第65回

Engineering Life in Silicon Valley

起業・独立のステップ


 筆者のまわりにはさまざまな形で仕事をしている人が多い.フリーでエンジニアリングやその他のコンサルティングをしている人,会社を経営している人,そして大小さまざまな規模の企業に勤めている人達だ.今は会社に勤めていても,いずれは独立したいとか,起業してみたいという気持ちがある人達がいる.

 日米に関わらず,企業にまだサラリーマンとして勤めている人達からよく聞く質問が,「どうやったらうまく独立・起業できるか?」である.勤めている会社を急に辞めてスタートアップを作ったり,独立するケースはまれだと思う.シリコンバレーでの起業のケースを見ても,余裕を見た準備期間をもって計画的に進めていることが多い.


何でもうけるか?

 起業するなり独立するなりで,いちばん始めに皆が直面するのが「何をやってお金もうけをするか?」というポイントではないだろうか.さまざまな考え方があるが,やはり自分の今やっている仕事の延長線や現在の仕事に近いこと,またはその応用が現実的だろう.

 たとえば筆者の知り合いで,その昔はRTOSの会社に勤めていたエンジニアがいる.8年ほど前に独立して,フリーでプログラミングの仕事をしていた.きっかけはサポートをしている客先が忙しいときに,プログラミングを手伝ってほしいというバイトの話があったという.サポートの領域をはるかに超えている内容だし,勤めている会社では副業を禁じられているので,当初は断ったそうだ.もっとも彼はRTOSの会社に勤めているからこそ自分の価値があると思っていて,会社を離れて一人で仕事をするとあまりメリットがないのではないかと自分を相当疑ったようだ.

 しかし,同じような話がほかの企業からもあり,仲の良い顧客と話をする中で,自分のスキルは独立してもかなり使えるという感触を得たようだ.実際,独立してからは,前から付き合いのあった顧客から仕事を貰っている.顧客側も安心して仕事を出せる先があるし,彼としても安定して仕事が来るという構図になっている.

 自分が普通にやっている仕事が,外から見ると意外に大事で価値があるというケースだ.また,辞めた会社からも仕事を紹介されるケースもあったそうだ.彼の場合は,謙虚なタイプだったので必要以上に自分を過小評価していたようだ.はじめの1年目は顧客からお金を取るところでだいぶ苦労したと言っていた.

 さらにもう1人の知り合いは,プログラミングが3度の飯よりも好きで,いつも自宅に最新の開発環境をもっていたり,新しいプラットホームでのプログラミングに興味をもっている人だ.彼の場合は自分の立ち上げた会社の仕事以外に常に4〜5個ネタを練っていて,暇さえあれば自分のアイデアを試すためのプロトタイプを作ったりしている.ジャンルはさまざまで,シミュレータからJavaで書いたWeb上アプリケーションまである.

 彼は機会さえあれば,その道に詳しい人に自分のプロトタイプを見てもらったりして,ビジネスにするチャンスをうかがっている.実際にビジネスとしていくつか立ち上げているが,彼はネタ作りが好きなようで,製品化には向いていないと自分でも言っている.パートナを数名集めては立ち上げて,軌道に乗るとまた次のネタ作りをするようだ.ネタの中には,話にならないようなものもたくさんあるが,彼の場合は「数撃てば当たる」鉄砲的な考え方なのだろうか? 上場するような大きな会社にはまだ化けていないが,地道に製品を作っているともいえるし,自分の好きなことなので長続きしているのだと思う.

 これらの二つの例でいえるのが「エンジニアはエンジニアらしい仕事で勝負」というところではないだろうか? 逆に新しいビジネスモデルや複雑なライセンス形態で起業をして,勝負に出た人がいる.かなり派手に投資家も集めた.しかし,お金のやり取りや,何をビジネスのネタにしているかが非常に理解しにくい会社であった.今から振り返ると,彼が起業したときはインターネットバブルのときなので,ある種の流行だったのかもしれない.今でも会社は続いているが,複雑なビジネスモデルのため苦戦しているのはたしかだ.


