第39回

〜 Part 3 〜


 いままで読者の皆様からいただいたメールでひんぱんに聞かれた質問を元に,FAQ(Frequently Asked Questions)を作りました.今回は,その中でもとくにシリコンバレーのアメリカ人や職場環境に関する質問を集めてまとめてみました.

仕事や職場について


シリコンバレーは学歴主義ですか? StanfordやUC Berkeley,MIT出身の人は,待遇が違うのですか?
日本の学歴の考え方とアメリカの考え方に違いがあるので,そこから説明してみます.

 エンジニアリングの仕事といってもさまざまな分野と形態があります.たとえば,純粋に基礎研究に関係する職種であれば,元のネタなどが大学からあったり,大学と共同研究しているテーマがあり,ある程度の学歴が要求される可能性が多くなります.これは,ほかの大学や企業のエンジニアと情報交換したりすることが有利とされるからでしょう.

 一方,製品開発や顧客側と一緒に仕事をするエンジニアの場合は,エンジニアリング的な知識以外に,対人関係の能力があるとか,説明をしたり意志疎通の能力が高い人が好まれます.ここでは,学歴よりも実務レベルの経験が重視されるかもしれません.

 中途採用が多く,即戦力で結果を求めるアメリカ企業では,候補者の学歴は大事な目安として考えられています.アメリカの大学は順位付けがしっかりされており,どの大学でどの学部が全米でどんな順位を付けられているか,第三者的(毎年数回雑誌や媒体が企業の人事担当者に聞き取り調査を行う)に調べられています.調査の内容は,なぜある大学の工学部から学生を雇ったか? それに満足しているか? といった内容だそうです.企業側に不満があるともちろん順位が落ちるわけです.

 このように,大学に入る側である学生候補と,大学から採用する側にある企業から,はっきりとどの大学に力があるかわかるしくみになっています.その中でStanfordやUC Berkeley,MIT(マサチューセッツ州),Cal Tech(カルフォルニア州,ロサンゼルス)の工学部が毎年上位にランキングされるのはたしかです.また,これらの大学の工学部の課目は企業側に公開されており,企業側としても安心して質の高いエンジニアを採用できるという利点があります.結果として,上位に位置している工学部がある大学から積極的に採用をするということになります.

 その一方で,即戦力や実務経験があれば学歴はまったく問わないという考え方もあります.実際,多くのスタートアップの設立者には大学を中退した人達がかなりいます.また,実務経験でそれに見合った学位を短縮して得るという制度が用意されています.どうしても企業側が学位を求めるのであれば,数年の実務経験を大学の数年分の勉強として認めて,本当に必要な単位だけで修士号や博士号を与える制度があります(たとえば,実務経験4年を大学在学1年程度に認めるとか).

 一般的に,FAST TRACK PROGRAMと呼ばれ,通常2年かかる博士号を2学期ぐらいの単位に短縮する場合があります.場合によっては,夜間コースや個別論文で済ませることもあり,働きながら学位が取れるという制度になっています.大学側と個人の個別相談によりますが,まったく学位のない人でもさまざまな方法で学位を得ることが可能です.

100ドル以上する本を勉強のために自費で購入するって本当ですか? 将来の転職を考え,ハクをつけるため,自費で,セミナー,トレーニングを受講するって本当ですか?
すべて本当です! アメリカにはキャリアマネージメントという考え方があり,自分の仕事の道筋を自己管理していこうということです.ですからどんな仕事でも,転職が有利になったり,違う地位にはどういう能力が必要か,みんなつねに敏感です.自分の将来設計については自分で責任をとるという基本姿勢です.また企業側も,企業として利点のあるものに対しては補助金を出したりします.企業側の助けがなくても,アメリカ人エンジニア達は自分の能力に惜しみなく投資する傾向があります.くわしくは,この連載のバックナンバ(2000年6月号)を参照してください.
健康保険とかスポーツクラブとかは会社があっせんするのですか?
報酬やストックオプション以外にさまざまな工夫をこらした福利厚生制度で差別化をはかろうという企業が多いので,数種類の健康保険プランを用意する場合がほとんどです.医療費は日本に比べれば高く,費用によって受けられる質もかなり変わるので,会社側で用意された健康保険プランはポイントが高くなります.

