第49回

Engineering Life in Silicon Valley

エンジニアからCEOへの道のり

〜対談編〜


アメリカ国内での文化の違い

チャーリーとはこれまでも公私を通していろいろ話をしましたが,今回はコーネル大学時代から会社を経営されるまでの,アメリカの話に絞ってお話しいただけますか?
そうですね,では西海岸時代の話から.カリフォルニア州は,アメリカ国内でもとくに開放的なところがあると思います.たとえば,アメリカは宗教大国だといわれますが,カリフォルニアにいると,意外とNon-Practicingな(礼拝などを定期的に行わないという意味.毎週は教会や寺院に通わないが,家系などの理由で信教を名乗る)自称カトリック教徒,ユダヤ教徒がたくさんいます.これは珍しいですね.
そうですね,たしかに.日本の読者にはあまり馴染みがないかもしれませんが,アメリカはかなり宗教に熱心な国ですね.
おっしゃるとおりです.おかげで,さまざまな宗教やそれらからくる要望などに敏感になれました.これは,会社の運営にも大いに役に立っています.具体的には,さまざまな社員のニーズをカバーするために,会社の有給休暇は12日のうち,固定した休暇は7日のみで,あとは変動休暇を採用しています.ですから,一般的に有名なお休みであるクリスマス休暇も当社では働いている人(ユダヤ教徒はクリスマスを祝わない)がいます.
なかなかの工夫ですね.それでは,大学ではどうでした?
コーネル大学はどうしても大きな企業からのリクルートを受けるので,IBMやRockwell,GEなどに行ってしまうのです.当時は,スタートアップは考えられないという感じでしたし,名前さえも知りませんでした.大学側が意識して大企業に卒業生を送り出すという形でした.夏休みに行ったサマージョブやインターンも大企業でした.私の場合はDow Chemicalでインターンをしましたが,トニーはたしかAMDでしたよね? 私はその頃AMDという半導体メーカーの名前すら知りませんでした(笑)
それは意外です.コーネルの工学部はかなり有名ですよね,それでもスタートアップにあまり関わりがなかったとは……
最近は変わったのでしょうが,1980年代後半はまだそうでした.最近では,インターネットやマルチメディア系の会社が東海岸に増えてきましたし.それで結局,私は卒業してIBMに入り,アメリカ政府の所有する大型メインフレームを管理するグループに2年勤めました

今回のゲストのプロフィール


Charlie Cheng
(チャーリー・チェング)

1962年台湾生まれ.少年時代にアメリカへ渡る.コーネル大学にて情報工学と機械工学のBS学位を取得.卒業後はIBM,Edge Computer Corporationなどを経てアップルのMacグループでマーケティングの職に就く.シリコンバレーでは,アップル以外にViewlogic,ASPEC Technologyのマーケティング担当副社長としても活躍.97年からCPUをライセンスするビジネスを行うLexra(http://www.lexra.com/)を立ち上げ,現在はCEOに就く



遅いシリコンバレーデビュー?

シリコンバレーに来られたきっかけは?
IBMの仕事で,東の方からまたカリフォルニアに戻ってきました.そして,こちらへ戻ったときにカルチャーショックを受けました.それまではIBMが普通の会社だと思っていましたが,シリコンバレー内では当時のIBMが異色の会社扱いされていました.当時はみんな黒か紺のスーツでしたしね.それで,カリフォルニアに戻ってからスタートアップに目覚めたので,2年遅いデビューでした.そこでEdge Computerというグラフィクスワークステーションを作っていたスタートアップに入りました.やはり,エンジニアとして自分を試したかったからです.
なるほど,当時のシリコンバレー内のIBMは,皆からジョークぐらいに扱われていた感じでしたからね.カルチャーショックは理解できます.
Edge ComputerではCPUの設計に参加しました.このころですね,CPUの設計に興味をもったのは.今の仕事でもEdgeでの経験が役に立っています.実際,設計にも参加していたので,顧客とちゃんと話ができるようになりました.

ヨーロッパのエンジニア

Edge Computerはシリコンバレーのスタートアップでしたが,勤務地はおもにヨーロッパでしたよね?
会社の経営上の判断で,2年近くをスイスで過ごしました.会社はアメリカ国内でシリコンバレーとテキサス州に拠点がありました.ヨーロッパの顧客が多かったのはたしかです.
ヨーロッパとアメリカのエンジニアリングの違いはどこにあると思いますか?
そうですね.今でもとても面白いと感じるのですが,アメリカの会社がトップを走っている分野が多いのにも関わらず,ヨーロッパの会社もまだまだ競争力をもっているということです.分野によっては,まだまだトップのところもあります.それとアメリカ人よりもはるかに勤務時間が短い.少なくとも平均6週間ぐらいの休暇は軽く取っているだろうし,常時20%の社員がいない(休暇中)会社が多いことです.
たしかにヨーロッパに出張で行ったりすると,注意しないと祭日がたくさんあって仕事にならないときがあります.何かヨーロッパのやり方に秘訣があるとか?
う〜ん,どうでしょう? 社会的な伝統を守りつつ,競争するところはしっかりと競争していると私は感じます.秘訣はわかりませんが,会社に忠実な人が多いですね.アメリカの会社のようにすぐレイオフがあったり,社内の人間関係が不安定だったり,社員に余計なストレスを与えない会社文化があるからでしょうか.だから社員は心配しないでしっかりと中期・長期のことに目を向けて仕事ができる.少し前の日本企業のように,一生ある会社に勤めることが可能なところは似ているのですが,違いは経営学的な面ではアメリカなどから良いところを取り入れている点でしょう.だから,たとえば昇級や人事評価は,徹底した能力評価(年功序列ではなく)をするので,フェアで合理的なシステムになっています.アメリカでも学ぶところが多いと感じています.
なかなか面白い観察ですね.

