第33回


 さまざまなテクノロジや方法が日進月歩で発案されるエンジニアリングの分野では,それぞれの専門分野について常に新しい知識や情報を仕入れていくことが欠かせない. 読者の皆さんはどうされているだろうか? いろいろな書籍,雑誌類,インターネット… それから企業内のトレーニングなどだろうか? シリコンバレーのエンジニアももちろん,自分のスキルアップには敏感であり,今後のキャリアを左右するものでもあるため必死になる.また自分の専門分野を広げたり,ほかの方向にもっていくためのトレーニングも多く行われる.

教育を促進する
Educational Reimbursement


 平成10年から日本でも「教育給付の支給制度」がスタートされたが,アメリカでは,雇用側の税金配慮という形で古くから実施されている. 日本では,雇用保険の延長として考えられるが,アメリカでは企業の必要経費として税金控除の対象となるわけである.一般的に「Educational Reimbursement」と呼ばれ,社員が受講したコースの学費や教材などのコストを企業側がもつ.

 具体的にいうと,次のようになる.エンジニアである社員が博士号を取るために夜間の大学院コースに入学し,3年かけて博士号を取る.会社によっては,この間の学費をすべて企業側がもつという制度だ.企業側は,この学費を必要経費として税金対策に利用するし,優秀な社員がさらに優秀になるとして,良いことが2度あることになる.もちろん,博士号を取ったとたんに辞められると困るので,ある程度の「縛り」がある.企業によっては,社員に立て替えてもらい後から給付するという制度や,コース終了後ある時期社員でないと全額負担(返済)してもらうという制度を取り決めているところが多い.

 このように,企業でそれぞれのポリシーを作っており,会社によってまちまちなのが現状だ.多くのシリコンバレーの企業は福利厚生の一部としてこれをとらえているため,緩やかなルールにしているところが増えている.


目指すは大学院?


 さて,学費・費用が会社で支払われるとして,シリコンバレーのエンジニアはどこでどういうコースを受けるのだろうか? シリコンバレー近辺では,Stanford大学,UC Berkeleyという名門大学があり,そのほかにSan Jose State University(SJSU),Santa Clara Universityというエンジニアリングでかなり力のある大学がある.

 やるからには,ちゃんとした名門大学でと考えるエンジニア達が多いのだろうか? これらの正規の大学院コースで修士や博士号に取り組むケースがもっとも人気が高い.とくにStanford大学は,働いているエンジニアやプロフェッショナルのために作られたオフキャンパス受講が充実している(http://scpd.stanford.edu/).

 入学する条件は通常と同じだが,働いているエンジニア達を対象にしているのでパートタイムで在学して学位を取ることになる. 多くのシリコンバレーの企業がこのStanfordの制度に加入しているため,多数の職場でコースカタログや授業の内容が紹介されている.また,UC Berkeleyは夜間の大学院コースがあり,とくにMBAコースや法学部コースはエンジニアの間でも人気だ.


Junior Collegeというシステム


 第一線で活躍するエンジニアで学位をもっていない人達や,専門学校を卒業してきた人達も多い.こういうエンジニア達にもやはり4年制大学からの学士が昇級に必要となるケース注1がある.そのため,アメリカでいうJunior College,2年制大学(日本でいう短大と意味が違う)で単位を補充して4年制大学に編入するという制度が設けられている.

 Junior Collegeは,入学条件が緩やかだし,その市や郡の市民ならば,かなり安価に授業が受けられるというメリットがある.もちろん,企業側のEducational Reimbursementを利用できる.また,仕事をしながら単位を取るという点でも融通が利くので,多くのエンジニア達に利用されている.ただし,Junior Collegeということで受けられるコースのレベルが4年制大学を視野に入れていて,大学院を目指すエンジニア達には物足りない場合が多い.


注1:実力本意のシリコンバレーでも,少し大き目の企業だと学位があるかないかで昇級が左右されるところが多い.かなり有名人になると大目に見てもらえるが….

エンジニア参加型? Extension


 正規の大学コースと違った趣で用意されているExtensionという制度もある.前述のStanford,UC Berkeley,San Jose State UniversityそれからUCLA,UC Santa Cruzもシリコンバレー内でコースを主催している.これらは,どちらかというと旬なトピックスに対して業界の第一線で活躍している人達が講師をするケースがほとんどになる.また,金を払えばどのコースでも受けられるという点で,敷居が低いといえる.