 エンジニア達は,自分の生活や家族構成に応じて,数種類あるプランの中からもっとも適したものを自分で選べます.たとえば,まだ独身のエンジニアはできるだけ安価で自己負担が少ないプランを選び,家族もちのエンジニアは家族がひんぱんに病院に行っても自己負担が多くならないプランを選ぶのが一般的です.スポーツクラブですが,日本に比べて費用的には安価で,そこそこ人気があります.最近では会社内にジムを作り,エアロビクスやヨガ,太極拳のインストラクターを呼ぶのが人気のようです.

みんなパーティションに囲まれた個室で仕事をしているのですか?
シリコンバレーでは,自社ビルの会社はあまりありません.リース/レンタルしている社屋がほとんどです.ですから,オフィスのレイアウトは大部分,リースしたビルの内装に依存することになります.また,会社が急に大きくなったり縮小したりするので,経営側がいつも流動的なオフィス設計をする傾向があります.オフィスには,筆者がいままで見てきたところでは,次のような種類があると思います.

1)個室型――大企業で研究員が多い会社に多い.二人一部屋が平均的.ビルが古いところに多いレイアウト.

2)パーティション型――広い場所にパーティションをたくさん並べたスタイル.背の高さぐらいのパーティションで,ほぼ個室的になっている.会社によっては,マネージャクラスには談話用のテーブルと椅子が入るぐらいの広さになっていたり,パーティションが天井まであるような場合もある.ちなみにインテルは,社長から一般社員の誰もが同じ広さのパーティションにしている.

3)混在型――個室が窓側にあり,マネージャクラスが個室に入り,その他は中央にあるパーティションオフィスに入る.

4)平机型――広い部屋にデスクをならべる方式で,パーティションはなし……日本の企業に似たやり方だ.最近のインターネット系やベンチャー企業に人気があり,チームで仕事をする場合が多い会社に人気のようだ.お金がかからず急激に成長したり縮小できるのも人気の一つかもしれない.

5)サテライトオフィス型――必要最低限のオフィスにしてしまう考え方で,営業マンやフィールドエンジニアなど外回りが多いスタッフにはオフィスやデスクを与えず,会社での打ち合わせが必要なときは机を借りるという形式.その一方で,テレビ会議システムや社内LANを徹底させている.また,ほかのスタッフは在宅ワークの割合を多くとり,極力オフィスにかかる固定費をおさえるという考え方.4)と同じくスタートアップに多い方式だが,大企業も通勤時間の無駄を防ぐために採用する会社が多くなっている.

シリコンバレー エンジニアって,一生エンジニアで管理職にならないのですか?
シリコンバレーの多くの企業には,社内の昇級プランともいえるCareer Trackがあります.エンジニアが昇級していったらどうなるかという筋書きです.多くの場合,そこそこ貢献しているエンジニアにはどんどん管理の仕事を要求していき,管理職に上げていくという昇級プランがあります.最高峰は技術を取りまとめるVice President(日本語で直訳すると副社長だが,実質は本部長ぐらいだろうか?)という役職で,場合によってCEO(社長,最高責任者)ということもあるわけです.

 しかし,どんなに貢献しても管理職に上がりたくなくて,一人のエンジニアとして第一線で貢献したいという人のための道を用意している会社が多くあります.俗に呼ばれているFellow Systemです.Fellow(フェロー)とはこのシナリオの最高峰の地位でVice Presidentなみの待遇(報酬など)ですが,管理の責任は最低限におさえられているのが特徴です.すぐれたエンジニア・技術者や企画担当のアイデアマン/ウーマンに与えらえる地位です.

 具体的な仕事としては,普通の製品開発チームの一員となったり,会社の将来的な企画を考えたり,企業内の開発者の長老的存在として貢献するというやり方が多くあります.HPがもっとも以前から行っており,シリコンバレーではかなり浸透し,大型の企業ではほとんどFellow Systemを導入しています.


Wen Ho Lee氏スパイ事件についての最新事情

 本誌1999年11月号のコラムで取り上げたWen Ho Lee博士の最新状況をお伝えします.同氏は台湾系エンジニアで,核兵器スパイ疑惑のため約9か月連邦政府の拘置所に入れられていました.9月14日に米国連邦地裁は,司法取引により被告を釈放しました.Lee博士をサポートしていた人権主張グループは,Lee博士が人種差別的な理由で捜査されたことや,その捜査方法について強く根拠などを追求しています.クリントン大統領もインタビューで,司法当局の方法などについて遺憾であることを語っています.

