第62回
地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

 5月12日に発生した中国四川省の大地震は,被害の甚大さや規模とは別の意味で筆者の記憶に焼き付くこととなりそうだ.

 というのも,私はこの3月につくばにある独立行政法人 防災科学技術研究所を訪問した.その際,全国800個所に設置された高感度地震計のデータを公開しているという話を聞き,その場で利用申請をしていたのだ.それが高感度地震観測網,通称Hi-net(http://www.hinet.bosai.go.jp/)だ.四川省の地震のニュースを聞き,もしやと思って地震発生時刻付近の波形データをダウンロードしてみた.そのデータを見ると,この地震は発生の数分後から30分以上に及ぶ長時間の揺れが日本全国の観測点で記録されていたのである.震源地に一番近いと思われる長崎県平戸では15時32分57秒付近から,最北の稚内北でも15時34分43秒付近から始まっていた.数十年に一度という巨大地震の生データがほぼリアルタイムでアクセスできる時代になったということに,一種の感動を覚えたのである.

 これとは別に,日本では地震の到達前に警報を出すサービスが開始されたというニュースもあった.日本はこのような地震観測網については世界最先端にあるので,そのリアルタイム・データを使えばそういうこともできるのである.

 防災や安全確保という点からもITによる安心・安全の確保はこれからも大きな話題になるであろう.人の命がかかわるITはレスポンスタイムが大事である.イベントの発生から対応までの時間が命にかかわるのだから.ITといえばサイバー・ワールドとか仮想空間という非現実感と関連付けられることが多い.しかし,本当に役立っているのはやはり現実世界を相手にするリアルタイム・システムなのだと思う.

メディア・システムの高度化によるリアルタイム機能の性能低下

 ディジタル・テレビや高機能携帯電話が一般化しているが,それを使っている人の多くは,新機種は旧モデルよりもすべての性能が上回っていると思っている.確かに,カタログに記載されたディスプレイの画素数やメモリ容量などは世代交代のたびに改善されている.しかし,すべてがそうというわけではない.

 例えば,携帯電話の立ち上がり時間.昔は電源を入れるとすぐ立ち上がった記憶があるのだが,昨年末機種更新した筆者の携帯電話は電源ONから立ち上がるまで14秒かかる.携帯電話とはいえ,OSの上に載っているわけだから,高機能化に伴ってブート時間がかかるようになってきている.ディジタル・テレビも同様で,立ち上げ時にメーカ・ロゴ付きの初期画面が出て沈黙の時間をごまかそうとする.立ち上がった後でも,チャネルを切り替えて次の映像が出るまで2秒くらい待たされるのは普通である.そのうちディジタル慣れするのだと思うが,たまに出張先のホテルでアナログ・テレビを見ると,リモコンの反応が良いと実感する.

 そんなことぐらいでガタガタ言うのも大人げないのかもしれないが,テレビや携帯電話は災害時の情報伝達手段としてかなり期待されている一面もあるので,このリアルタイム性低下はどうでも良いことではないと思う.

 デジタル放送の遅延時間問題は,災害情報サービスが進化したことで想定外の問題を引き起こしている.デジタル放送は,フレーム間相関を利用したMPEG-2フォーマットで伝送するのが基本であり,圧縮展開のたびに秒単位の遅延を避けられない.放送局内で既に秒単位で遅れているし,家庭のテレビで再生するときにまた秒単位で遅れる.トータルの遅延時間は間に何回圧縮展開が入ったかによるが,生中継でアナログとディジタルの画面を見比べるとその差にびっくりすることがある.そんなこともあって,テレビ画面の時刻表示のスタイルも変わった.昔は0秒でパタッと変わったが,今は2秒くらいかけてゆっくり変わるのである.たかが2,3秒というなかれ,今話題になっている地震のリアルタイム警報は地震で揺れ始める数秒前の警報なのである.

高速処理とリアルタイム処理は本質的に異なる

 コンピュータの性能はMIPSやGFLOPSという計算処理能力で比較されるが,これもリアルタイム性能とは違った価値観の性能指数である.何TFLOPSというスーパ・コンピュータのリアルタイム応答時間といっても,この種のマシンはもともとリアルタイム応用を考えておらず,基本的にバッチ処理で使われる.TSS端末からジョブ投入して半日待って,1時間計算して答えが返ってくるというような使い方である.それでもパソコンの1万倍早いから待つ価値がある.パソコンも対人間の疑似的なリアルタイム性能であり,しかも最悪値を保証していない.最悪は固まって応答時間無限大となってしまう.

