Daily? Diary

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2005.4.28(Thu)    またまた迷惑メール

 「人を見れば泥棒と思え」ではないですが,「知らない差出人からのメールは迷惑メールと思え」と言わざるを得ないような事態が日々続いています.あまりにあきれたメールが来たので,ここに掲載したいと思います.

Subject:関本と申します
From:関本 弘美(*****@yahoo.co.jp)
         ↑念のため,アドレスは伏せました

あなたからのメールを受信していたみたいなのですが、
どちら様ですか?
はじめは迷惑メールか何かと思っていたのですが、
添付ファイルもなにも無い空メールでしたので、
とりあえずこのように返信したしだいです。
私のアドレスに見覚えはございますでしょうか?
最近あまりにも迷惑メールが多く少し困惑してます。
ご説明いただければ幸いです。

 これにうっかり「わたしはあなたにメールなんか出していません」などという返信を出そうものなら,何かと話題をつなげられて,「一度会いたいです」とか言われて,出会い系サイトに誘導されちゃうんでしょうね.
 わたしは彼女(?)のアドレスにメールを送った覚えはないので,「最近あまりにも迷惑メールが多く」というのはわたしのせいではないと思います.可能性としては,空メールの迷惑メールの発信者がわたしのメール・アドレスをかたっている,ということも考えられますが,無言電話ならいざ知らず,空メールならそれほど迷惑度が高いわけでもありません.そんなことを,わざわざ,いやがらせでやらないでしょうよ.
 となると,逆に,この「関本」さんが何らかの意図をもってこちらにアクセスしてきているとしか考えられません(信用度の低いyahooのドメイン名がその想像を強化してくれます).

 もしかしてもしかしてもしかすると,関本さんはごく純粋なインターネット・ユーザなのかもしれませんが,客観的に見ると,このメールは怪しいです.今は,関本さんが「そんな,わたしのこと疑うなんて,ひどいわ」と言えるような時代ではないのです.李下に冠を正さず.疑わしきは疑ってかかるのが常識(あたりまえ),というような状況になってきています.哀しいけれど.

2005.4.25(Mon)   知る,ということ

 恥ずかしながら会社に入るまでは,パソコンの中身がどうなっているかなんて考えたこともありませんでした.結婚するまでは,男の人は家に帰ってくると靴下を脱ぎ散らかすものだとも知りませんでした.そして,こどもを産むまでは,生後3ヵ月の赤ちゃんと1歳の赤ちゃんの区別もつきませんでした.
 自分で体験することの革新性を思い知ったのは主にこどもを持ってからですが,育児に限らず,さまざまな経験は人を豊かにしてくれるものだと思います.

 学生時代の自分を振り返ってみると,黙々と授業や決められた活動(サークル活動,研究室活動など)をこなしたり,アルバイトをしてみたりと,ただ漫然と過ごしていたことが多かった気がします.社会人になった先輩には時たま「若いうちにいろいろな経験をしておいたほうがいいよ」,「いいねー,学生はたっぷり時間があって」などと言われましたが,その時間を何に使うべきなのかがよくわかっていなかったように思います.「漫然と過ごせるのも,学生時代の貴重な経験の一つ」などと言う先輩もいましたが….

 はっきりした目的意識があり,なけなしの時間を必死で積み上げている今のほうが,よっぽど効率良くさまざまなことを「経験」していると思います.また,勉強が義務に感じられた学生時代よりも,「知る」ことが楽しく感じられることがあります.知的欲求ってこういうことなのかも…と思う瞬間もあります.

 いずれにせよ,何歳になっても「知る楽しみ」を求め続けていきたいと思っています.

