第40回
ICカード付き携帯電話が作る新しい文化

 今度の携帯電話には,FeliCa仕様の非接触ICカード機能が組み込まれるという発表があった.携帯電話を使った電子決済は,“フィンランドでは携帯電話でコーラが買える”という話に始まって,国内外であらゆるモデルが試されてきているのだが,これまでのところ,ビジネスとして成立するシステムは出ていなかったように思う.今回発表されたFeliCa携帯電話は,少なくとも現時点で電子マネーとして流通している決済システムと互換性があり,使える場所がすでにあるという点でも画期的なものだといえる.

 携帯電話が電子マネー機能を持ったと聞くと,何か画期的な技術が開発されたかのように聞こえる.しかし冷静に分析すれば,既存のICカードを携帯電話に貼り付けただけという見方もできるわけで,IT技術者の視点では技術的なインパクトはあまり感じられない.しかし,携帯電話がICカードだけでなくリーダ/ライタとしての機能をもっていることを考えると,これは携帯電話やICカードの「文化」という点で画期的ではないかと思うのである.

基本は反応速度と使用中の形

 携帯電話を決済システムにする話はいろいろ考えられているのだが,今ひとつ普及していない.その理由の一つに,「人を含めたトランザクション速度」という問題がある.2次元バーコードは端末側に追加コストがほとんどないという利点があるのだが,画面にコードを表示して,それを「上手に」読み取る機械にかざすという操作に10秒以上かかるという問題がある.表示されたコードはリーダが読み取っても画面に残るから,必然的にクローズ・ループのサービスとなり,サーバへのアクセス時間も無視できない.携帯電話決済で現金を置き換えることを考えるなら,小額の現金払いに要する時間,つまり,お金を出す→数える→おつりを出すという一連の動作に相当するトランザクションを,10秒以内で完結できなければ受け入れられないだろう.この点,ICカードはすでにJRなどの改札に使えるくらいの応答速度を達成している.

 もう一つ,「形」という問題がある.これは携帯電話の静的な外形デザインではなく,使用中の「人の形」である.これまで携帯電話にいろいろな機能が標準装備されてきたが,それを使っている人をあまり見ないものがある.たとえば,音声認識電話番号検索である.認識精度という問題もあるのかもしれないが,この機能をオフィスで使っている人の見え方には,かなり違和感があるし,一人のときに電話に向かって一定の調子で番号や人の名前を発声するのはとても怪しい.どうしても手が使えないといった特殊な状況での需要しか出ないのではないかと思うのである.ICカードは反応時間が短いのが特徴なのだが,これは一瞬で終わるから多少変な動作でも目立たないということにつながるのである.

接触という動作が作る新しい形

 技術的に見れば,ICカードとリーダ/ライタが一個体にパッケージ化されているわけだから,理屈では携帯どうしで接触している相手のICカード情報を読み書きできることになる.残念ながら発表されている限り,そういったサービスは提供されないようだが,それができるといろいろと新しい携帯文化ができてくる予感がする.

 たとえば,電話番号の交換である.今は互いに「ワンコ」するのが定番であるが,これは二つの携帯を接触させるという動作に変えることができる.それで氏名,電話番号,メール・アドレスなど公開指定している情報が交換できるようになる.これを「携帯キッス」と命名する.CMやトレンディ・ドラマの中にこのシーンをさりげなく刷り込んでおくことで,案外簡単に定着させることができそうである.

 番号交換の延長上に電子マネーや電子チケットの個人交換ということも出てくる.SuicaやEdyが提供する電子マネーはオープン・ループ型であり,キャッシュに相当するデータはICカード間で転送することが可能である.だとすれば,携帯電話の接触により,価値を移すということもできるということになる.これは通貨という国家の基幹システムに挑戦するという,危ない領域に踏み込む話ではあるのだが,冷静に考えればすでに金券屋というシステムで商品券だのチケットだの換金性のある擬似貨幣が普通に流通しているという現実もあるわけで,案外容易に実現できる話ではないかと思えてくる.

その先にあるP2Pの電子マネー

 つまり,ICカード対応携帯電話のしくみは個人間の価値交換機能を潜在的にもっているのである.たとえていえば,P2Pの電子マネーである.現金が他の決済システムに対して圧倒的に勝っていたのがこのP2Pで匿名の決済なのだから,電子決済が現金の領域に入り込もうとするならば,個人間の価値の取り引きができるかが重要になってくる.ICカード対応携帯電話はシステムとしてその領域にあることはまちがいない.

 P2Pのファイル交換が著作権侵害という社会問題を起こしたように,P2Pのマネー交換も社会問題を引き起こす可能性がある.不良学生が相手を脅して携帯電話の電子キャッシュを脅し取る,「携帯カツアゲ」がその先の社会現象とならないことを願いたい.

やまもと・つよし

北海道大学大学院情報科学研究科

メディアネットワーク専攻

情報メディア学講座


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