第34回

〜対談編〜


サマージョブでゲーム業界に入る


ナタリーとは,UC Berkeleyの1年生から化学や物理の基礎科学のコースで一緒だったし,3年生のはじめの頃までは電子工学部のコースでもたまに一緒になりましたね.宿題をかなり写させてもらったりして,ここであらためてお礼申し上げます(笑).
いえいえ,こちらも実験など手伝ってもらっていますからお互いさまです.そうですね,基礎科学の授業は大変でしたね.私はすごく苦手でした.
さて,3年生の頃からだんだん電子工学部の中でも専門がはっきりしていくのですが,私は半導体とCPUでしたが,ナタリーはソフトウェアを重点に勉強していましたよね? ソフトウェアとエンジニアリングは何がきっかけでしたか?
プログラミングのダイレクトなフィードバックというか,それが今でもとても魅力的ですね.コードを一所懸命書いて,すぐにそれが動くかどうかテストできるので,結果が早くわかるでしょ? まあ,もともと父親とか叔父さんがエンジニアだったので工学部に入ることは決めていたのですが,本当はハードウェアもやりたかったんですよ.
なるほど.それでどうしてソフトだけに?
トニーにも手伝ってもらったと思いますが,サマージョブでたまたま大学近くのゲームソフトハウスに勤めました.私は当時車をもっていなかったので,バークレーからシリコンバレーに通勤注1してサマージョブやインターンシップをやる手段がなく,近場だったことと,個人的にゲームが好きだったのでこの仕事を選びました.空手ゲームのポーティングをやりましたよね.トニーが空手や武術にたしなみがあるので,助かりました.
「カラテ・チャンプ」とかいうゲームでしたね(笑).
とても楽しい仕事で,在学中もバイトを続けました.ちゃんとしたプログラミングもしましたよ.インターンシップもゲームメーカーになってしまいました.しかし,卒業が近づいてリクルーティングをするときは,たいへんなことになりました.
えっ,それは?
ちゃんとしたコンピュータ会社で面接したのですが,みなさんに「あなたはソフトのエンジニアではないのですか?」とか「ゲーム屋さんですか?」とか言われてしまって…まあ結局,いちばん行きたかったこの会社は…名前は出しませんが…1990年代初期に潰れてしまっています.まあ,ゲームがもともと好きだったので,結局Atariに勤めることにしました.まだAtariが元気な頃ですね.グラフィクスやサウンドを扱うのが好きで,それをやらせてもらえました.

注1:当時は車で1時間ほど,現在は渋滞で1時間半はかかる.

今回のゲストのプロフィール

Natalie Burgess
(ナタリー・バージェス)

 中国系アメリカ人,ハワイ州ホノルル出身.1985年University of California Berkeley校(UC Berkeley)の電子・情報工学部卒業. Atariや3DOなどのゲーム業界を経て,現在はハードディスクで著名なQuantumにソフトウェアエンジニアとして勤める.7歳と8歳になる娘の教育熱心なお母さんでもある.



変わりゆくゲーム業界


その頃のグラフィック処理は,どういうプログラミングでしたか?

アニメーションエンジンのソフトを作りましたが,基本的にハードがまだ遅い時代ですから,画像は2次元ですね.3次元に移行するまで長く使われていましたよ.だから,グラフィクスを扱うといってもルックアップテーブルでsin/cosを扱ったりシフトレジスタを使うぐらいですね.浮動小数点演算を使うのは3次元になってからです.

なるほど,それほど数学的ではなかったのですね.

結局,7年ほど勤めました.その後,短い期間ですが一時期ゲーム業界を離れて,医療機器のプログラミングをしていました.ゲームと違ってリアルタイム的な要求はなく,比較的簡単なプログラミングだったんですが,人命に関わる産婦人科のベビーモニターシステムだったので,テストやドキュメンテーション,システムを使う看護婦さんのトレーニングなどが,新しいチャレンジでした.でも,結局ゲームが恋しくなって3DOに行きました.

  なるほど,この頃になるとハードのパフォーマンスもだいぶ進歩していましたよね?

ドライビングゲームを担当させてもらいました.私の個人的なお気に入りです! でも,プロジェクトが終わって一段落してから次のゲームに関するマーケットリサーチをしたりしていて,とても困ったことに気づいたのです.

困ったこととは?

ゲーム業界がバイオレンス系にシフトしていたことに気づきました. この頃からDoomなんかがすごい人気になり始めたのです.個人的に,シューティングゲームで人が死んだり,血が多いゲームはダメなんですよ.それに,自分の感性がティーンの男の子達とかなりかけ離れていることに気づきました.メインのお客の心がつかめていないとまずいと思い,違う業界を考えてみることにしました.そして,現在の職についています.


日本は奇麗,食べ物が美味しい!


