第19回 IT型社会に盲点はないか

 去る2000年11月29日に,国会で「高度情報通信ネットワーク社会形成基本法」,通称,IT基本法が成立した.これと同期して,IT戦略会議からIT基本戦略も発表され,これから実現される情報通信インフラのイメージが明確に宣言された.

 キーワードは「常時接続インターネット」で,今後5年間で超高速ネットワークおよび高速ネットワークを合わせて4千万世帯に普及させることになった.電子政府やIT対応の人材育成なども含めて,世界最先端のIT国家になるというのが骨子である.実現させるまでに5年間の猶予があるので,ドッグイヤーで開発が進むITのこと,技術予測をあてはめて考えると実現できそうな感じもする.

 CPUもネットワークも,今後さらにパフォーマンスが上がることは明らかだが,それだけで本当にバラ色のストーリーが実現できるのだろうか?

 今回は,少し違った視点からIT型社会の問題を探ってみようと思う.

常時接続に必要な電気はどこから調達するか

 ITは電気で動く.IT関連機器は限りなく0に近い消費電力で動いているように思うかもしれないが,これがどうしてけっこうな電力を消費している.教科書にもスイッチング速度と消費電力は比例関係にあると書いてある.つまり,超高速であるなら,それに見合って電力も消費すると考えるのが常識である.そして,常時接続なるがゆえに,現在のピーク電力にIT消費分がもろに加算される.

 そして,4千万という数である.控えめな見積もりで,常時接続に必要な部分の消費電力を50W程度としても4千万をかけると2GWになってしまうのである.ちなみに,原子力発電は1基あたり1GW程度なのだとか.

 2000年末に始まったBSディジタル放送も相当に電力を消費するのだが,こちらはアナログテレビからの買い換えなので,努力すれば消費電力を減らすこともできる.それに対して,常時接続インターネットは家庭にとっては純増になる.過去30年間で,家庭での電力消費は3倍に増加したそうだが,それはその期間に新しい家電製品の出現が続いたからだと考えるのが自然である.

 最近,電力消費が停滞傾向にあるのは,全世帯に普及するような新しい家電製品が現れていないことと,省エネ技術が発達したためだといってよい.4千万世帯の高速インターネット常時接続は,速度だけでなく,省電力技術を同時に開発しないと意外なところでつまずく可能性がある.

世界最先端は楽ではない

 IT基本戦略のめざすところは,「世界最先端」のIT国家である.問題は,基本戦略にも明記されている「世界最先端」の定義である.最先端は楽ではない.どこかに日本を上回る国や地域があれば負けてしまうのだから.情報通信インフラの構築コストは面積に比例すると考えるのが自然だから,小さい国が有利になる.

 日本を小さい国だと思っている人が多いが,世界的に見ると中途半端に国土が広い国なのである.そして,IT戦略に生き残りを賭けている国は日本だけではない.たとえばシンガポール,この国は淡路島くらいしか面積がないので,必要になった時点で超弩級のインフラを低コストかつ短時間で作れてしまう.

 最先端の定義にもよるが,速度や普及率で最先端を公約するのはちょっと危ない.現在でも,インターネット普及率でみる最先端は北欧のアイスランドで,米国ですらベスト3から外れている.ちなみに,アイスランドは人口27万人で,大半が首都レイキャビクに住んでいるという島国なのである.

世論は味方とは限らない

 ITに限らず,科学技術によって実現された新機能は,多かれ少なかれ世論の攻撃にあうことを想定しておかねばならない.最近攻撃されている代表となると,遺伝子組み換え食品と携帯電話である.以前は存在しなかったという理由で,それが無害であることが証明されるまでは,「人体に有害な恐れがある」と言われ続けることになる.

 「恐れがある」というところが微妙で,害があるとも言っていないし,安全であるとも言っていない.どんなことでも,起きないことの証明は事実上不可能だから,この議論は延々と続くことになる.科学や技術を盲信しない態度は大切なのだが,人工物だから何でもだめとなると技術立国は成り立たないことになる.ITがそういった世論のターゲットにならないとも限らない.

 たとえば,IPv6のおかげで家電製品にも外部ネットワークからアクセスが可能になると,家電製品をターゲットにしたアタックもできることになるだろうし,家庭内無線LANが出てくると,その電磁波の有害論やデータ盗聴といった話題も出てきそうな予感がする.

 危険だと思った人は使わなければよいということになるかもしれないが,そのためにはIT化されたサービスと従来型のサービスの両方をサポートしなければならないことになって,維持コストが倍増してしまうと,何のためにIT化を進めたのか意味不明になってしまう.

