第75回

Engineering Life in Silicon Valley

ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)


今回のゲストのプロフィール

ブラッド・ホックバーグ(Brad Hochberg):ニューヨーク州ロングアイランド出身.スタンフォード大学にて情報工学科を卒業後,オラクルを経てアップルコンピュータに入社.アップルでは,CoplandなどMacOSの主要プロジェクトにエンジニアとして参加.その後ユーザーインターフェースのスペシャリストとしてVTELのスタートアップ,OnScreen24に行く.現在は,パーソナルビデオレコーダで著名なTiVoで,ユーザーインターフェースデザイナとして活躍中.趣味はミュージカルや演劇の鑑賞,料理.最近はサイクリングとヨガに熱中している.



前回まで:もともとエンジニアをめざさず環境都市学を専攻していた話から,ソフトウェアの仕事についた話をうかがった.氏はアップルコンピュータでは,OS 8や9の設計に携わった人物でもある.アップル時代での「下積み」から話を続けてもらう.

念願のユーザーインターフェースの仕事に就く


 アップルでは,めざしていたユーザーインターフェースの仕事をされたのですよね? ファインダ,コントロールパネルなどをやっていたわけですか?
 一人何役もやっていましたが,正式なユーザーインターフェースグループの一員ではありませんでした.個人的には,かなりハードな日々が続いていて,自分のめざしているユーザーインターフェースのエンジニアとして早く専念したかったものです.そこでMacOS 8プロジェクトの終わりで区切り良い時期に配置換えを願い出たのですが,まだまだ経験が足りないといわれ,結局,かなりもめた後に却下されました.個人的には十分下積みをしたと思っていたので,かなり不服に感じ,アップルでは自分のやりたいことが実現できないのだと感じてきました.

 また,同じころにお世話になった技術の取りまとめ役の方が辞めてしまいました.彼女は,スタートアップに行ってCTO(Chief Technology Officer)になられたので,私もそこに行くことにしました.ビデオ会議システムを作っていたOnScreen24です.ここで初めて,念願のユーザーインターフェースのデザイナとして専念することができるようになりました.


 スタートアップの経験は,ここがはじめてですね?
 そうですね,ビデオでのメールシステムを作っていました.結局,親会社のVTELからの追加投資がうまく得られず,解散しました.2000年秋のことです.幸いまだそのころはインターネットバブルが弾ける前だったので比較的に簡単に仕事が見つかり,現在のTiVoに入社しました.TiVoでは引き続き,ユーザーインターフェースのスペシャリストとして仕事をしています.

ユーザーインターフェースの仕事とは?


 それでは実際に,ユーザーインターフェースの仕事について語っていただけますか?
 まず,ユーザーインターフェースは会社の方針や,製品によって,取り組みがだいぶ違ってくると思います.たとえば,冷たい水と熱いお湯が出るオフィス用の給水器ですが,熱湯が出るスイッチやコックにうっかり触れ,熱湯で火傷をすることがないようにします.たとえば,解除ボタンを押してから熱湯が出るボタンを押すとかですね.ものによっては,操作法が直感的ではなく,使い方に苦しむ製品もあります.

 ユーザーインターフェースには,その会社の方針とか製品のタイプが出ていると思います.良いユーザーインターフェースには,やはりデザインとエンジニアリングの時間とコストがかかるからですね.一方,広くコンシューマに使われる製品だともう少しユーザーの使ったときの体験を考えなければヒット製品になりません.たとえばアップルのMacユーザーは熱狂的で,ファンが基盤として確実に存在すると思うのですが,それと同じレベルにするにはユーザーの体験が素晴らしいものでなければなりません.


 最近気に入った製品などはありますか?
 個人的には,アップルのiPodがなかなかスマートな製品だと思います.他のMP3プレーヤをいくつか使ってみたのですが,アップルらしいスマートさがあります.こういうのはアップルがやはり上手だと思います.

 TiVoもユーザーにすごく支持されている製品ですよね.熱心なユーザーにより,TiVoのハックサイト 注1 が運営されており,さまざまなハックのやり方の紹介がされていたり,実際にユーザーがさまざまな改造をしているとか…….
注1:TiVo Community Forumと呼ばれるサイト.TiVoは基本的に80GバイトのHDDをもったLinuxマシンなので,ハックや改造が非常に人気を呼んでいる.メールのチェックやWebブラウズの方法などが紹介されている.
おっしゃるとおりで,TiVoもMacユーザーのような熱狂的なファンベースを作ることを優先課題としています.会社によっては,ユーザーインターフェースをエンジニアリングの一部ととらえる会社もあれば,マーケティングに近いグループと考える場合もあります.TiVoの場合は中間です.

 実際の仕事のプロセスですが,まずは,製品開発の段階でマーケティングとエンジニアリングの要望を揃えて調整することからはじめます.TiVoには実際製品を製造するメーカーとのパートナーシップもあるので,その要望も取り入れる必要があります.エンジニアリングやパートナーの要望というのは,技術的に影響するものが多いです.たとえば,リモコンにボタンを付けたほうが利便性がアップする場合もありますが,部品コストに直接的な影響があるし,すでに出荷されているユーザーへのアップデートもコスト面での影響があります.そういう場合は,オンスクリーンのメニューに取り込んでしまうというスタイルになります.


