第25回 |
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〜対談編〜 |
前回(1999年6月号)に続いて,南 博剛氏にシリコンバレーのスタートアップにおける話を伺った.
まず,アメリカでのビジネススクールから始まり,そこからたどり着いたのがシリコンバレーの典型的なスタートアップと,非常にユニークな経験をされてますよね.さまざまな国々や場所でシリコンバレーのようなスタートアップが多く生まれる状況を再現しようとしていますが,南さんの経験から見て,何がもっともたいせつだと感じますか? |
やはり,モチベーションがはっきりしていることでしょうか? スタートアップでの私の年俸の15%ほどが会社の売り上げに直接リンクされているのです. だから,みんなにわかりやすいところで会社の売り上げとか顧客の発注書の何パーセントが自分の給料になっているという意識があるわけです.また,ストックオプションも会社が社会的に評価されて初めて現金化できる.すごく公平な感じがします.日本でエンジニアとして働いていたときは,「会社のために!」とか漠然とした目標が掲げられるのですが,わかりにくいし不透明な部分がたくさんありました. |
仕事の役割にもさまざまな選択肢がありますよね.エンジニアだと,経験を積んでほかのエンジニアを管理するマネージメントの方向,エンジニア(Individual Contributor)としてずっと続けていく方向,そして別分野 ── 営業とかに進む方向も考えられますね.スタートアップでは,一人何役もするのが当たり前なのですが,レベルアップできる経験をするためにスタートアップに行く人も多いですね. |
そうそう,Senior
ScientistとかResearch Fellowとかのタイトルで部下をまったくもっていなくても,給料が副社長クラスだとか….ある分野では世界でもトップクラスらしく,朝の6時に出勤して夕方の4時ぴったりに帰ってしまう,おまけに出張とかはいっさいしないというポリシーの人が,私の勤めたスタートアップにはいました.一見そうとう歳のいった「平社員」なんですが,何でも知っていて,開発のアウトプットは相当あったし,会社内では相当な待遇だったそうです. |
南 博剛(みなみ・ひろたか) 1963年生まれ.半導体商社で8年間エンジニアとしてすごし,マーケティングと英語でのコミュニケーションの必要性を感じて渡米.ビジネススクール卒業後,シリコンバレーのベンチャー企業でアプリケーションエンジニアの職を得る.M&Aの「洗礼」を受け,現在大手EDAカンパニーのNorth America担当Sales Technical Engineer.
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そういう意味でシリコンバレーのマネージメントは,できる人を上手に使おうとしますよね.個人対会社の契約であるということがはっきりしています.だから,同僚がどうだとか,同期がどうだとかということは,アメリカでは語られないですね・・・.それにしても面白い人ですね,そのほかに思い出に残る人は?
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注1:技術の取りまとめ役,CEOやCOO,CFOと並ぶ重要な取締役ポスト.
注2:アメリカビジネスマンのステータスで,ビルの角の個室オフィスに入るのが良いとされる.日本の窓際族と逆で,ステータスの高い人が眺めの良いオフィスに入る.
注3:株式上場,Initial Public
Offeringの略.
注4:Electronic Engineering Times,週刊の電子系エンジニア誌,http://www.eet.comも参照のこと. |
南さんの勤めていたスタートアップは最終的には競合の大手EDAベンダに企業買収(M&A)されましたが,その際の話をしてください.
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対談を終えて 南氏と初めて東京で会ったときの,いかにも商社のエンジニアらしく真面目で,腰の低く接客マナーがしっかりしたところがいまでも印象に残っている.その後,数年間まったくコンタクトがなく,EDAの展示会でばったり会った.日本でのエンジニアの経験を生かしつつさらにステップアップし,スタートアップで活躍していた姿はまさにシリコンバレーのエンジニアだった.スタートアップ,大企業やビジネススクールの経験があり,アメリカ人の深いところを観察していて,会話はいつも興味深い. |
トニー・チン htchin@attglobal.net WinHawk Consulting |
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