*           *

 IT戦略も斜から眺めるといろんな盲点が見えてくるという話を展開してみたが,私の言いたいことは,だからITは危ないということではなく,問題があるならそれを解決するのもまたITになるのかなということである.問題が露見してくるなら,それを解決するために技術開発をやろうじゃないか.当面,大学のIT系学部のやることは尽きそうにないと思う.


山本 強・北海道大学



「移り気な情報工学」のトップへ戻る

Interfaceのホームページへ戻る

コラム目次
New

移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

Back Number

移り気な情報工学
第62回  地震をきっかけにリアルタイム・システム再考
第61回  海を渡って卵を産む北京の「海亀族」
第60回  超遠距離通信とソフトウェア無線
第59回  IT先進国フィンランドの計画性
第58回  物理的に正しいITの環境対応
第57回  年金,e-チケットに見るディジタル時代の情報原本
第56回  「着るコンピュータ」から「進化した布地」へ
第55回  技術を楽しむネットの文化
第54回  情報爆発2.0
第53回  プログラミングの現場感覚
第52回  GPS+LBS(Location Based Service)がおもしろい
第51回  技術の格差社会
第50回  フィンランドに見る,高齢化社会を支える技術
第49回  たかが技術倫理,されど技術倫理
第48回  若者の理科離れ,2007年問題から「浮遊」せよ
第47回  機械のためのWWW――Google Maps APIから考える
第46回 網羅と完備で考えるユビキタスの視点 ―― u-Japan構想
第45回 青年よ,ITを志してくれ
第44回 Looking Glassに見るデスクトップの次世代化
第43回 CMSはブログに終わらない
第42回 二つの2010年問題
第41回 持続型技術――サスティナブル・テクノロジ
第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
第39回 ユーザビリティの視点
第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
第60回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第一部)

電脳事情にし・ひがし
第14回 韓国インターネット社会の光と陰

第13回 ドイツのソフトウェア産業とヨーロッパ気質〜優秀なソフトウェア技術者は現代のマイスター
第12回 開発現場から見た,最新ロシアВоронежのソフトウェア開発事情
第11回 新しい組み込みチップはCaliforniaから ―― SuperHやPowerPCは駆逐されるか ――
第10回  昔懐かしい秋葉原の雰囲気 ── 取り壊し予定の台北の電脳街 ──
第9回 あえて台湾で製造するPCサーバ――新漢電脳製青龍刀の切れ味
第8回 日本がだめなら国外があるか――台湾で中小企業を経営する人
第7回 ベトナムとタイのコンピュータ事情
第6回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜インターネット通信〜
第5回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜ポルトガルのプチ秋葉原でハードウェア作り〜
第4回 ヨーロッパ/ポルトガルでのエンジニア事情〜市場と就職編〜
第3回 タイ王国でハードウェア設計・開発会社を立ち上げる
第2回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(下)
第1回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(上)

フリーソフトウェア徹底活用講座
第24回 Intel386およびAMD x86-64オプション
第23回 これまでの補足とIntel386およびAMD x86-64オプション
第22回 静的単一代入形式による最適化
第21回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その9)
第20回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その8)
第19回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その7)
第18回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その6)
第17回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その5)
第16回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その4)
第15回 GCCにおけるマルチスレッドへの対応
第14回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その3)
第13回 続々・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第12回 続・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第11回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第10回 続・C99規格についての説明と検証
第9回 C99規格についての説明と検証
第8回 C言語におけるGCCの拡張機能(3)
第7回 C言語におけるGCCの拡張機能(2)
第6回 GCCのインストールとC言語におけるGCCの拡張機能
第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第3回 GCCのC言語最適化以外のオプション
第2回 GCCの最適化オプション ――Cとアセンブラの比較
第1回 GCCの最適化オプション

フジワラヒロタツの現場検証
第72回 現場検証,最後の挨拶
第71回 マイブーム
第70回 OSぼやき放談
第69回 技術者生存戦略
第68回 読書案内(2)
第67回 周期
第66回 歳を重ねるということ
第65回 雑誌いろいろ
第64回 となりの芝生は
第63回 夏休み
第62回 雑用三昧
第61回 ドリームウェア
第60回 再び人月の神話
第59回 300回目の昔語り
第58回 温泉紀行
第57回 人材ジャンク
第56回 知らない強さ
第55回 プレゼン現場にて


Copyright 1997-2005 CQ Publishing Co.,Ltd.


Copyright 1997-2000 CQ Publishing Co.,Ltd.