第45回 青年よ,ITを志してくれ
大学業界に勤めていると,さまざまな会議に出席することになる.最近の会議でIT分野の教授が集まると,決まって話題になることがある.それは「受験生から見たIT系学部の人気低下」である.
大学業界インサイダーから見ると,IT分野は産業界の勢いもあるし研究資金も豊富で,どちらかといえば羨ましがられる分野であると思っている.確かに,産学連携や政策的な重点領域という点で話題が豊富な分野である.しかし,それに反して受験生からの人気は年々低下傾向にあるというのだ.
もちろん大学によって状況は違うのだが,かつて電子工学科が工学部の人気学科だったころを知る世代から見れば,エレクトロニクスやIT分野を希望して来る学生は明らかに減ってきている.
大学生の最大の関心事である就職状況について見れば,IT学部はすべての産業界から求人がある数少ない分野なのだが,それでも若者はITをめざさなくなってきている.これでは次世代ITの開発を担う若手エンジニアが続かなくなってしまう.何とかしなければならない.
IT学科人気低迷の考察
筆者が大学に入ったのは1972年のことだ.大学生だった時代のトピックスはLSI,コンピュータそして光ファイバと,今のIT環境を支える基盤技術であり,当時はそれが最先端技術だった.それらのキーワードはすでに当時でも一般的に知られていたのだが,中身についてはあまり知られておらず,下々の者たちにはなかなか手が届かないという「ある種の気高さ」があったと思う.だから,その分野を良く知っている,あるいはそれを研究している人というのは技術エリートとしての地位をアピールできたのである.社会からカッコよく見える分野に人が集まるのは当たり前で,工学分野では電子工学がその筆頭だった.かつて電子工学は“クール”だったのである.
その時代を知っているオヤジ世代のエンジニア達は,その状態が今でも続いていると錯覚しているのかもしれない.しかし,今の若者から見えている現実はそうではないらしい.パソコンは自分が生まれた頃から家にあるし,光ファイバのインターネットも月額3,000円でアパートにきてしまう時代である.先端技術と自分の生活が同じ水準になっているため,専門家になることのご利益があまり感じられなくなってきているのではないだろうか.IT分野の体感温度はすでに常温になっている.
研究分野のエントロピ
その点,バイオとロボティクスの分野は今が旬のようである.ロボティクスも地味な産業用ロボットが主役だったころは注目度が低かったが,2足歩行ロボットという鉄腕アトムのパターンが出てきてから急に学生の人気が上がってきた.鉄腕アトムは説明しやすいのに,当面自分の家にやってくるとは思えないところに価値がある.バイオということばはだれでも知っているが,素人はそこで何が行われているかが良くわかっていないところがミソである.受験生からみて,これらの分野はまだまだクールさを感じさせる.
ある分野のキーワードが一般社会で普通に知られているのに,その中身について知る人が少ないという非平衡状態にある時期に,その分野の人気が上がる.ぬるま湯のような社会に最先端のクールな技術テーマが投げ込まれて平衡状態が崩れたときに,その分野に注目が集まるのだが,いずれクールな技術も社会に溶け込んで普通になる.それが研究テーマにおけるエントロピ増大の法則とも言える.
ITの代表分野であるインターネットとパソコンに関して言えば,エントロピはすでに最大値,つまりはどこに行っても同じような平衡状態になって,若者がどこに進めば良いかわからなくなってしまっている.
IT分野のエントロピを減らせ
さて,若者たちにITを志してもらうにはどうしたら良いのだろうか.この時代,ITのキーワードはだれでも良く知っているのだから,その最先端のイメージを現実から大きく引き離した新しい研究領域を見せるとよい.それが一般社会とIT分野の最先端のバランスを崩して,非平衡状態を作り出せばよい.ITの本流にはペタ・フロップス級のスーパ・コンピュータやテラbps級のネットワークといった挑戦的な話題はある.これらは数値が桁違いであるという意味でわかりやすいが,それで具体的に何ができるかという一般社会向けの説明が弱い.研究者コミュニティの中の話題として閉じてしまい,一般社会を含めた世界のエントロピ低下につながらない.
過去には第五世代コンピュータや人工知能といったわかりやすいチャレンジもあったが,実際のところ具体的な実現イメージが見えてこないまま時間が経ち過ぎてしまった感がある.魅力ある次のグランド・チャレンジを設定できなければ,IT分野は次の世代を担う若者たちに見捨てられてしまう.IT分野の再興をたくらむオヤジたちが語るべきは,かつての栄光へのノスタルジではなく,食料やエネルギ問題を解決するぐらい挑戦的でクールなチャレンジでなければならないのだ.
そこで何か一つ考えて今回の原稿を提出することにしよう,と決めた.一つ思い付いたのだが,人間の断層写真が取れるのならば,なぜ地球の断層写真は取れないのだろうか.地球シミュレータならぬ地球ビュアができれば食料やエネルギの問題の考え方が根本から変わってくる.ITでそのくらい大きな計画を描けたとき,青年はITを志してくれるようになるのではないだろうか.
やまもと・つよし
北海道大学大学院情報科学研究科
メディアネットワーク専攻
情報メディア学講座
|