 エンジニアリング,マーケティングそしてサードパーティのメーカーとの綱引きのようなのですが,妥協が多いのではないでしょうか?
 何らかの妥協はもちろんあります.たとえば最近の例で,ある日本のメーカーと共同開発した製品があるのですが,われわれの意向としてはリモコンをTiVo特有のシンプルで楽しさを訴えるようなスタイルにしたかったのですが,このメーカーはAV製品のリモコンを統一させたデザインにしているので,彼らの統一デザインに落ち着きました.堅い雰囲気になり,個人的にはあまりよくないと思いましたが(苦笑).

 良いユーザーインターフェースの決め手となるものはあると思いますか?
 そうですね,もっとも大事なのは顧客……ユーザーを知ることだと思います.これによってユーザーの体験をよりいっそう素晴らしいものにできるからです.ユーザーを知るには,さまざまな方法で調べることが可能です.たとえば,マーケティングの力を借りてアンケートをしたり,フォーカスグループを行ったりします.アンケートやフォーカスグループでは,質問の仕方が答の方向を決めてしまうことがあるので,質問の設定やヒアリングの進め方についての「設計」についても,ユーザーインターフェースのスペシャリストとして関与することがあります.

 それは,どういうことですか?
 ユーザーのやりたいことと言っていることに隔たりがある場合があるからです.ですから,アンケートの質問の内容をマーケティングの人達と考える部分にも参加する場合があります.これは,エンジニアリングのスキルというよりは,心理学的な要素,そして観察力の要素が必要ですね.

 次に,実際に答えが揃ってきたら,さらにくわしく聞くためにフォーカスグループを行ったり,ヒアリングを行ったり,実際のモックを見せたりしていきます.プロトタイプの段階になるとユーザーテスティングのラボで実際の製品に触れてもらいます.ここでも,どのような人をテストの対象にするか?またどのような内容のテストにするか?これらが非常に結果を左右します.


 つまりテストの設計の仕方によっては,ズルができるのですよね.良い結果にしてしまうとか…….ちょっと話がずれますが,私が以前勤めていたGeneral Magicでたまたま自分のオフィスがユーザーテスティングのラボの近くだったのですが,警察署の取調べ室みたいでした(笑).マジックミラーになっていて,何台かのビデオカメラがユーザーの状況を録画しているのですよ.かなりの本数のビデオテープがありました.
 ユーザーを連れてきてテスティングをする部屋ですね.われわれの使う道具の一つです.しかし,テストの設計の仕方や仮説の立て方によって,結果は思ったとおりにならないものです.

 例を挙げると,最近,衛星テレビのDirecTVと共同開発した製品をテストしました.箱から開けて初期設定をする部分がおもなテストでした.DirecTVは100チャネル以上あり,スポーツの中継が充実していることで有名です.最近はHDTVも始まったので,それのチューナ込みの機種をテストしました.初期のターゲットとなる顧客は,かなりテレビが好きな若い男性ですよね……またシリコンバレーなので,かなり技術的なことに慣れている人達……こういう設定でテストを考えたのですが,実際の結果は皆さんかなり苦労していました.HDTVのチャネル設定の部分とかアンテナの調整とかが難しかったようです.こういうデータを元にまたデザインの再検討を行ったり,場合によっては,ユーザーマニュアルの強化などの具体的な解決策に結び付けていきます.


ユーザーの体験を素晴らしいものにする


 実際は,かなり地味なブラッシュアップ的なプロセスなのですね.でも,大学で学んだ環境都市学のプロセスに似ているとおっしゃっていたことが何か理解できるような気がします.

 ところで,まったく違ったスタイルのマンマシンインターフェースを考えたいとかありますか?

 今のところはないですね(笑).スタートアップなので,早く黒字転換してほしいです.われわれの製品がやはりリビングルームでの娯楽マシンとしての位置付けなので,テレビを中心とした娯楽をいかに楽しくするか?というのが私の課題です.テレビが大好きで,そして楽しく使えるマシンをめざしています.楽しくするために,キュートなマスコットがアニメーションとしてメニューで動くとかさまざまな工夫をするわけです.これは,専属のグラフィックアーティストが取り組んでいます.また,楽しくするにはユーザーのやりたいことをドンドン取り込むことです.最近デジカメで取った写真を取り込んで音楽と一緒にスライドショーみたいに見せる機能を取り込んでいますが,これもじつは,ハックサイトで提案されていたものをヒントにしています.ユーザーの体験をよりいっそう素晴らしいものにするのが,私のめざしているものです.


対談を終えて


 ブラッド氏はジムでお会いしたエンジニアの一人だ.シリコンバレーでは稀なコンシューマー系の家電の仕事についているので,なかなか興味深い話ばかりだった.ドンドン多くを語ってくれる優秀なゲストだった.アップルコンピュータでの裏舞台話もたくさん出たが,少し過激な内容もあったので,非常に残念だが割愛した.ブラッド氏は,エンジニアリング以外にもMultiple Sclerosis(多発性硬化病)の寄付金集めの100マイルサイクリングツアーの会社のリーダーとしても活躍している.



トニー・チン
htchin@attglobal.net
WinHawk
Consulting

 


copyright 1997-2003 H. Tony Chin

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Engineering Life in Silicon Valley
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