第37回
時代間通信アーキテクチャ

 早いもので,21世紀もすでに4年目に入った.私は子供のころに21世紀は画期的な科学技術が社会を支えるトンデモない世界になっていると思っていたが,実際に21世紀になってみると,思ったよりも地味なものだと感じている.21世紀になっても自動車は相変わらずタイヤで走っているし,月面にホテルがあるということもない.昔から考えられていたアイテムで実際に実現されたのは携帯電話とインターネット,つまり情報通信ぐらいというのが現実である.

 20年前,米国のほんの一握りの研究機関という「点」を結ぶことで始まったインターネットは,今では飛行機の中からでもアクセスできるまでになった.時空間的に見れば,研究機関という点からのアクセス,つまり0次元から始まり,ダイアルアップ接続の1次元,携帯電話で2次元,そして衛星通信で限定的な3次元とアクセス空間の自由度を上げてきたといえる.現時点で物理的にインターネットがアクセスできないのは,地中,海中と宇宙空間ぐらいである.いや,もう一つ残っている軸がある.時間軸である.私たちは21世紀のディジタル情報や文化を100年後,100万年後に正確に送る時間軸の情報伝送法を持っているのだろうか?

20年後への情報伝送アーキテクチャ

 20年くらい先ならCD-ROMやDVDで情報を保存すれば良さそうに思うが,そう簡単ではない.再生システムや情報フォーマットにも寿命がある.最近でも8インチ,5インチのフロッピディスクやアナログ8mmビデオなどが市場から姿を消しつつある.こういった消えつつある媒体に記録された情報はこの先数年で再生できなくなってしまう.本当に重要なデータはコストをかけてメディアを変換し続けなければならない.タイムカプセルに入れられたCD-ROMやFDはたかだか20年後でも再生を保障するのは難しい.

 では,単純にタイムカプセルに入れるだけで20年後にディジタル情報を送るにはどうしたら良いのだろうか.私の知人がこんなことを教えてくれた.きわめて長期間保存しなければならない情報は,PCのハードディスクに書いて,そのPCごと,つまりディスプレイやキーボードまで含めて密閉して倉庫の奥深くしまっておくのだとか.OSは何でも良い.20年後にそのOSやフォーマットが使われなくなっても,記録された情報はディジタルに再生できることになる.簡単なプログラム開発環境も一緒に入れておけば,20年後のフォーマットに変換するプログラムもその環境の上で書けることになる.これはなかなか鋭い話であると感心した.100年ぐらい寿命がある部品でPCそのものを作ることで,この方法は世紀オーダの時代間通信を実現できそうである.

1000年後への情報伝送アーキテクチャ

 1000年後となると状況はさらに悪化する.現代のエレクトロニクス機器で1000年の寿命を保証できるものは見かけない.1000年後をターゲットにする情報伝送アーキテクチャは半永久的な情報保持機構と受動的な再生メカニズムを持たねばならないのである.でもSFや映画の中にはそういうシステムが描かれている.映画「トゥームレイダー2」ではパンドラの箱の在処を映像で伝える「結晶」が出てくるが,これを再生するときには特別なリーダは必要ではない.ある条件で光を当てると映像が出てくるのである.3次元結晶構造の中にホログラムとして情報を記録することをイメージしているらしい.しかし,ホログラムメモリはいつまでたっても実用化されない,永遠の次世代メモリなのだが,超時代間通信アーキテクチャとしては可能性があるのである.結晶が割れても,情報がそこそこに再生できるというのも時代間通信向きである.

100万年後への情報通信アーキテクチャ

  100万年後に向けた情報通信となると状況は想像を超えて深刻になる.姿形あるものに記録された情報はいずれ風化し,最後には消えてしまうので,情報の固定化で対応するのは難しい.可能性のある方法の一つは,定期的に自分の複製を作りながら後世に情報を送る方法である.しかし,複製してくれる第三者がいない.偏在するエネルギや物質だけで記録媒体の自己複製を作るメカニズムが必要になってくる.そんなことが可能だろうか.生命体が遺伝子情報を子孫に伝承するメカニズムは限りなくそれに近いように思えるのである.生命のメカニズムは太古の知的生命体が作った時代間通信アーキテクチャであるという仮説も否定はできない.ただし,このアーキテクチャは,愛嬌として突然変異というビット落ちやビット足しというバグがある.

 さて,仮にそうだとして.いったい誰が太古の昔にDNA情報を送ったのかという問題が出てくる.生命体が記録メディアなのだから,それは生命体ではないことになる.

 生命体ではない知的物体とは何なのか,こうして,今夜も眠れないことになるのである.

やまもと・つよし

北海道大学大学院工学研究科電子情報工学専攻

計算機情報通信工学講座 超集積計算システム工学分野


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コラム目次
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フリーソフトウェア徹底活用講座 第14回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その3)

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フリーソフトウェア徹底活用講座
第13回 続々・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第12回 続・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第11回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第10回 続・C99規格についての説明と検証
第9回 C99規格についての説明と検証
第8回 C言語におけるGCCの拡張機能(3)
第7回 C言語におけるGCCの拡張機能(2)
第6回 GCCのインストールとC言語におけるGCCの拡張機能
第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第3回 GCCのC言語最適化以外のオプション
第2回 GCCの最適化オプション ――Cとアセンブラの比較
第1回 GCCの最適化オプション

移り気な情報工学
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第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
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第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
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第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
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第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
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第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
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第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
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