第64回

Engineering Life in Silicon Valley

インターネットバブルの前と後の比較


10年前のシリコンバレーのイメージ

まずは,シリコンバレーに来た経緯から話を進めていただけませんか?
日本で入社した会社がシリコンバレーのVLSI Technology, Inc.(以下VLSI,現在はPhilipsの一部)と提携していました.この関係でVLSIのボストンにあるデザインセンタに約3か月,シリコンバレーではサンノゼのデザインセンタに約8か月滞在しました.こちらの設計環境を学んだり顔つなぎがおもな目的でした.

 そこではARM6と7の改良版の作成に参加しました.具体的な内容は,フルカスタムですでにできていたチップをVLSIのスタンダードセルに置き換えてパフォーマンスを上げることです.結局,できあがったデバイスは20〜30%のパフォーマンスアップが達成できて,フルカスタム版と見劣りしない出来でした.

 その当時のアメリカ人の上司であるアンドレは,非常に喜んでくれ,そのままアメリカに残らないか?と聞かれました.


今回のゲストのプロフィール

吉田 穣(よしだ・ゆたか):1963年愛知県生まれのIC設計エンジニア.1988年東京大学相関理化学修士卒.10年間日本でIC設計経験を積んだのちに渡米し,1999年からシリコンバレーでさまざまなスタートアップでIC設計を行う.趣味は温泉とスキー.


短い期間で結果を出されたのですから,こちらの設計担当マネージャも欲しがるでしょうね.それで10年前ほどのシリコンバレーはどうでした? ’90年ぐらいですよね?
当時はシリコンバレーのイメージが非常に良かったので,ぜひ仕事をしてみたいと思いました.皆スマートに仕事をしているし,環境も整っているというイメージです.まわりにいたエンジニアは優秀な人が多かったですね.また,家賃は今のように高くなかったし,高速道路も比較的空いていました.家賃の高騰と渋滞はのちのインターネットバブルのおかげですが(笑).それから,当時は私の興味のある,面白そうなプロセッサ関係の会社がたくさんあったことも理由の一つです.

 ほかには,プライベート面でもすごく楽しいんじゃないか?というイメージがありました.私は1人で渡米したのですが,上司が非常に気をかけてくれました.彼の夫婦は子供がなく,よく奥様の家族が所有するハウスボートとかに招待されました.シャスタ湖にハウスボートがあったので,たしか奥様のお父様がジェットスキーやバイクとかボートのディーラーとかやっていて,新製品が出たら試乗させくれるとか……アメリカでもなかなか少ないと思うのですが,一緒に楽しませてもらいました.


シャスタ湖はとても綺麗なところですよね.そこでウォータースポーツをするのは最高でしょう!
そうですね.結局私は日本にある会社の研修で渡米している立場上,そのまま「アメリカに残ります!」では済まないと思い,とりあえず一度帰国したのです.その後,その当時の上司は違う会社……日本でも少し有名になった,グラフィックス関係会社であるChromatic Researchに行ってしまいました.

 しかし,その後も同じ元上司から声がかかりました.私は,日本に帰国してからはプロジェクトリーダーやマネージャをやっていたので,なかなか手が空かない状態でした.またその間にChromaticが駄目になり,元上司はどこかまた違う会社に行ってしまいました(笑).


う〜ん,なかなかシリコンバレーらしい話ですね(笑).

インターネットバブルの絶好調でイメージダウン?!


結局 ’99年あたりに渡米してこの元上司を窓口に面接を受けたのですが,英語でワーっと言われただけで話せませんでした.まったく英会話の練習もしてなかったし,研修で来ていたときはなんとか生活できたので大丈夫だろうと思っていました……でも結局喋れなかったですね.これで面接には見事落されてしまい,かなりへこんでしまいました(笑).

 それでまた日本に戻って仕事となりましたが,シリコンバレーに戻りたいという気持ちが出てきて,雑誌の求人広告でシリコンバレーの会社があったので応募してみました.この会社は日本人が多い会社で,上層部の人が来日するということがあったので,日本での面接になり,結局ここに転職することが決まりました.そして ’99年の10月あたりにまたシリコンバレーに戻りました.


今回のインターネットバブルが絶好調の頃ですよね?
そうです.しかし今度はすごいショックでした.家賃は2倍以上になっていたし,どの道路も車で渋滞が多く,乱暴に運転する人が増え……もっともショックだったのはエンジニアの質が落ちたような気がしたことです.

そうですよね,私も家賃とか生活面での変化には非常に驚きました.では,そのエンジニアの質について具体的に説明していただけませんか?
たとえばコントラクタ(個人または請負設計会社からのエンジニア)のことでしょうか……日本人のエンジニアに混じって多くの中国人系やインド人系のエンジニアが働いていました.大量に仕事を抱えていたので,社内のエンジニアだけでは足りないことが多く外部からコントラクタを使っていました.

 VLSIでもコントラクタを使っていたので一緒に仕事することがあったのですが,以前の記憶ですと,コンストラクタというと,しっかり仕事をしてくれる頼もしいエンジニア……職人肌系のエンジニアですよね,そういうイメージがありました.