会社設立への道

現在の会社を設立した経緯について話してください.
この会社は,自分のいままでの経験を総合したものだと思っています.製品のアイデアについては,Edge Computerで学んだCPUの知識,ViewlogicでのEDA技術,AspecでのシリコンIP(Intellectual Property)ビジネスの知識が役に立っています.これらを,半導体の上に載せてシステムを構築していくわけですが,いままでのようにシリコンの内容をすべて1社で作り上げるのは時間がかかるうえリスクが大きすぎます.システムにはまたソフトウェアやファームウェアの部分もありますし,また場合によってはハードワイヤードロジックを組むよりは,ソフト的に対応したほうが良い部分もあります.その場合は,CPUや専用プロセッサを大いに活用します.現在の多くのシステムオンザチップ(SoC)で見るとCPUが使う面積は全体の5%以下ですから,組み込みのCPUが有効利用されていくと見ています.
なるほど,いままでの経験と現状が合致しているということですね.設立は,現在のCTO(Chief Technical Officer:最高技術責任者)であるもう一人のパートナーと行われたそうですが,彼と出会ってから設立までどれぐらいかかりましたか?
共通の知り合いを通して名前を知っていたぐらいで,電話やメールで会社を作るアイデアを話し合いました.彼のほうが東海岸にずっといるので,遠距離交際(笑)ですよね.その頃は,お互いに違う会社に勤めていたので,平日は電話やメールのやり取りぐらいでした.それで何か重要な話があるたびに,私が金曜日のRed Eye(俗に呼ばれる,西海岸を夜中に出て次の日の早朝に東海岸に到着する夜行便の飛行機……乗ってみるとけっこうつらい)に乗って土日に打ち合わせをするということが何回かありました.
お互いに,はじめての会社設立ですよね? ビジネスプランなどはどうしました?
お互いにはじめての会社設立でしたが,今から考えるとかなり運が良かったと思います.1997年はベンチャーキャピタル達にとって景気の良い年だったし,また,IP化したCPUのアイデアについてもなかなかの興味を示してくれました.幸いにも,ベンチャーキャピタルの一人が元CPUの設計者だったこともあり,よく理解をしてくれて話がとても速く進み,プレゼンテーションをしてから約1か月後には初めての資金が入金されていました.
完全なビジネスプランなしで1か月はかなり早いほうですよね.やはり出会いが大切ですか.

社長業はやっぱり難しい

元エンジニアから始まって現在はCEOですが,社長業はいかがですか?
先ほど言ったベンチャーキャピタルの方が役員会の一員なので,かなりのフォローはしてくれます.小さい役員会で,私とCTO,それとベンチャーキャピタルから2名の計4名です.初めての社長業ですから学ぶことはたくさんあります.ですから,どうしてもやりながら覚えるというスタイルですね.私が個人的に難しいと感じたことは,経理・財務関係と人事です.とくに私の場合は,責任者レベルの人間を雇わなくてはならないのですが,これらの役割を実際自分でやったことがないので,営業の副社長になる人とか……それをまとめてくれる人を選ぶわけですから,実務以外に管理や統率能力とかいろいろ考えなければなりません.
東海岸と西海岸では人事の手法がまた違いますよね?
おっしゃるとおりです.シリコンバレーでは良い人材を集めて確保するのは皆が競争していることですから,努力だけではどうにもならないところがあります.また,会社のライフサイクル,売り上げが$1Mから$10M,そして$30M……と伸びるにつれて会社の組織内容も変わっていくし,調整しないといけません.今年で4年目なのですが,人事関係の会社組織を作っていくのは難しいですね.今後は,株式上場を目指して頑張ります.

●対談を終えて

 チャーリー氏とは,じつは高校時代からの同級生だ.高校時代にはよくお互いに宿題を写し合ったものだった.筆者もかなりいろいろな会社に勤めたが,チャーリー氏はびっくりするぐらい多くの会社で働いている.さまざまな経験を総合して現在の会社を苦労しながら運営しているようだ.


トニー・チン
htchin@attglobal.net
WinHawk
Consulting

 

copyright 1997-2001 H. Tony Chin

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Engineering Life in Silicon Valley
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