2005.4.22(Fri)    イルカくん

 コガシラネズミイルカを飼い始めました(といってもデスクトップ上で,ですが…).
 このイルカは,体長1.5mほどの小さなイルカで,絶滅寸前だそうです.愛・地球博の日立グループ館の公式Webサイトからもらってきました.いわゆる「育てゲー」で,えさをあげたり,健康状態に気をつけてあげたりします.また,ときどきなでてあげるとストレスが減るそうです.
 ディスプレイの中をふにゃふにゃと泳ぎ回っている姿は,なかなか愛らしいです.ただ,しょっちゅう「愛・地球博に行きたいな…」とつぶやかれるのは,サブリミナル効果を狙っているようで,なんとなくいやですが.

 説明をよく読むと「えさをあげなくても死にません」と書いてあります.この種のゲームはやったことがないのですが,確かに,飼っておいて放置し,その変化を見る,という楽しみかたは「ありえない」のでしょう.リアリティよりもたいせつなものがある,ということでしょうか.

2005.4.20(Wed)    おもしろいしごとが身を滅ぼす

 急ぎのしごとがあったため,月,火と根をつめてやっていたら,なんだかぐったり疲れてしまいました.
 日ごろは保育園児のお迎えがあるからと,定時+αで帰宅しているので,体がなまっているのでしょうか.ちょっと(?)残業したくらいで,このありさまです.情けなや.

 毎月毎月ヤマを迎えては,徹夜その他で乗り切っている同僚たちを見るにつけ,頭が下がります.というより,そんなに働いてばかりじゃ身体を壊すのでは…と,心配になってきます.
 「やりがいのあるしごと」だからこそ,ついのめりこんで頑張ってしまう.そう考えると,やりがいのあることも良し悪しなのかもしれません.

 ま,やりがいのないしごとなら,私のような人間は1ヵ月と勤まりそうにありませんが.

2005.4.15(Fri)    名まえを張る

 ちょっと前に,テレビ番組のクレジットで「佐藤雅彦研究室」という名まえを見つけて,何なんだ? と思いました.佐藤雅彦というのは,研究対象になるようなすごい人なのか,と(いや実際すごい人ではあるのですが…).
 で,よく知ってみると,佐藤雅彦さんは大学の教授なんですね.それなら研究室(ゼミ)を持っていてもおかしくない.そう言えばわたしの所属した研究室にも,教授の名まえが冠されていましたっけ.

 でも,よく考えると,名まえを冠したネーミングって,その人によっぽどの説得力がないと情けないものになるように思います.「徹子の部屋」なら許せても,「まりこの部屋」と言われるとなんだかひいてみたり….「所ジョージの…」,「みのもんたの…」,「筑紫哲也の…」はあり得ても,「(志)の…」なんて企画があったとしたら,恥ずかしくってたまりません.

 同姓同名の人も少なくないのに,その名まえから特定の個人が連想される人がいます.いわゆる有名人と呼ばれる人々です.「小泉さん」と言えばあの人だし,「雅子さま」も「百恵」も1人.好むと好まざるにかかわらず,そういう人たちは名まえを張って生きているのでしょう.潔くなければ,また自負がなければやっていけない世界だと思います.
 一方,そういう人たちとはまったく違う世界にいる私でも,やっぱり潔さや自負は身につけておいたほうがよいような気がしますね….思いきって,やってみますか? 『(志)が斬る! ××の裏』とか?

2005.4.8(Fri)    偏るなマスコミ

 愛知で開催されている万博「愛・地球博」を取材してきました.ほとんど始発の電車で家を出て,動きづめで取材をし,夜中に帰宅したのですが,それでも見きれなかったものがたくさんあります.だいたい会場が広く,また出展パビリオンもたくさんあるので,1日2日で見て回ろうというほうがしょせん無理な話なのでしょう.

 技術情報の取材記者としての立場で言うと,万博は「新しい技術を一般の人(エンド・ユーザ)が体験できるという意味でのお披露目の場」であり,今まで見たことも聞いたこともないような最新情報というのが特にあるわけではありません.でも,「なるほど,話題のアレはこういう感じなのね」とか,「ごく近い未来に,こういう技術がごく普通に使われるんだな」というものがあれこれと集まっていたと思います.
 それはそれでおもしろいし,テーマになっている「環境(人と自然の共生)」について啓蒙しているパビリオンではいろいろ考えさせられるし,そうでなくても知らない国の知らない文化に触れることのできるパビリオンも楽しいものです.盛りだくさんすぎて,全部見たいのに見る対象を絞り込まなければならないのがつらいところです.東京ドーム全面に各国料理が集まったバイキング会場みたい… と言えば,私の思った感じは伝わるでしょうか?