 司法取引によりLee博士はスパイ罪の起訴(合計58件)はなく,秘密データの不法コピーの罪を認めることと当局に協力することを条件に釈放されました.事件は一応は落ち着いたものの,アジア系の人々がいまなおアメリカで人種差別やお客さん扱いになっていることを再認識させるできごとになったようで,シリコンバレーで活躍するさまざまなアジア系エンジニア達にも非常に関心の高いニュースでした. Lee博士と同じロスアラモス国立原子力研究所で働くあるアジア系エンジニアは,「明らかに人種差別の感じがあるし,今後われわれアジア系アメリカ人がしっかりと人権について主張しなければ,このような事件はまた起こるだろう.アジア系のわれわれが美徳としている“先に喋るより仕事の質によってわれわれを理解してもらう”ではだめだ」と言っています.


copyright 1997-2001 H. Tony Chin

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移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

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移り気な情報工学
第62回  地震をきっかけにリアルタイム・システム再考
第61回  海を渡って卵を産む北京の「海亀族」
第60回  超遠距離通信とソフトウェア無線
第59回  IT先進国フィンランドの計画性
第58回  物理的に正しいITの環境対応
第57回  年金,e-チケットに見るディジタル時代の情報原本
第56回  「着るコンピュータ」から「進化した布地」へ
第55回  技術を楽しむネットの文化
第54回  情報爆発2.0
第53回  プログラミングの現場感覚
第52回  GPS+LBS(Location Based Service)がおもしろい
第51回  技術の格差社会
第50回  フィンランドに見る,高齢化社会を支える技術
第49回  たかが技術倫理,されど技術倫理
第48回  若者の理科離れ,2007年問題から「浮遊」せよ
第47回  機械のためのWWW――Google Maps APIから考える
第46回 網羅と完備で考えるユビキタスの視点 ―― u-Japan構想
第45回 青年よ,ITを志してくれ
第44回 Looking Glassに見るデスクトップの次世代化
第43回 CMSはブログに終わらない
第42回 二つの2010年問題
第41回 持続型技術――サスティナブル・テクノロジ
第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
第39回 ユーザビリティの視点
第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
第60回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第一部)

電脳事情にし・ひがし
第14回 韓国インターネット社会の光と陰

第13回 ドイツのソフトウェア産業とヨーロッパ気質〜優秀なソフトウェア技術者は現代のマイスター
第12回 開発現場から見た,最新ロシアВоронежのソフトウェア開発事情
第11回 新しい組み込みチップはCaliforniaから ―― SuperHやPowerPCは駆逐されるか ――
第10回  昔懐かしい秋葉原の雰囲気 ── 取り壊し予定の台北の電脳街 ──
第9回 あえて台湾で製造するPCサーバ――新漢電脳製青龍刀の切れ味
第8回 日本がだめなら国外があるか――台湾で中小企業を経営する人
第7回 ベトナムとタイのコンピュータ事情
第6回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜インターネット通信〜
第5回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜ポルトガルのプチ秋葉原でハードウェア作り〜
第4回 ヨーロッパ/ポルトガルでのエンジニア事情〜市場と就職編〜
第3回 タイ王国でハードウェア設計・開発会社を立ち上げる
第2回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(下)
第1回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(上)

フリーソフトウェア徹底活用講座
第24回 Intel386およびAMD x86-64オプション
第23回 これまでの補足とIntel386およびAMD x86-64オプション
第22回 静的単一代入形式による最適化
第21回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その9)
第20回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その8)
第19回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その7)
第18回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その6)
第17回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その5)
第16回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その4)
第15回 GCCにおけるマルチスレッドへの対応
第14回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その3)
第13回 続々・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第12回 続・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第11回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第10回 続・C99規格についての説明と検証
第9回 C99規格についての説明と検証
第8回 C言語におけるGCCの拡張機能(3)
第7回 C言語におけるGCCの拡張機能(2)
第6回 GCCのインストールとC言語におけるGCCの拡張機能
第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第3回 GCCのC言語最適化以外のオプション
第2回 GCCの最適化オプション ――Cとアセンブラの比較
第1回 GCCの最適化オプション

フジワラヒロタツの現場検証
第72回 現場検証,最後の挨拶
第71回 マイブーム
第70回 OSぼやき放談
第69回 技術者生存戦略
第68回 読書案内(2)
第67回 周期
第66回 歳を重ねるということ
第65回 雑誌いろいろ
第64回 となりの芝生は
第63回 夏休み
第62回 雑用三昧
第61回 ドリームウェア
第60回 再び人月の神話
第59回 300回目の昔語り
第58回 温泉紀行
第57回 人材ジャンク
第56回 知らない強さ
第55回 プレゼン現場にて


Copyright 1997-2005 CQ Publishing Co.,Ltd.


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