現在のお仕事は,ハードディスクのテストプログラムを作ったりすることですか? 日本に行くことも多いとか?

そうですね. そのほかに,仕事に必要なツールを作ったりします. やっとハード寄りのプログラミングができて嬉しいです(笑).基本的にCとC++を使います.ツール系にはPerlやJavaも使っています.
 工場が四国にあって,日本によく行きます.年に少なくとも6回は行きます.一度に2〜3週間ぐらいの滞在です.

かなりハードなスケジュールですね.日本の印象は?

関西国際空港(関空)から四国に行くので,四国以外の日本をあまり訪れたことがないのですが,四国は本当に奇麗ですよ.海あり山ありだし.シリコンバレーみたいにフリーウェイとか建物だけで殺伐とはしてないんです.私がハワイ出身だからかもしれないですね.海が奇麗でないとね… .あとは,食べ物が美味しい.それに日本人の皆さん親切ですよ.かなりよい仕事環境で,コンピュータもひととおり四国の工場にあるので,ラップトップとか持って行かなくてよくて楽です.旅行が多い職種のせいか,既婚者が多いですね.やっぱり家族の支援がないと,こういう仕事は長続きしないと思うんですよ.


女性や母親から見た
エンジニアの世界


女性としてエンジニアリングや技術分野にいることについて話していただけますか?

私のグループは全体でエンジニアが40名ほどなんですが,その中で4名が女性です.これは多いほうだと思います.そのほかは,財務関係の副社長が女性で,あとはマーケティング担当などに女性が多いですね.まあ,ゲームよりは落ち着いた業界なので既婚者や子持ちの女性が多いし,年齢層も高いのでそれぞれの生活を意識してくれるので楽です.ほかの業界ではそうはいかないかもしれません.ソフトウェアエンジニアは,母親業と両立しやすいと思います.

仕事の面では?
私個人としては,男性エンジニアとは仕事がしやすいです.男性エンジニアは,駄目なものは駄目ってしっかり言っても傷つかないでしょ? う〜ん,女性の私がこんなこと言ってもいいのかわかりませんが,女性のほうが気分屋が多いと思います.私の性格が男性みたいなのでそう感じるのかもしれませんね注2(笑).あと,女性エンジニアだと男性エンジニアが進んでいろいろ手伝ってくれます.男性同士だと競争しているでしょ? 女性エンジニアだと,そういうところが少ないかもしれないです.
私も女性エンジニアが多い職場で,また女性上司のときも2回ほどあったのですが,そうは感じませんでしたが….う〜ん,興味深い話ですね.でもたしかに,職場で年齢層とかが一致しているとやりやすい面があるかもしれませんね.シリコンバレーの外からは,みんなベンチャーに勤めているというイメージがありますが,みんながみんなスタートアップで仕事をできるわけはないですよね.ゲーム・エンターテイメント業界以外では,インターネット系の会社だとたしかに20代とか30代前半の若い人ばかりですよ.

教育ソフトへの想い


今後は,ゲーム業界に戻るつもりは?

ないですね.個人的に興味をもっているのは,教育ソフトです.自分が母親になったせいもあるのですが,もともと教育学に興味をもっていました.UC Berkeleyの一般教養や選択科目は,ほとんど教育学関係のクラスを受けていました.一時期エンジニアをやめて教師になることも真剣に考えました.

そうだったんですか….私は一般教養・選択科目で経済学とアジア学注3をやってましたが.

子供一人一人の学ぶスピードがまったく違うし,切り口もまったく違う.だから,コンピュータやソフトウェアをそれぞれの子供に合わせてカスタマイズすることは,おおいに可能なんです.しかし,残念ながらまだまだ教育ソフトの世界はどうやってお金もうけをするか先が見えないですよね.出版社に買われるのならまだ良いのですが,玩具メーカーに買収されているケースがほとんどで,先がどうなるやら….アフタースクール系のチェーンでScore!注4が成功しているぐらいでしょうか? とりあえずようすを見るしかないですね.


注2:筆者も個人的に,ナタリー氏はとても男っぽい性格だと思う.かなりタフな方だ.
注3:日本および中国の言語,歴史,文化,政治を総合的に学ぶ.
注4:コンピュータを使ったアメリカ式学習塾,シリコンバレーにいくつかチェーンがある.

対談を終えて
 ナタリー氏は,今でも筆者が連絡を取り合っているUC Berkeley時代の同級生である.UC Berkeleyを卒業後,ずっと第一線の現場でエンジニアリングの仕事をしている,まれなエンジニアかもしれない.マネージャとかには興味がないようである.家庭とのバランスをとりながら,現在も多忙なスケジュールをこなしている.

トニー・チン htchin@attglobal.net
WinHawk Consulting

 

copyright 1997-2001 H. Tony Chin

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移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

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移り気な情報工学
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第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
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第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
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第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
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第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
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第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
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第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
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