第29回
電子キットから始まるエレクトロニクス

電子キットの復活

 少し前のことだったが,電子キットの復刻版が発売されるという新聞記事を見つけた.この記事を見て,ある種のノスタルジーを感じたかつてのラジオ少年は少なくなかったはずである.ちなみに,筆者は昭和28年生まれなのだが,筆者が中学生の頃に「エレキット」なる電子キットを手に入れた記憶がある.

この電子キットには流派があった.エレキット派とマイキット派で,少年達にとっては自分の所有するキットでどれだけ多くの回路を作れるかが自慢だった.そんなわけで,この種のキットの型番は末尾に作れる回路の数を数字で書くのが決まりだった.「マイキット100」という型番は,100種類の回路を作れるということで性能をアピールしていたわけである.

 これで何ができるのかといえば,基本はラジオとワイヤレスマイクである.ラジオには驚かなかったが,ワイヤレスマイクにたいていの少年は感動を覚えるのである.それまでラジオはただ聞くだけだったのに,ラジオから自分の声が流れるのだから自分が偉くなったように錯覚する.これがあれば,自分で何でも作れるような気分になるのである.その後のエレクトロニクスへのはまり方には,無線指向とオーディオ指向,そしてマイコン,パソコン指向と別れていくのだが,現在の40歳以上の老練エンジニアは,少なからずこのキットでエレクトロニクスに目覚めたはずである.

電子キットの還元論

 筆者にとっても,父親が買ってくれたエレキットはきわめてインパクトの大きいものだった.この電子キットは,トランジスタや抵抗,コイル,バリコン,イヤホンといったようなラジオとアンプを作るために必要な部品をプラスチックやボール紙の台に配置し,部品間の配線を自由に変えられるような仕組みを作ったものであった.

 電子回路の基本素子であるL,C,Rそしてダイオードとトランジスタが配置されているだけのものなのだが,画期的なことは配線をはんだづけすることなく接続できる仕掛けが組み込まれていることである.はんだづけをしなくてよいのでやけどをする心配もなく,小学生に与えても安全である.

 また,自分の家にあるラジオが,LCR+トランジスタでできているということをビジュアルに説明されているわけである.しかも部品は本物だから,抵抗やトランジスタはこういう形をしていると理解できる.電子キットでラジオを作れば,ラジオってのはこんな部品でできるのかと妙に納得させられてしまうわけである.

 電子キットの場合,回路的にはそれ以上は分解できないところまでバラして説明されている.明らかなことなのだが,電子キットがあったからといって電子回路がわかるわけではない.マニュアルに書かれているとおりに配線して,間違いがなければそのとおり動くということが確認できるだけなのである.プラモデルと同じに見えるが,電子キットは同じ部品でも配線を変えると違う動作をする回路ができるところがプラモデルとは違う.ひょっとすると,自分でも何か新しい回路を作れるのではないかと思えてくるのである.そこで,適当な配線をすれば何かできると勘違いし,部品を壊すという貴重な失敗経験もできる.

進化するべきではなかった電子キット

 そんなに面白く,奥の深い電子キットなら,なぜ今は復刻版という形でしか世の中に存在しないのだろうか? じつはこの電子キット,その後どんどん進化していったのである.その後に出てきた電子キットは電子ブロックと呼ばれるもので,配線という概念を取り去ってしまった.ブロック細工みたいに組み合わせると電子回路ができるという形になる.たしかに,見栄えもよく,できあがりもきれいになるのだが,肝心の電子部品はブロックの中に隠蔽されブラックボックス化されてしまう.

 女性が大嫌いな“汚い配線”がないというだけの理由で世の母親には受けがよく,昭和40年代後半からこういった進化した電子キットが子供に与えられることになってしまう.この進化はソフトウェアでいえば,アセンブラ的であった電子キットが高級言語化して電子ブロックになったともいえる.しかし,配線と部品が見える電子キットと,その両方が見えない電子ブロックは,できる機能は同じでもエレクトロニクスに対する興味への誘導の強さは天と地ほど違う.

電子キットがデパートで売られていた時代

 ところで,最近になって復刻された電子キットにより,近未来のe-Japanを支える人材を生み出すことができるのだろうか? 35年前と今とでは,決定的に違うことがある.現在のところ,電子キットを買えるのは,マニア向けのアンティーク玩具屋か電子部品ショップにおいてである.35年前は,電子キットは一流デパートの玩具売り場で売られていた.普通の玩具だったからこそ,普通の少年がエレクトロニクスに興味をもてたのではないだろうか.現在の日本では難しくなってしまったが,そういう国や地域が世界に一つくらいはあって欲しいものである.