 たとえば,筆者の知り合いで大手半導体ベンダに勤めるエンジニアがいるが,SJSUのExtensionで授業を受け持っている.コースの内容は彼が立案して大学側の承認を受けている. 彼自身は修士号をもっており,以前は基本的なBiCMOSやGaAsのトランジスタの特性のコースを教えていたが,最近はシリコン・ゲルマニウムなどの先端技術のコースを教えている.ほとんど自分の趣味本意や満足感だけ注2でやっているそうで,職場には直接関わりがないし,むろん企業秘密を公開するわけでもない.

 Extensionでは独自の単位を与えているが,それはExtensionの用意したCertificate ─ 認定制度に準ずるものだけなので,学位を取りに行くというよりは,本当に学びたいことを学ぶという性質をもっているのかもしれない.Extensionは,大学側の新たな収入源になっているので,かなり過激な競争をしているのか,コースカタログをかなり広く配布している.


注2:ちょっとしたアルバイトにもなるらしい.

お手軽なカンファレンスや
ベンダートレーニング


 大学のコースやExtensionよりさらにお手軽なのが,カンファレンスではないだろうか? 大型の展示会と同時に開催されるカンファレンスやそれらのTutorialは大事な情報源になっている. 筆者の以前勤めていたシリコンバレーの企業では,開発部に所属しているスタッフならアメリカ国内のカンファレンスなら何でも行ってよいというルールがあった.旅費や参加費用などが馬鹿にならないコストになるが,開発部の「役得」としてみなされていた.もちろん,カンファレンスで学んだことの内容の社内発表などが義務づけられていたが,リゾート地や観光地で行われるカンファレンスには息抜きや家族サービス注3という理由もあり,開発部の多くのスタッフが利用していた.

 そのほかによく利用されるのは,ベンダ側のトレーニングではないだろうか? 日本でもお馴染みのMicrosoft,Novell,Cisco,SAP,Oracleなど大手ベンダの検定・認定制度注4のトレーニングがある.


注3:泊りがけのカンファレンスには家族同伴をOKしている企業が多い.
注4:日本のような第三者的な検定・認定機関がアメリカには,ほとんど存在しない.

シリコンバレー名物,
Computer Literacy


 専門書籍類を読んだりするのも大切なことだ.読者の皆さんは,アメリカで出版されている技術書をご覧になったことがあるだろうか? 一般的にハードカバーで,発行部数がもともと少ないので高価な本がやたらに多い.これらも企業側で買ってもらうことが可能だ.最近はインターネットなどで直接本を注文したりできるが,やはり買う前に少しパラパラめくってみたいというのはエンジニアの心理だろうか? 

 シリコンバレーには,ちょっとした名物注5の一つであるComputer Literacyというハイテク専門の本屋がある.ハイテク系新刊の書籍や雑誌が充実しているし,変わった商品としてはオリジナルTシャツやポスター,カレンダーなどが置いてある.シリコンバレー内に,3店舗あって利用しやすいし,エンジニア達には人気だ.大手企業では,社員がツケで買うことができる制度もあるし,インターネットでの販売も充実している(http://www.fatbrain.com/home.html).

*          *

 アメリカの税法の特性で,働く人達の再教育が重視されており,雇用側と仕事をする側でそれぞれの特典を利用できる.雇用側は,エンジニア達のご機嫌を損なわないように全額負担とか緩やかなルールにしているところが多い.また,現在はエンジニアでなくともJunior Collegeや専門学校などの方法で働きながらエンジニアになるという道筋もある.さらにエンジニアがビジネススクールに入ったり,法学部に入ったりという,エンジニアがそのバックグラウンドを利用してさらにステップアップするケースも年々増えつつある.


注5:もう一つの名物は,Fry’s Electronicsか?

H1-Bビザの続き

 H1-Bビザに関する情報のアップデートである.このビザは,アメリカ国内で不足しているエンジニアや特別な技能をもった人をアメリカ国外から「招聘」するためのビザである.この過去3〜4年続いているアメリカの好景気でエンジニア不足が深刻になっており,外国人エンジニアを雇用するには不可欠なビザで,話題になっている.各決算年度に配布されるビザの数の上限を設定しており,9月末で終わるFY2000年度の上限は115,000件で,2000年2月29日ですべて使い切っている.そうすると2000年3月から9月まで外国人エンジニアが雇えなくなることになるが,アメリカ議会で臨時に上限を上げる法案を通す形で対応している.