 本物のリアルタイム処理は,イベントが起こってからそれに対する処理が開始されるまでの時間を保証することかが基本中の基本である.処理が早いという以前に,最低何μsで処理が始まるかを保証できるかということにリアルタイム処理の本質がある.そのサービスを仕様に含んでいるOSがリアルタイムOSなのである.リアルタイム・システムの先にあるのは高速で情報が伝わるリアル・ワールドなのだ.

 通信も放送もディジタル化が進むのは必然だが,リアルタイム性に関する限りアナログ方式の方が高レベルというのも事実である.究極の防災メディアはAMラジオなのである.ディジタル万能の時代だからこそ,こういった遅延の少ない情報伝達システムを残しておくと良いのではないかと思っている.そうすれば,ラジオ少年が最初にゲルマニウム・ラジオを作る楽しみも残るのだから.

やまもと・つよし

北海道大学大学院 情報科学研究科

メディアネットワーク専攻

情報メディア学講座


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コラム目次
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移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

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移り気な情報工学
第62回  地震をきっかけにリアルタイム・システム再考
第61回  海を渡って卵を産む北京の「海亀族」
第60回  超遠距離通信とソフトウェア無線
第59回  IT先進国フィンランドの計画性
第58回  物理的に正しいITの環境対応
第57回  年金,e-チケットに見るディジタル時代の情報原本
第56回  「着るコンピュータ」から「進化した布地」へ
第55回  技術を楽しむネットの文化
第54回  情報爆発2.0
第53回  プログラミングの現場感覚
第52回  GPS+LBS(Location Based Service)がおもしろい
第51回  技術の格差社会
第50回  フィンランドに見る,高齢化社会を支える技術
第49回  たかが技術倫理,されど技術倫理
第48回  若者の理科離れ,2007年問題から「浮遊」せよ
第47回  機械のためのWWW――Google Maps APIから考える
第46回 網羅と完備で考えるユビキタスの視点 ―― u-Japan構想
第45回 青年よ,ITを志してくれ
第44回 Looking Glassに見るデスクトップの次世代化
第43回 CMSはブログに終わらない
第42回 二つの2010年問題
第41回 持続型技術――サスティナブル・テクノロジ
第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
第39回 ユーザビリティの視点
第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
第60回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第一部)

電脳事情にし・ひがし
第14回 韓国インターネット社会の光と陰

第13回 ドイツのソフトウェア産業とヨーロッパ気質〜優秀なソフトウェア技術者は現代のマイスター
第12回 開発現場から見た,最新ロシアВоронежのソフトウェア開発事情
第11回 新しい組み込みチップはCaliforniaから ―― SuperHやPowerPCは駆逐されるか ――
第10回  昔懐かしい秋葉原の雰囲気 ── 取り壊し予定の台北の電脳街 ──
第9回 あえて台湾で製造するPCサーバ――新漢電脳製青龍刀の切れ味
第8回 日本がだめなら国外があるか――台湾で中小企業を経営する人
第7回 ベトナムとタイのコンピュータ事情
第6回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜インターネット通信〜
第5回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜ポルトガルのプチ秋葉原でハードウェア作り〜
第4回 ヨーロッパ/ポルトガルでのエンジニア事情〜市場と就職編〜
第3回 タイ王国でハードウェア設計・開発会社を立ち上げる
第2回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(下)
第1回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(上)

フリーソフトウェア徹底活用講座
第24回 Intel386およびAMD x86-64オプション
第23回 これまでの補足とIntel386およびAMD x86-64オプション
第22回 静的単一代入形式による最適化
第21回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その9)
第20回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その8)
第19回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その7)
第18回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その6)
第17回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その5)
第16回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その4)
第15回 GCCにおけるマルチスレッドへの対応
第14回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その3)
第13回 続々・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第12回 続・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第11回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第10回 続・C99規格についての説明と検証
第9回 C99規格についての説明と検証
第8回 C言語におけるGCCの拡張機能(3)
第7回 C言語におけるGCCの拡張機能(2)
第6回 GCCのインストールとC言語におけるGCCの拡張機能
第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第3回 GCCのC言語最適化以外のオプション
第2回 GCCの最適化オプション ――Cとアセンブラの比較
第1回 GCCの最適化オプション

フジワラヒロタツの現場検証
第72回 現場検証,最後の挨拶
第71回 マイブーム
第70回 OSぼやき放談
第69回 技術者生存戦略
第68回 読書案内(2)
第67回 周期
第66回 歳を重ねるということ
第65回 雑誌いろいろ
第64回 となりの芝生は
第63回 夏休み
第62回 雑用三昧
第61回 ドリームウェア
第60回 再び人月の神話
第59回 300回目の昔語り
第58回 温泉紀行
第57回 人材ジャンク
第56回 知らない強さ
第55回 プレゼン現場にて


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