やまもと・つよし

北海道大学大学院工学研究科電子情報工学専攻

計算機情報通信工学講座 超集積計算システム工学分野


「移り気な情報工学」のトップへ戻る

Interfaceのホームページへ戻る

コラム目次
New

移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

Back Number

移り気な情報工学
第62回  地震をきっかけにリアルタイム・システム再考
第61回  海を渡って卵を産む北京の「海亀族」
第60回  超遠距離通信とソフトウェア無線
第59回  IT先進国フィンランドの計画性
第58回  物理的に正しいITの環境対応
第57回  年金,e-チケットに見るディジタル時代の情報原本
第56回  「着るコンピュータ」から「進化した布地」へ
第55回  技術を楽しむネットの文化
第54回  情報爆発2.0
第53回  プログラミングの現場感覚
第52回  GPS+LBS(Location Based Service)がおもしろい
第51回  技術の格差社会
第50回  フィンランドに見る,高齢化社会を支える技術
第49回  たかが技術倫理,されど技術倫理
第48回  若者の理科離れ,2007年問題から「浮遊」せよ
第47回  機械のためのWWW――Google Maps APIから考える
第46回 網羅と完備で考えるユビキタスの視点 ―― u-Japan構想
第45回 青年よ,ITを志してくれ
第44回 Looking Glassに見るデスクトップの次世代化
第43回 CMSはブログに終わらない
第42回 二つの2010年問題
第41回 持続型技術――サスティナブル・テクノロジ
第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
第39回 ユーザビリティの視点
第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
第60回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第一部)

電脳事情にし・ひがし
第14回 韓国インターネット社会の光と陰

第13回 ドイツのソフトウェア産業とヨーロッパ気質〜優秀なソフトウェア技術者は現代のマイスター
第12回 開発現場から見た,最新ロシアВоронежのソフトウェア開発事情
第11回 新しい組み込みチップはCaliforniaから ―― SuperHやPowerPCは駆逐されるか ――
第10回  昔懐かしい秋葉原の雰囲気 ── 取り壊し予定の台北の電脳街 ──
第9回 あえて台湾で製造するPCサーバ――新漢電脳製青龍刀の切れ味
第8回 日本がだめなら国外があるか――台湾で中小企業を経営する人
第7回 ベトナムとタイのコンピュータ事情
第6回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜インターネット通信〜
第5回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜ポルトガルのプチ秋葉原でハードウェア作り〜
第4回 ヨーロッパ/ポルトガルでのエンジニア事情〜市場と就職編〜
第3回 タイ王国でハードウェア設計・開発会社を立ち上げる
第2回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(下)
第1回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(上)

フリーソフトウェア徹底活用講座
第24回 Intel386およびAMD x86-64オプション
第23回 これまでの補足とIntel386およびAMD x86-64オプション
第22回 静的単一代入形式による最適化
第21回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その9)
第20回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その8)
第19回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その7)
第18回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その6)
第17回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その5)
第16回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その4)
第15回 GCCにおけるマルチスレッドへの対応
第14回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その3)
第13回 続々・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第12回 続・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第11回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第10回 続・C99規格についての説明と検証
第9回 C99規格についての説明と検証
第8回 C言語におけるGCCの拡張機能(3)
第7回 C言語におけるGCCの拡張機能(2)
第6回 GCCのインストールとC言語におけるGCCの拡張機能
第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第3回 GCCのC言語最適化以外のオプション
第2回 GCCの最適化オプション ――Cとアセンブラの比較
第1回 GCCの最適化オプション

フジワラヒロタツの現場検証
第72回 現場検証,最後の挨拶
第71回 マイブーム
第70回 OSぼやき放談
第69回 技術者生存戦略
第68回 読書案内(2)
第67回 周期
第66回 歳を重ねるということ
第65回 雑誌いろいろ
第64回 となりの芝生は
第63回 夏休み
第62回 雑用三昧
第61回 ドリームウェア
第60回 再び人月の神話
第59回 300回目の昔語り
第58回 温泉紀行
第57回 人材ジャンク
第56回 知らない強さ
第55回 プレゼン現場にて


Copyright 1997-2005 CQ Publishing Co.,Ltd.


Copyright 1997-2002 CQ Publishing Co.,Ltd.