 ただ,見る対象を絞り込むときに,「技術的に新しいか」とか「自分にとって価値があるかどうか」よりも,マスコミで話題になっているものに来場者が集中する傾向があるように思います(もちろん,「マスコミで話題になっているアレを見る」ことに価値を感じる人もいるでしょうけれど).ひねくれ者のわたしとしては,「いくら騒がれていても自分が興味のないものは見ない」という信念に従いつつ,会場を回ってきました.例えば,「今までになく良い保存状態のマンモス」だと言われても,長蛇の列に並んでまで見たいとは思いませんでした.ほかにもいろいろ「敢えて」見逃しています.

 そんな私が怖いのは,「え? アレを取材してこなかったの? 今回のレポート記事の目玉になるニュースだと思ってたのに」と,編集長に言われることです….

※愛・地球博の詳細な情報や感想については,レポート記事のほか,個人的にも(このページなどに)掲載する予定です.出張中にたまったしごとが片づくまで,しばらくお待ちください.

2005.4.5(Tue)    気をつけて

 父からメールをもらった.父はよく,こどもたち(みな社会人だが)にいろんな情報を添付ファイルやURLリンクのかたちで送ってくれる.それはありがたいのだが,今回もらったメールはいかにも怪しかった.

Subject:こんにちは!
添付ファイル:あり
差出人:(父の名前)

 開こうかどうしようかしばし迷ったあげく,えい! と開いたら,本当に父からのメールだった.あーよかった….

 父に非があるわけではない,と思う.しかし,ウィルス・メールや迷惑メールが飛び交う現代だからこそ,それらに見まちがえられるようなSubjectはつけないようにしよう,と改めて自戒した.
 でも,最近の迷惑メールのSubjectには「Re:Re:ありがと」とか「同窓会のご連絡」とかもあるからなぁ….どこまで「自戒」すればいいものやら.

2005.4.1(Fri)    嘘の味

 4月1日,エイプリル・フールの日.でも,今までの人生で「おもしろい嘘」というものに出会ったことはないような気がします.たとえそれが4月1日であっても.

 「だれかをひっかけてやろう」とおもしろいネタを考えても,相手があっさり信じてくれたとき,そして「うそだよ」と告げたとき,どうも気まずい空気が流れます.信じた相手よりも,だまそうとした(からかおうとした)自分のほうが悪い人間のような気がしてきます.
 逆に,だれかに突拍子もないことを言われて「どうせ嘘でしょ」と返すのは申し訳ないような気がするし,「へー,そうなんだ」と言って「嘘だよ」と言われても,どうリアクションすればよいのか困ってしまいます.だいたい,ほかにニュース・ソースがない場合は「相手のことばを信じるか/信じないか」の二者択一であるわけで,そのときどちらを選ぶかは,すなわち「相手のキャラクタ(人間性?)をどうとらえているか」に直結してしまいます.だから,ふーん嘘だったんだ,それで? という反応になってしまうのです.正直に言えば.

 「根拠はないけれどありそうなネタ(例:●●さんと○○さんが実は付き合っていた,とか)」なら盛り上がるかもしれませんね.でも,それが根も葉もないウワサ話の原因になってしまっては●●さんや○○さんに申し訳ありません.それならどうするか.いっそ,自分をネタにするか?!
 やっぱり,そうまでして4月1日に嘘をつきたいとは思いません.いいじゃないですか,もともと舶来の行事なんですから,むりに取り入れなくても.

 なお,これは,「組み込みネット」が今年のApril Fool対策を怠ったことへの言い訳なんかではありません….