Daily? Diary

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2003.5.30(Fri)    省電力生活

 わたしのメインパソコンはA4ノートである.けっこう便利に使っているのだが,先日,自宅にADアダプタを置き忘れたことに気がついた.
 となると電源はメインバッテリ+2次バッテリのみ.合わせて5時間程度は持ちそうだ…と思いつつ,就労時間にはとても足りない.切れたら「ごめんなさい,家でしごとします」と出ていくか…?

 ふと目に留まったのは,目の前のオフライン・パソコン.フロッピ・ディスク経由でファイルをコピーし,作業すれば何とかなるかも!
 …というわけでやりはじめたのだが,何せオフラインなので,Web(検索)が使えない,メールもチェックできない.あらためて,Webとメールがいかにしごとの必需品であるかを思い知らされた.
 遠くにある共用パソコンも使わせてもらいながら(だって,やはり自分のしごとは自分の席でしないと落ち着かないのだ),ポツポツとしごとをする.効率が良いとは言えないが,しかたない….

 さて帰宅前1時間.メインのパソコンを起動して,メールで連絡を取ったりWebの更新をしたりする.あ,バッテリの残量低下警告メッセージが出た! せめて,サーバとの同期を取っている間だけは切れませんように….祈りは通じ,ぶじにその日もしごとを終えました.バンザイ!
 …ちなみに,もちろんお持ち帰りも"有り"です.

2003.5.26(Mon)    人生楽しく前向きに!

 我が家の育児方針はずばり「ほめて育てる」である.
 自分で靴を脱げたとき,スプーンですくうご飯の量が適量だったとき,部屋の中のごみを拾ってごみ箱にポイできたとき.ありとあらゆる場面で,「○○くん,すごい!」と言っている.本人も嬉しいらしく,自分で何かやっては「○○くん,すごい!」と言ったりしている.
 別に,おだてているわけではない.はじめは何も分からない赤ちゃんだったコドモが,ことばを理解し,行動できるということは実に感動的なことである.ただ,それを「あたりまえ」と思ってことばにしなくなってしまうと,感動を感じなくなるだけのことだと思う.

 コドモが通っている保育園はとてもよいところだと思うのだが,今朝,おやつを待ってみんなで「手はおひざ」をやっているとき,うちのコドモはなかなか手をおひざに置けないでいた.ほかの子供を先生が1人ずつ「××ちゃん,すごーい!」とほめている.ずいぶん最後のほうで,やっとうちのコドモも手をひざに置いた.でも,先生はそれに気づかずに配膳している.…
 飛んでいって,「すごい!」と言ってあげたかったけれど,保育園に入ればもう保育園の生活だ.親がしゃしゃりでる幕ではない.…今日帰ったら,いっぱいほめてあげよう.

 「努力は報われる」.ときには報われないこともあるが,原則としては報われる.そういう信念を持てるほうが,人生を前向きに生きられるに違いない.

2003.5.23(Fri)    発想の幼児化

 パトカーを見ると心が弾む.

 救急車を見ると,指をさして「キュウキュウシャ!」と言いたくなる.消防車も同じ.
 …こどもの影響を強く受けている自分にあきれてしまう.

 「♪救急車が走りますー,事故だ,事故だ,たいへんだー ピーポーピーポーピーポーピーポー サイレン鳴らして行っくっよー」という歌がある.ハ長調で振り付きのお気楽な歌である.
 こどもといっしょに振り付きで歌いながら,「事故にあったらこんな気分じゃないよな…」などと思う.特に,マンガ『ブラックジャックによろしく』で,夜間の救急病院にはろくな医者はいず,研修医が外科手術を行ったりする などという情報を得てからは,夜のピーポーピーポーを聞くたびに「どうぞ,無事に手術が終わりますように…」などと心中で祈るわたしである.
 ミニカーの救急車の扉を,こどもが「オカーチャン,ドーゾ!」なんて言いながら開けてくれるのだが,嬉しいような複雑な気分….