 それが,インターネットバブルの頃だと,ろくに仕事をしないのに$250近い時給が支払われていました.小遣い稼ぎでやっているというタイプがほとんどでした.まあ,たまたま雇ったコントラクタがそうだったのかもしれませんが,昔のタイプの人と遭遇することはありませんでした.笑ってしまったのがツールの使い方を知らないということで,ツールの勉強をして,そのまま何もしないで辞めてしまう人がいたことです.


私もコントラクタというと「必殺仕事人」みたいなイメージで,本当に困ったときに助けてもらう,プロ中のプロのエンジニアという印象があります.だから社内で難しいアナログやRFの部分をやってもらうこととかが多かったです.しかし,お話だと本当にひどいですよね.
まあ,質の悪いコントラクタももちろん問題なのですが,雇うほうも問題ですよね.この会社では,やはりいくらシリコンバレーといえども,レベルの低いエンジニアやマネージャもいるということを再認識しました.エンジニアやマネージャの数が多いので,レベルのすごく高い人もいれば低い人もいるということです.

英会話はやはり難しい?!


現在勤めている会社は,通信とかの関連でかなり特別なデバイスをやってますよね?
動作スピードも速く,2.5GHzで動くI/Oをもっていて,こういうところに惹かれて入社しました.最近多いタイプの会社で,ファブレスで台湾の半導体ファブに実際のチップの製造をしてもらいますが,そのほかはわれわれの会社ですべて用意します.ディジアナのエキスパートも社内に抱えています.入社したきっかけは,また以前の上司でした.今回はシリコンバレーの仕事でだいぶ英会話も上達したので…….

日本人が多い会社ではなかったのですか?
そうですが,会議などはほかのエンジニアがわかるように英語でした.まあ,まだまだ得意ではありませんが,英会話学校に行く余裕もありません.現在の会社ではたまにスピーカホンなどで会議があるのですが,これは冷や汗物です.メールなど,書き物になると問題ないのですが…….まあ,ほかの外国人も多いので,わからないならわからないなりに皆意味を理解しようとしてくれるし,うまい具合に解釈してもらっているのでありがたく思っています.たまに,びっくりするほど私の言いたいことをちゃんと理解してくれることがあります.

レイオフを経験する


テロ後に一気にバブルが弾けた状態ですが,レイオフはありましたか?
ありました.やはりテロ後に受注していた発注がキャンセルをしたりして,コストカット分を会社側がすることになり,それで人員削減が行われました.ちょうど11月頃に私は担当していた設計のテープアウト間近で仕事をしていました.それどころではなかったので,社内発表を聞いても,「こんなに忙しい時期なのにレフオフなんかバカバカしい,やれるもんならやってみろ!」とイライラしたぐらいでした.結局,11月の半ばに数人の上司に呼ばれたのですが,じつは呼ばれたのは残る人達でした.110名の中から20名強ぐらいがレイオフの対象になりました.私の設計グループでレイオフの対象になる人のコンピュータのアカウントが,すでにブロッキングされていてサボタージュができないようになっているということも聞かされました.

レイオフされる人のリストを聞いてどうでした?
まあ,とくに驚きませんでした.妥当な線でした.でも疑問に残った人もいました.会社側からは,すでにプロジェクトで仕事がほぼ終わっている人から優先して切ったと聞かされたのですが,なんとなくインド系のエンジニアがたくさん残っているような気もしました.偶然かもしれませんが,経営陣がインド系だからなのかと勘ぐったりもしました.もっとあまり仕事ができない人を切れば良いのにとも思ったのですが…….

仕事には何か影響がありましたか?
もうパニック状態でした.サボタージュのほうに気が行ってたのか,まったく引き継ぎがありませんでした.テープアウトの直前で,検証系の仕事が多かったのですが,その人達が大量に辞めたので誰もいない状態でした.また引き継ぎがなかったので,どれが何かわからない!という状態でしたね.結局は辞めた人のディレクトリなどを調べてなんとかしましたが,テープアウトは1か月遅れ,ほぼ毎日徹夜状態が長く続きました.

頑張れ日本のエンジニア!


まだまだ景気が回復しませんが……今後は?
仕事内容が面白いのでがんばる予定ですが,最近はまだまだ日本のエンジニアや会社も競争力があると感じています.日本のハードウェアのエンジニアの,細かい作業が得意なところや責任をもって仕事をする姿勢などはまだまだ競争力があると思います.ですから日本に戻って仕事もしてみたいと思っています.たとえば私の会社のような通信の分野で,日本の会社があまり活躍していないのが少し寂しいですから…….

対談を終えて


 多くの日本からのエンジニアと話す機会がある.今回の対談では,シリコンバレーがなにか非常に良い環境であるというイメージからもっと踏み込んでいたと感じた.吉田氏はシリコンバレーの良いことも悪いことも冷静にとらえており,非常にフランクで興味深い対談だった.




トニー・チン
htchin@attglobal.net
WinHawk
Consulting

 


copyright 1997-2003 H. Tony Chin

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第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
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第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
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