自分に関する棚おろし……正直に自分を評価してみる

 前述の「何でもうけるか?」に関連して,自分に何ができるのかをはっきりと把握する必要がある.自分のもっている能力・スキルや得意分野,不得意分野などを,よく,正直に,的確に理解しておく必要があると思う.これによってビジネスの方向性を見つけたりすることができる.たとえば,エンジニアリング以外に自分は文章を書くのが得意だとか,説明をするのがうまいと社内でいわれている人は,ビジネスが軌道に乗るまで何らかの講師をするといった方法でマーケティング活動ができる.また,起業するなり独立するなり,社外の顧客や協力企業に説明をしたり,営業を行ったりしなければならないケースが出てくる.それまでにあまり社外に出る機会がなかったとか,知らない人と話をしたり説明するのが苦手な人もいると思う.不得意である分野は,これから起業・独立するまでに自分で身につけるなり,それを補ってくれるパートナを探すなどの準備が必要となる.会社に勤めてエンジニアをしていると,どうしてもビジネス的なスキルに接する機会がないので不得意分野に入ってしまうのではないだろうか? 先ほどの例の営業や,一般的な経営のスキル,財務・経理のスキル,それから契約を取りまとめたりするスキルなどだ.一部は外部の専門家に頼めるものもあるが,できるだけ自分で理解を深めたりするのが大事なのはいうまでもないと思う.

 経理,財務,営業や法律などの専門分野は,自分のやる気しだいで学んだり身につけたりすることが可能であると誰もがいう.そして,その姿勢で知識をつけていくのがシリコンバレーのエンジニア達の姿だ.しかし個人のネットワーク……ようするにコネは一夜で築き上げることはできないので,これだけは時間をかけるしかない.シリコンバレーでは,比較的横のつながりが多いため,社外のエンジニアや技術職でない人達と交流したり知り合いになれる機会がある.学会,展示会,会合など外に出る機会で多くの人と会い,交流を続けることでしか,ネットワークはできない.純粋にエンジニアリングの能力が評価されて会社がスタートするというケースはほとんどない.エンジニアリングができる人,ビジネス的なセンスのある人,そして投資をする人が引き合わされて話が進んでいくことがほとんどだ.やはり人間同士のやり取りであるから,顔つなぎができていて,お互いに信頼関係がすでに構築されているケースのほうが話が進みやすい.これには日米の差はあまりないと思う.どこの国でもやはり「良い出会い」はたいせつだ.

助走をつける……もっとも大事な準備段階

 シリコンバレーのエンジニア達が起業・独立する場合,意外と知られていないのは,準備段階を万全にするというところだ.急に会社を辞めて,次の日からスタートアップ企業を設立した……という例はまずない.会社に勤めながら暇さえあればプロトタイプを作ってみたり,それを評価してくれる人を探すなど,期間を十分に取っている.多くの会社は副業をしたりすると問題になるので,だいぶ気をつかってこの期間を過ごすことになる.また,起業・独立に必要なスキルやコネ作りも十分に時間を取る.

 筆者の知っている人達で起業・独立した人達は,「会社勤めを辞めて自分で何かしよう」といいはじめてから,準備期間を少なくても1年〜2年ほどもつ.プロトタイプの実験や勉強,情報収集ももちろんだが,スキル不足を克服するための自分の修行や,コネ作りにも十分に時間を費やす.また,個人的にも多くを犠牲にすることが多いスタートアップでは,家族の理解やその準備もたいせつだ.給料が急激に減るのは当たり前だし,貯金を起業のブートストラップに使うケースが多い.起業・独立でうまくいっている人達は,個人的に貯金をかなりもっていたり資産がある人が多い.個人的な財務管理が会社経営にも反映しているのだろう.また,違うスタートアップで一財産築いてから自分の会社を立ち上げる人も多い.いずれにせよ十分に時間と余裕を見ながら,自分の作りたい会社や製品を考えながら着々と準備をしていく.

 シリコンバレーの場合だと,転職や社内異動でさまざまな経験を積むことが可能だ.プログラミングや開発のみをやっていたエンジニアが夜間でMBAを取り,あるときからマーケティングに配属されていたというケースもある.周囲もはじめは気付かないのだが,いままでジーンズで通っていたエンジニアが,ある日突然スーツで会社に来てびっくりされたという話もある.

 もっとも起業のスキルを手っ取り早く身につけられるのは,スタートアップの社員として仕事をすることだろう.小さい会社だと,自然と役割の幅が広いうえにチャレンジをさせてくれる機会が多い.従業員が少ないが,やらなければならないことは山ほどあるからだ.だんだんとスキルアップをするごとにスタートアップのスケールを小さくしたり,設立年数が少ない会社を選んでいくと,気がついたら設立のメンバーの一人であったというケースもある.とにかく,まわりにさまざまなサイズのスタートアップ企業があるのでお手本には最適だ.