2003.5.16(Fri)    幼児番組に思う

 ふだんはテレビをつけない我が家だが,最近は病気の子どもをじっとさせておく手段として利用している.「いないいないばぁ」「おかあさんといっしょ」は定番として,それ以外について感じたことを書いてみる.
 セサミ・ストリートを模倣したような教育番組「英語であそぼ」は,なんだかなぁ…幼児のころから英語になじませる必要なんてあるのかなァ…むしろ,英語コンプレックスを持つ親が英語教育をしたがっているんじゃないの? などと,自分の英語コンプレックスを逆方向に振りかざしてみたりしているわたしである.だって,小さい子に「Yeah!」と言わせる必要なんてないじゃない.「わーい」とか,「えいえいおー!」でいいじゃない(ところで,えいえいおーって,何語なのかな?).

 それに比べて,2003年4月からの新番組「にほんごであそぼ」は,なんだか不可解なシロモノである.狂言師の野村萬斎が出てきて踊ったり,KONISHIKI(コニちゃん)が日本の名文(ギオン ショージャノ カネノ コエ…etc)を朗読したり,わらべうたをドレミの音階に合わせて歌ったものを流したり(♪ラソッソソッソソッソ ソーラシッシラーソーラ…etc.わらべうたをドレミに当てはめると,なんだか響きが不自然に明るいように感じませんか?),ひらがなを映像として見せて楽しんだり,…なんだかすごく「作られた日本文化」を感じる.斎藤 孝の『声に出して読みたい日本語』を映像化しました,と言いたげなツクリだが,その結果がすごく不自然(人工的)な文化に見えてしまう.(後日,当番組の監修を斎藤 孝氏が手がけていることを知る.やっぱり!)
 また,本来は口承で伝えるべきものを,核家族化・各世帯の個別化により,テレビのブロードキャスト(放送)という形でしか伝えられなくなった,と言わんばかりの皮肉を感じる.
# いえ,つまらないと言っているわけではなく,いろいろと興味深いとは思うのですが,子どもにこれを見せて育てたいとは思わないな(むしろ,いろいろわかった年頃以降に見たほうがおもしろいのではないかと…),なんて思うわけです.

 そんなこちらの思いとは裏腹に,子どもは「ややこしやー,ややこしやー」と"野村萬斎とややこし隊"のまねなどをして,キャッキャと喜んでいる.まぁわたしも,この「ややこしやー」は気に入っちゃったんですけどね.意味もなく.

2003.5.9(Fri)    忘れられない人

 あまり自覚はないのだが,どうやらわたしは惚れっぽい性質らしい.で,ここ1週間頭から離れないのが,緋村 剣心である.
 昔は「人斬り抜刀斎」と呼ばれた殺し屋が,今はなるべく人を殺めたくないと思い,逆刃刀(いわゆる"峰打ち"ですね)しか持たずにさすらう.ことばにすると陳腐だが,行間からは,ずしっと響いてくる説得力があった.その姿と笑顔がこうも忘れられないとは,わたしもよほど重症だ….

 いえ,ただのマンガなんですけどね.…でも,マンガと文学の高低/上下はもはや感じませんね.

2003.5.6(Tue)    あーあァ

 個人的なメールを,間違ってメーリング・リストに投稿してしまう人がいる.またその受取人が,メーリング・リストと気づかずに軽口の返信をしてしまうことがある.
 よくあることで,そのミス自体は責めるほどのことではないのだが,個人的なメッセージの中で,対外的にはいつもは見せていないその人の「本性」のようなものが見えてしまうと,何だか気まずい.ま,いちばん気まずいのは発信してしまった本人だろうが….

 そんな例のメールを先ほど受け取った.いつもは礼儀正しい人が,すごく品のない物言いをしていた.
 これじゃ百年の恋も冷めるよなぁ…と思いつつ,赤面しているに違いないその人を,あわれに思いつつ.