資料に興味をもったことをきっかけにビジネススクールで学ぶことになった経験を語っていただいた.次回は,さらにシリコンバレーのスタートアップにおける話題に移る.なかなか知られていないアメリカ人エンジニアとのやりとりなど,興味深い話が出た.

 

トニー・チン htchin@attglobal.net
WinHawk Consulting

 

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copyright 1997-2000 H. Tony Chin

 

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