第27回 |
|
〜対談編〜 |
7月号と8月号のゲストだった南さんは,ハワイで勉強されてから1993年にシリコンバレーに来られました.一方,山本さんは,最近シリコンバレーに来られたわけで,渡米された経緯も違うわけですね.ですから違った目でシリコンバレーの経験などについてお話いただければと考えています. |
はい,私も来たばかりなので,(逆に)トニーさんに聞きたいことがいろいろあります. |
さて,山本さんとは渡米される前の職場で一緒に仕事をしたこともありますが,その前は日本の半導体ベンダに勤めておられました.渡米の希望などは,その頃から? |
大学で情報工学の勉強をしていて,HDLシミュレータや論理合成ツールを使っていました.だから入社するとき,CADツールの開発をやらせてもらえるものだと思っていたのです.しかし配属先は,論理回路図からチップのレイアウトをする仕事で,かなりがっかりしました. |
山本 修作 (やまもと・しゅうさく)
1966年大阪生まれ.半導体企業に6年間勤務した後,EDA業界へ転身.1997年より大手EDAベンダの米国本社に勤務.
|

|
前に述べたように,最初の仕事はCADの開発ではなく,CMOSの論理回路図からチップのレイアウトをするのが毎日の仕事で,2交代制でやっていました.回路はすべてできあがっているので,設計らしいことはほとんどありませんでした.しかし今から考えると,最近はレイアウトからシステムまですべてやっている人が少なくなっているので,良い経験になったと感じています.
|
私も最終的にはOSまで扱う仕事をやったのですが,もとは半導体プロセスやCPUが専門でした.
|
その次のプロジェクトが,セルベースやゲートアレイの自動配置配線ツールを社内で立ち上げる仕事でした.会社では全自動では使っていなかったので,設計者に自動で使える環境を立ち上げるプロジェクトでした.また,その後はいろいろなEDAツールを立ち上げる仕事をしました.さまざまなツールの評価をしたり,インターフェースに必要なプログラムを作ったりで,このときはけっこう楽しかった.しかしだんだん仕事をやっていくなかで,ある大事なことに気づきました.それまで社内の設計者達は,ツールの役割は手動のところを助けるぐらいにしか考えておらず,いろいろと無理が出てきたのです.
|
無理というと?
|
各ツールは,ある設計手法や環境を想定して作ってあるわけで,その手法や環境を導入しなければツールの最高のパフォーマンスを引き出せないということです.いままでの設計手法にツールを合わせようとすると,無理が出てくるわけです.
|
私にも似たような話があります.10年以上前の話ですが,シリコンバレーにあるASIC会社の東京デザインセンタの仕事をしたときでした.日本での初めてのプロジェクトだったのですが,以前作ったチップを1チップ化するプロジェクトでした.顧客は日本の大手メーカーです.共同設計ということで,私がツールの環境の設定や説明をすることになっていました.この顧客エンジニアは,回路図とテストパターンを紙のコーディングシートでもってきました.まず,回路図を忠実に入力するため,若い女性のCADオペレータを連れてきました.そして彼女をワークステーションの前に座らせ,顧客エンジニアはその後ろに座って回路図の座標を口で言うのです−−“アンドゲート10番,出力,インバータ32番,入力,結線…” これを女性が入れていくわけです.かなり読みにくい,階層なしの回路図ができあがりつつありました.まあ,お客さんだから我慢して見ていたのですが,4日目ぐらいには見ていられなくなって,このツールは,階層的に回路図を入れていって少しずつシミュレーションしていけば全体ができあがるということを何度も説明しました.しかし,顧客エンジニアは“会社の方針云々でこういう風に回路図を入力しなければならない…”との回答でした.テストベクタもパソコンのファイルなどの電子的なデータでもらえないか?と再三聞いたのですが,これまた“フロッピー類は,社内持ち出し禁止だからだめ”が回答でした.
|
うCADオペレータとはデジタイザの雰囲気丸出しですね(笑)!トニーさんの会社のツールを理解せず,いままでのやり方で設計しようとしていたのですね.そしてどうなったのですか?
|
結局,この調子では間に合わなくなるし,できた回路図も意味不明に近くなるので,回路図もテストパターンも入れ直しで我々が泣く泣く全部引き受けました.シリコンバレーにいる上司にこのことを報告したら,信じてもらえませんでした.
|
さて本題に入りますが,こちらに来られて2年目ですよね.日本のエンジニアでこちらに来たい人から相談をよく受けるのですが,経験者として何か良いアドバイスはありますか?
|
こちらに来てカルチャーショックとかはありましたか?
|
私の場合は,シリコンバレーの企業の日本支社に転職していました.英語を仕事で使ったり,トレーニングマニュアルや資料が英語だったり,アメリカ人エンジニアと仕事をしていたので,いわゆるカルチャーショックはありませんでした.そういう意味で,(私は)スムーズだったと思います.ただ,私生活面で家族へのサポートとかが必須です.
|
対談を終えて 山本氏は,数年前に筆者の勤めていたベンチャー企業で採用した日本人エンジニアだった.筆者と同じく関西出身とあって,会話はコテコテの大阪弁になる.システムレベルデザイン,ソフト開発,マーケティングやビジネスなどかなり広い分野で経験をもっている.2年前に家族5人で渡米された.今後の活動が楽しみである.
|
トニー・チン htchin@attglobal.net WinHawk Consulting
|
戻る
copyright 1997-2000 H. Tony Chin
|
|