第39回 ユーザビリティの視点
ユーザビリティ(Usability)に関する話題を聞く機会が多くなった.直訳すれば“使いやすさ”という意味になる.IT分野ではWebページのユーザビリティ評価などでよく使われている.
対語となるのはユーティリティ(Utility),つまり有用性,機能性である.ユーティリティが機械側の視点で機能を客観的に評価するのに対して,ユーザビリティは人間側の視点で機能を主観,客観の両面から評価するというスタンスの違いがある.
デジカメを例にすると,画素数や撮影モードの数はユーティリティの評価であり,撮影しやすさや収納しやすさはユーザビリティの評価であるといえる.ディジタル家電などのハイテク商品は,発売当初は性能指数で売れるが,開発競争が一段落して性能が横並びになってくるとデザインやユーザビリティが重要になってくるという.だれだって使いやすい物が欲しいに決まっている.開発側も無理に使いにくくしているわけではないのだが,作る側の評価軸と使う側の評価軸は必ずしも一致しているわけではない.エンジニアにユーザビリティを上げろと指示するのは簡単だが,お客様の気持ちがわかればビジネスに失敗はないのである.それが読めないから,みんな苦労しているわけである.とっかかりとして自分が使用者となる分野を取り上げて,ユーザビリティ評価の練習をしてみたい.
ハイテク教室のユーザビリティ評価
大学の教室はいったいだれが設計しているのかと思うことがある.学校の建て替えはめったにあるものではないし,教育を研究する人も研究対象が「教育」なのであって教育を自分でやりたいということではない.教育分野の研究者はIT分野における研究開発部門の立場であり,実際に教室で教えている私などが利用者の立場になる.
今時の教室は液晶プロジェクタ装備で,AVと照明の制御卓が付いているというものが増えている.ユーティリティとしては申し分ないのだが,ユーザビリティ的には問題がある場合が多い.使うまでの準備がたいへんというのはいつものことだが,それは教員も勉強する必要があるということで納得するとしても,それ以前の問題がある.
私が使っている教室の例では,プロジェクタ使用モードと黒板使用モードが完全に分離しており,その移行に2分ほどかかるのだ.切り替えという高機能設備のおかげで,プロジェクタ・モードへの移行で照明が全部切れ,教室が真っ暗になってしまう.これでは学生はノートも取れずに寝てしまうというわけで,部分的に照明のスイッチを入れたいのだが,そのスイッチは制御卓の反対側の入口ドア横に設置されている.
照明も問題で,スクリーンに向かって縦列に3グループに分けてON-OFFするように作られている.教室でプロジェクタを使うとわかるのだが,ON-OFFの単位は横列で前,中,後となっているのが嬉しいのである.もうちょっと考えてくれたら有難い,それがユーザビリティということなのだろう.
私にとっては黒板の真正面にスクリーンが下りてくる形式も使いにくい.放送講座のように完全に作り込まれた教育コンテンツを再生するなら問題はないのだが,そこに教師がいる講義では,プロジェクタ・モードと板書モードの高速切り替えや,スクリーンと黒板の併用は必須なのである.現実はそういう講義がほとんどだと思うのだが,いかがなものだろうか.
ドイツで見かけたユーザビリティの真髄
3月に仕事でドイツに行った際,少し時間ができたので「笛吹き男」で有名なハーメルンに行ってみた.
歴史を感じさせる田舎町なのだが,オフ・シーズンにも関わらずそこそこに観光客がいる.それは良いとして,観光客の歩く流れがまるで笛吹き男に誘導されるように同じ方向を向いて流れているのである.蛇行のぐあいまで似ている.
私と同行した某氏は,ガイドブックも持たずに旧市街に入ってどっちに行けばよいものやらと悩んでいたのだが,ふと足元を見たときに,観光客の流れの意味がわかってしまった.路面にはペンキで点々と「ネズミ・マーク」が書かれていたのである.ネズミ・マークが笛吹き男の故事に関連するランド・マークを結んでいるという簡単な話だった.
ここにユーザビリティの本質が隠れていると思う.何よりもこのシステムは観光の基本である歴史的建築物や街並みを破壊していない.石畳に書かれたネズミ・マークはいずれ消えるものである.言語の壁も越えて意図を伝えている.
ユーザビリティが高いとは,サービスや機能が自然で受け入れやすい形で提供されているということに尽きるのである.ユーザビリティを追求すると物やサービスは単純かつ単機能になるのだろう.
e-Japanが信条の日本では,観光客に情報を伝える機能はITでなければいけないという暗黙の了解があるのではないだろうか.新聞ではGPSや携帯電話がからんだハイテクな観光情報システムの話題を聞くのだが,そういうシステムがそう簡単に普及するようには思えない.
IT業界にいる私としては,ユーザビリティという視点でサービスを見直すと,逆にITが重要ではないという結論が出そうなのがちょっと怖いのである.
やまもと・つよし
北海道大学大学院情報科学研究科
メディアネットワーク専攻
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