 ちなみにFY2001の上限は107,500,FY2002は65,000とされている.2000年11月は大統領選挙もあり,政治家達が有権者達にアピールするためにさまざまなサービスが行われる.外国人エンジニア論に反対・賛成各派ともさまざまな議論が繰り広げられているが, 不正な使い方がされている事件もあるので,全般的にアメリカ移民局も敏感になっている.Linuxで有名なLinus Torvalds氏もH1-BからGreen Card(永住権)に移行するために相当苦労をしているという報道がされており,外国人エンジニアの困難はさらに続くようだ.



copyright 1997-2001 H. Tony Chin

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移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

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移り気な情報工学
第62回  地震をきっかけにリアルタイム・システム再考
第61回  海を渡って卵を産む北京の「海亀族」
第60回  超遠距離通信とソフトウェア無線
第59回  IT先進国フィンランドの計画性
第58回  物理的に正しいITの環境対応
第57回  年金,e-チケットに見るディジタル時代の情報原本
第56回  「着るコンピュータ」から「進化した布地」へ
第55回  技術を楽しむネットの文化
第54回  情報爆発2.0
第53回  プログラミングの現場感覚
第52回  GPS+LBS(Location Based Service)がおもしろい
第51回  技術の格差社会
第50回  フィンランドに見る,高齢化社会を支える技術
第49回  たかが技術倫理,されど技術倫理
第48回  若者の理科離れ,2007年問題から「浮遊」せよ
第47回  機械のためのWWW――Google Maps APIから考える
第46回 網羅と完備で考えるユビキタスの視点 ―― u-Japan構想
第45回 青年よ,ITを志してくれ
第44回 Looking Glassに見るデスクトップの次世代化
第43回 CMSはブログに終わらない
第42回 二つの2010年問題
第41回 持続型技術――サスティナブル・テクノロジ
第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
第39回 ユーザビリティの視点
第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
第60回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第一部)

電脳事情にし・ひがし
第14回 韓国インターネット社会の光と陰

第13回 ドイツのソフトウェア産業とヨーロッパ気質〜優秀なソフトウェア技術者は現代のマイスター
第12回 開発現場から見た,最新ロシアВоронежのソフトウェア開発事情
第11回 新しい組み込みチップはCaliforniaから ―― SuperHやPowerPCは駆逐されるか ――
第10回  昔懐かしい秋葉原の雰囲気 ── 取り壊し予定の台北の電脳街 ──
第9回 あえて台湾で製造するPCサーバ――新漢電脳製青龍刀の切れ味
第8回 日本がだめなら国外があるか――台湾で中小企業を経営する人
第7回 ベトナムとタイのコンピュータ事情
第6回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜インターネット通信〜
第5回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜ポルトガルのプチ秋葉原でハードウェア作り〜
第4回 ヨーロッパ/ポルトガルでのエンジニア事情〜市場と就職編〜
第3回 タイ王国でハードウェア設計・開発会社を立ち上げる
第2回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(下)
第1回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(上)

フリーソフトウェア徹底活用講座
第24回 Intel386およびAMD x86-64オプション
第23回 これまでの補足とIntel386およびAMD x86-64オプション
第22回 静的単一代入形式による最適化
第21回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その9)
第20回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その8)
第19回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その7)
第18回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その6)
第17回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その5)
第16回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その4)
第15回 GCCにおけるマルチスレッドへの対応
第14回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その3)
第13回 続々・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第12回 続・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
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第10回 続・C99規格についての説明と検証
第9回 C99規格についての説明と検証
第8回 C言語におけるGCCの拡張機能(3)
第7回 C言語におけるGCCの拡張機能(2)
第6回 GCCのインストールとC言語におけるGCCの拡張機能
第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第3回 GCCのC言語最適化以外のオプション
第2回 GCCの最適化オプション ――Cとアセンブラの比較
第1回 GCCの最適化オプション

フジワラヒロタツの現場検証
第72回 現場検証,最後の挨拶
第71回 マイブーム
第70回 OSぼやき放談
第69回 技術者生存戦略
第68回 読書案内(2)
第67回 周期
第66回 歳を重ねるということ
第65回 雑誌いろいろ
第64回 となりの芝生は
第63回 夏休み
第62回 雑用三昧
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第59回 300回目の昔語り
第58回 温泉紀行
第57回 人材ジャンク
第56回 知らない強さ
第55回 プレゼン現場にて


Copyright 1997-2005 CQ Publishing Co.,Ltd.


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