第30回
自分自身を語るオブジェクト指向「物」
最近のソフトウェア開発のスタイルといえば,オブジェクト指向である.オブジェクト指向の優れたところはたくさんあるのだが,基本となるのは「オブジェクト」という単位であり,そしてそれが何であるかを自らが知っている,知ることができるということではないかと思う.
元祖オブジェクト指向言語であるSmalltalkは,言語仕様がオブジェクト指向的であるということがもちろん重要な要素なのだが,開発環境として個々のオブジェクトの機能や定義を簡単に参照できる仕掛けが含まれていることにも大きな意味がある.今では,ほとんどの人がインターネット用語だと思っているブラウザ(Browser)も,もともとはSmalltalkのオブジェクト閲覧ソフトウェアの名称だったのである.
そこで今回は,ソフトウェア設計にこれだけ大きな影響を与えたオブジェクト指向を,もっと他の分野にも適用できるのではないかと考えてみた.もっとも,それは自然な考え方ではあるが.
自分を語る「物」
最近になって製造責任者や産地証明といった「物」に対する説明責任が高度に求められるようになっている.すなわち,工業製品や農作物について,それがどのようにして作られたものなのかを消費者が知る権利が確立しつつある.今のところ,消費者側の欲求は生産者や流通業者に対して嘘をつくなという精神論的な要求なのだが,いずれ技術的な証明が求められるようになるであろう.
こんな話もある.携帯電話を買うとマニュアルが何冊もついてくる.携帯電話の本体は100gもないのに,その数倍もある分厚いマニュアルが何冊も付いてくる.ほとんど読まれないと思うが,それが必要になったときにはどこかに片付けられているか,捨てられてしまって見当たらないということが多い.
最近のIT家電製品は,どれも似たような状況になっている.かつて,OAブームで盛り上がったとき,オフィスから紙が消えるとまことしやかにいわれたが,実際には紙の消費量が爆発的に増加したという経験がある.形は違っても,今また同じことを繰り返しているように見えるのは筆者だけではないと思う.
また,ITを生業とする人にとっても,ハードウェアとデバイスドライバの分離というやっかいな問題がある.ハードがあってもデバイスドライバがなければ使えないのに,OSはアップデートされてもデバイスドライバはないということが多い.プラグ&プレイは製品の情報まで語ってくれるのだが,デバイスドライバへのアクセスパスまでは語ってくれないからはがゆい.こういう問題は,「物」が自分をしっかりと語るしくみをもってくれれば解決する.
バーコードから始まる「物」のオブジェクト指向化
工業製品のほとんどにバーコードが印刷されるようになって久しいが,バーコードも拡大解釈すると「物」のオブジェクト指向化ツールと考えることができる.製品がインスタンスであり,それを生み出す製造ラインや規格がクラスとなる.バーコードは製造工場と製品規格へのポインタであり,それが数値としてバーコードにコーディングされていると考えることができる.今のところ,それを見るためのブラウザが消費者に提供されていないので,オブジェクト指向のメリットが見えないのである.
また,バーコードもどんどん進化している.2次元バーコード(QRコード)による大容量化や,JRのSuicaに採用されているRFID(無線タグ)による非接触化などがすでに実用化されている.印刷型はリードオンリーだが,RAMを内蔵した書き換え可能なタグも低価格化している.そして,その先にあるのが,スマートダストと呼ばれる超小型無線LSIタグであろう.スマートダストというコンセプトは,それこそ印刷インキに混入できるレベルまで微小化した書き換え可能なタグである.
「物」が自分を語るしくみ
バーコードが製造規格へのポインタであると考えると,ポインタの先を見えるようにするのが「物」のオブジェクト指向化の第一歩である.ネットワークが遍在化した今なら,クラス情報をネットワーク経由でアクセスするのがいちばん簡単である.幸い,日本は世界に誇れる移動体通信インフラをもっている.農作物は工業製品ではないが,生産者情報や生育過程がクラス情報となる.これは,書き換え可能タグとネットワークを経由した情報提供が実現できることになる.
さらに,タグの大容量化と標準化という作戦もある.CD-ROM並みの情報が入るタグができるなら,クラス情報をすべて入れてしまうことができる.すなわち,仕様やマニュアル,基本ドライバなどはタグにすべて刷り込まれているという状況である.
そこで問題になるのが,ドキュメント構造とブラウザの標準化である.これが実現できれば,一家に一台のマニュアルリーダがあればどんな「物」であっても,そのマニュアルが読めるようになる.そうなれば,今度こそ紙とプラスチックの消費量が減少するのは間違いないのではないだろうか.
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「ユビキタス」が流行語になっているが,思想のレベルで何が変わるのかという説明が明確ではないように見える.ちょっと便利になるという程度の説明では,インターネット冷蔵庫は売れない.すべての製品がオブジェクト指向でいう「物」になるというのが,ユビキタス社会の実現イメージかもしれない.
やまもと・つよし
北海道大学大学院工学研究科電子情報工学専攻
計算機情報通信工学講座 超集積計算システム工学分野
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