お手本が多いメリット……ノウハウが集中している

 スタートアップに必要なお手本となる人や会社が多いし,長年のテクノロジベンチャーを築き上げたノウハウや経験を積んだ人達が集中しているという意味では,シリコンバレーが有利なのはたしかだ.常に自分のキャリアを自分で管理する環境にあるシリコンバレーのエンジニアは,スタートアップの夢をもっている人なら少しずつでもそれに近づくための工夫があるようだ.自分の力や能力を的確に評価して足りない部分を補っていくプロセスを繰り返し,機会を見て,一度は自分の思ったとおりにやってみる人が多い.


Column 次の牽引役は?

 シリコンバレーはインターネットバブル崩壊後の後遺症をまだ背負っている.貸しビルの空きがどんどん増えているし,一時期は困っていた日中の高速の渋滞もかなり緩和された気がする.全米の失業率が5.7%近くで,シリコンバレーでは7%近くまで上昇している.そして,まだレイオフのニュースは続いている.

 一般的にアメリカ人は引っ越すことにあまり抵抗はないので,職や良い住処を求めて積極的に移動することが多い.だから,ダウンサイクルに入ってレイオフが当たり前になり始めると,かなりのペースでどんどん人口が移動していく. ’80年代, ’90年代にもダウンサイクルはあったが,その当時は,パソコンが駄目なら通信ネットワーク関係とか,モバイル系のハードが多く出荷されていたため,ある種の牽引役となったそうだ.今回のダウンサイクルでは,確実な牽引役がないところが問題のようだ.Y2KでパソコンやIT関係のハード・ソフトの投資は十分にあるし,通信ネットワークのインフラも十分にあるからだ.軍事や政府関係のハードは,相当大きな戦争(朝鮮戦争やベトナム戦争ぐらい)にならないと牽引役にならないという話だ.やはり目玉となるハードがあり,それにさまざまな他の分野のテクノロジが利用されるわけだ.




トニー・チン
htchin@attglobal.net
WinHawk
Consulting

 


copyright 1997-2003 H. Tony Chin

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移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

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移り気な情報工学
第62回  地震をきっかけにリアルタイム・システム再考
第61回  海を渡って卵を産む北京の「海亀族」
第60回  超遠距離通信とソフトウェア無線
第59回  IT先進国フィンランドの計画性
第58回  物理的に正しいITの環境対応
第57回  年金,e-チケットに見るディジタル時代の情報原本
第56回  「着るコンピュータ」から「進化した布地」へ
第55回  技術を楽しむネットの文化
第54回  情報爆発2.0
第53回  プログラミングの現場感覚
第52回  GPS+LBS(Location Based Service)がおもしろい
第51回  技術の格差社会
第50回  フィンランドに見る,高齢化社会を支える技術
第49回  たかが技術倫理,されど技術倫理
第48回  若者の理科離れ,2007年問題から「浮遊」せよ
第47回  機械のためのWWW――Google Maps APIから考える
第46回 網羅と完備で考えるユビキタスの視点 ―― u-Japan構想
第45回 青年よ,ITを志してくれ
第44回 Looking Glassに見るデスクトップの次世代化
第43回 CMSはブログに終わらない
第42回 二つの2010年問題
第41回 持続型技術――サスティナブル・テクノロジ
第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
第39回 ユーザビリティの視点
第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
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電脳事情にし・ひがし
第14回 韓国インターネット社会の光と陰

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第6回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜インターネット通信〜
第5回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜ポルトガルのプチ秋葉原でハードウェア作り〜
第4回 ヨーロッパ/ポルトガルでのエンジニア事情〜市場と就職編〜
第3回 タイ王国でハードウェア設計・開発会社を立ち上げる
第2回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(下)
第1回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(上)

フリーソフトウェア徹底活用講座
第24回 Intel386およびAMD x86-64オプション
第23回 これまでの補足とIntel386およびAMD x86-64オプション
第22回 静的単一代入形式による最適化
第21回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その9)
第20回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その8)
第19回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その7)
第18回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その6)
第17回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その5)
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第15回 GCCにおけるマルチスレッドへの対応
第14回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その3)
第13回 続々・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
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第8回 C言語におけるGCCの拡張機能(3)
第7回 C言語におけるGCCの拡張機能(2)
第6回 GCCのインストールとC言語におけるGCCの拡張機能
第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第3回 GCCのC言語最適化以外のオプション
第2回 GCCの最適化オプション ――Cとアセンブラの比較
第1回 GCCの最適化オプション

フジワラヒロタツの現場検証
第72回 現場検証,最後の挨拶
第71回 マイブーム
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第68回 読書案内(2)
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